第五話 魔法
リナはアリアを見ていた。
夕暮れの教室。
窓から差し込む赤い光が机を染めている。
誰もいない。
残っているのは二人だけだった。
「どうしてそう思ったの?」
静かな声だった。
アリアは深呼吸する。
観察。
分析。
仮説。
今日ずっと教わっていた事を思い出す。
決めつけない。
でも。
根拠は話す。
「言葉です」
リナは黙って聞いている。
「九年前に村へ来た職員さんも」
「分かってないよ」
「だから聞くんだよって言いました」
アリアは続ける。
「言葉も同じでした」
「考え方も似ています」
少し迷う。
言葉を探す。
「だから」
「もしかしたらって」
教室は静かだった。
窓の外では夕暮れの鳥が飛んでいく。
リナは少し考えた。
そして。
「六十点」
アリアの肩が落ちる。
まただ。
リナは続ける。
「観察はできてる」
「分析も前より良い」
少しだけ希望が見える。
だが。
「決定的な根拠がない」
希望は消えた。
アリアは思わず机へ突っ伏しそうになる。
リナは小さく息を吐いた。
「でも」
アリアが顔を上げる。
「行った事はある」
静寂。
アリアの思考が止まる。
行った事はある。
それだけで十分だった。
九年前。
小さな村。
雨の日。
怒鳴り続ける老人。
困り果てた家族。
どうしていいか分からない村人達。
そして。
ただ一人。
老人の隣へ座り続けていた女性。
アリアは今でも覚えている。
最後に老人が見せた笑顔を。
あの日。
初めて見た。
誰かの心がほどける瞬間を。
しばらく言葉が出なかった。
やっと口を開く。
「私」
声が少し震えていた。
「ずっとお礼を言いたかったんです」
その瞬間。
リナの手が止まった。
ほんの一瞬だけ。
「お礼?」
アリアは頷く。
「私」
少し笑う。
九年前の自分を思い出しながら。
「魔法みたいだと思ったんです」
リナは黙る。
アリアは続けた。
「みんな困ってたのに」
「誰もできなかったのに」
「リナさんが来たら」
「おじいさんが笑った」
夕陽が差し込む。
教室が赤く染まる。
アリアは真っ直ぐリナを見る。
「だから」
一拍。
「私もなりたいと思ったんです」
そして。
今度は迷わない。
「ケアラーに」
リナは何も言わない。
アリアは立ち上がる。
そして。
深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
教室は静まり返る。
窓の外から風の音だけが聞こえる。
長い沈黙だった。
教室は静まり返る。
窓の外から風の音だけが聞こえる。
長い沈黙だった。
アリアは頭を下げたまま待つ。
返事はない。
やっぱり変だっただろうか。
急に昔の話をされて。
急にお礼を言われて。
困らせてしまっただろうか。
そう思い始めた頃だった。
小さく息を吐く音が聞こえた。
アリアはゆっくり顔を上げる。
リナは俯いていた。
資料へ置かれた指先が止まっている。
何かを考えているようだった。
やがて。
少し困ったように笑った。
アリアの胸が強く鳴る。
九年前と同じだった。
本当に同じだった。
リナは静かに言う。
「君が覚えている私は」
一拍。
「君が見た私だから」
アリアは目を瞬く。
意味が分からない。
けれど。
大事な言葉だという事だけは分かった。
リナは窓の外を見る。
夕陽が赤く差し込んでいる。
「今の私とは」
少しだけ言葉を探す。
そして。
「少し違う」
アリアは黙る。
どう違うのか。
何があったのか。
聞きたかった。
でも。
今は聞いてはいけない気がした。
リナは資料を閉じる。
その手はほんの少しだけ止まった。
そして。
静かに言う。
「ありがとう」
それだけだった。
◇
その日の研修が終わる。
アリアの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
九年前の人だった。
それは分かった。
でも。
分からない事も増えた。
どうして今は笑わないんだろう。
どうして少し寂しそうだったんだろう。
どうして。
「少し違う」
なんて言ったんだろう。
気付けば足は最上階へ向かっていた。
コンコン。
「入れ」
聞き慣れた声だった。
◇
ギルド長室。
相変わらず書類の山だった。
ギルド長は机に向かっている。
顎に右手。
いつもの姿勢。
「どうした」
アリアは椅子へ座る。
「リナさんの事です」
ギルド長の眉が少しだけ動いた。
「ほう」
「昔からあんな人だったんですか?」
「あんな人とは?」
「無表情で」
「厳しくて」
「ちょっと怖いです」
沈黙。
そして。
ギルド長は少し笑った。
本当に少しだけだった。
「そうか」
「リナが聞いたら泣くぞ」
アリアは目を丸くする。
泣く。
リナが。
まったく想像できなかった。
ギルド長は窓の外を見る。
顎に添えた手が止まる。
ほんの一瞬だけ。
遠い昔を見ているようだった。
「あいつは昔」
静かな声。
「よく笑っていた」
アリアは目を見開く。
「今よりずっとな」
沈黙。
夕陽が部屋へ差し込む。
ギルド長は続けた。
「あいつは優しすぎた」
アリアは息を飲む。
その言葉は。
褒め言葉にも。
後悔にも聞こえた。
「何があったんですか?」
ギルド長は即答する。
「本人に聞け」
「教えてくださいよ」
「駄目だ」
これも即答だった。
アリアは思わず頬を膨らませる。
ギルド長は小さく笑った。
「知りたいなら」
一拍。
「自分で見ろ」
「自分で聞け」
「自分で考えろ」
アリアは小さく息を吐く。
結局それか。
でも。
不思議と嫌じゃなかった。
大切な事なんだと思う。
◇
ギルド長室を出る。
夕暮れの廊下。
窓の外では王都の空が茜色に染まっていた。
遠くにリナの姿が見える。
書類を抱えて歩いている。
無表情。
隙がない。
厳しい。
でも。
今日。
確かに笑った。
昔はもっと笑っていたらしい。
優しすぎたらしい。
知りたい。
もっと。
九年前。
私の人生を変えた人。
今度は。
私がその人を知りたいと思った。
第五話
魔法 完




