↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/32

第十四話 証明 後編


施設内の見学を続けながら。


レティアは利用者達と話し、忙しそうにメモを取っていた。


質問をする。


話を聞く。


観察する。


まだ不器用な部分は多い。


けれど、その眼差しは確かに利用者へ向いていた。


利用者の言葉だけではなく。


表情を見る。


周囲を見る。


生活を見る。


少しずつだが、見えるものは増えている。


その姿を見ながら。


アリアは小さく笑った。


ふと。


窓の外へ視線を向ける。


中庭が見えた。


花壇。


小さな畑。


季節の花々。


穏やかな午後の日差し。


利用者達の憩いの場所。


懐かしい景色だった。


その光景を見た瞬間。


アリアの呼吸が止まった。


花壇の前にいるはずのない人を。


見つけてしまった気がした。


車椅子。


土を触る人影。


見覚えのある背中。


ありえない。


そう思った。


けれど。


目が離せなかった。


胸の奥がざわつく。


忘れたことなどなかった。


あの日のことを。


転倒事故。


骨折。


絶望。


窓の外ばかりを見つめていた横顔。


何もできなかった自分。


その人が。


今。


目の前にいる。


人影がゆっくり顔を上げる。


その瞬間。


アリアは駆け出していた。


考えるより先に。


体が動いていた。


「エドガーさん!!」



車椅子の男が振り返る。


少しだけ驚いた顔。


そして。


口元がわずかに緩んだ。


「なんだ」


「見習いか」


アリアは思わず声を上げる。


「見習いじゃありません!」


「正式ケアラーです!」


エドガーは鼻で笑った。


「そうか」


「なら少しはマシになったか」


アリアも笑う。


笑いながら。


少しだけ目頭が熱くなった。


あの日。


退院したばかりのエドガーは、窓の外ばかり見ていた。


何を話しても反応は薄く。


どこか遠くを見ているようだった。


未来を失った人の顔だった。


アリアはずっと思っていた。


自分があの人の未来を壊したのだと。


だから。


今こうして。


土を触りながら笑っている姿を見るだけで。


胸がいっぱいになった。


「どうした」


「変な顔してるぞ」


エドガーが怪訝そうに言う。


アリアは慌てて目元を拭った。


「なんでもありません」


「そうか」


エドガーは再び土へ視線を落とした。


その手は土に汚れていた。


花の苗を支える指先は不器用だった。


けれど。


確かに生きていた。



しばらく他愛のない話をする。


花壇のこと。


施設のこと。


最近植えた花のこと。


中庭に来る鳥のこと。


エドガーは以前より口数が増えていた。


そのことが。


アリアには何より嬉しかった。


ふと。


言葉が漏れる。


「あの時はもう……」


そこから先が続かない。


エドガーは手を止めた。


何の話か。


聞かなくても分かっていた。


「あぁ」


少し沈黙する。


そして。


頭を掻いた。


「なんというか」


「すまなかった」


アリアは目を瞬く。


エドガーが謝るとは思っていなかった。


エドガーは気まずそうに視線を逸らした。


「本当にもう死んでしまいたかったんだ」


静かな声だった。


「何もかも終わったと思ってた」


アリアは何も言わない。


ただ聞いていた。


エドガーは苦笑する。


「歩けなくなった」


「好きな場所にも行けなくなった」


「働くこともできなくなった」


土を握る。


「全部終わったと思った」


その言葉は重かった。


けれど。


以前のような絶望ではなかった。


過去を語る声だった。


乗り越えた人間の声だった。


「まぁ」


エドガーは鼻で笑う。


「終わってなかったんだがな」



風が吹く。


花壇の花が揺れる。


エドガーはその様子を眺めながら言った。


「しつこいやつがいてな」


「しつこい?」


「あぁ」


エドガーは苦笑した。


「帰れと言っても来る」


「無理だと言っても来る」


「面倒だから話を聞けば」


「また来る」


アリアは思わず笑う。


誰かは分からない。


けれど。


なんとなく想像はできた。


「本当に面倒な奴だ」


そう言いながら。


エドガーはどこか楽しそうだった。


アリアは首を傾げる。


だが。


それ以上は聞かなかった。


今はそれよりも。


目の前のエドガーが笑っていることの方が嬉しかった。


未来は失われていなかった。


形が変わっただけだったのだ。


その事実が。


アリアの胸を少しだけ軽くした。



帰り際。


アリアとレティアは施設班職員に挨拶をしていた。


「それじゃ、ありがとうございました」


「おう」


「また来いよ」


職員が笑う。


アリアも笑って頭を下げた。


そして。


ふと思い出す。


「そういえば」


「エドガーさん、元気になっていましたね」


職員は頷いた。


「あぁ」


「変わったな」


「やっぱり時間ですかね」


アリアがそう言うと。


職員は不思議そうな顔をした。


「時間?」


「違う違う」


「え?」


「戻ってきたんだよ」


「施設班のエースが」


アリアは首を傾げる。


聞いたことのない人物だった。


「外部研修の講師で王都を離れてたんだけどな」


「帰ってきてからだよ」


「エドガーさんが変わったの」


アリアは黙る。


思い出す。


しつこいやつ。


帰れと言っても来る。


無理だと言っても来る。


面倒な奴。


もしかして。


「その人って……」


アリアが尋ねようとした時だった。


施設の入口の扉が開く。


職員達が一斉にそちらを見る。


空気が変わった。


歓声ではない。


けれど。


どこか安心したような空気だった。


「あ」


「帰ってきた」


誰かが呟く。


一人の女性が施設へ入ってくる。


背は高い。


健康的に日に焼けた肌。


笑うと垂れ目になる柔らかな表情。


派手ではない。


特別目立つわけでもない。


それなのに。


利用者達が向ける視線だけが違った。


自然と人が振り返る。


自然と声を掛ける。


まるで昔からそこにいた人のように。


「あんた帰ってきたのか」


「遅かったじゃないか」


「また来いって言っただろ」


女性は苦笑した。


「ただいま」


その一言だけ。


まるで家へ帰ってきたかのような自然さだった。


そして。


利用者達を見る。


職員達を見る。


施設全体を見回す。


まるで呼吸をするように。


自然に。


静かに。


居場所を確認するように。


「さて」


柔らかな笑みを浮かべたまま。


女性は言った。


「何ができる?」


その瞬間。


アリアは理解した。


この人は。


利用者を見ている。


問題を見ているのではない。


業務を見ているのでもない。


目の前の人を見ている。


ただそれだけなのに。


施設全体の空気が少しだけ柔らかくなった気がした。


アリアは呆然とその姿を見つめていた。


胸の奥が静かにざわつく。


理由は分からない。


けれど。


一つだけ確かなことがあった。


この人は――。


きっと今まで出会った誰とも違う。


【第十四話 証明 完】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。