第十四話 証明 前編
王都ケアギルド附属ケア施設。
石造りの建物を見上げた瞬間。
アリアは思わず足を止めた。
懐かしい。
そんな一言では足りなかった。
施設班の研修で初めてここを訪れた日。
右も左も分からず、ただ必死について回っていた日々。
利用者の言葉に振り回され。
職員の動きについていけず。
失敗して。
叱られて。
悔しくて眠れなかった夜。
あの頃の自分は、目の前のことで精一杯だった。
石壁も。
玄関も。
中庭も。
何一つ変わっていないはずなのに。
見える景色だけが少し違っていた。
「先輩?」
隣から声がした。
アリアは我に返る。
レティアが不思議そうな顔でこちらを見上げていた。
「あ、ごめん」
「ちょっと昔を思い出してた」
「昔?」
「うん」
アリアは小さく笑う。
「私も研修で来たことがあるんだよ」
レティアは少し目を丸くした。
「そうだったんですね」
「うん」
「いっぱい失敗したし」
「いっぱい怒られた」
肩をすくめてみせる。
レティアが思わず吹き出した。
今のアリアからは想像もできなかったのだろう。
その反応が可笑しくて、アリアも笑った。
正式ケアラーになってから数日。
以前より緊張は薄れている。
それでも施設班の研修となれば話は別だ。
訪問班とは違う空気。
違う役割。
違う難しさ。
レティアの表情には、わずかな硬さが残っていた。
きっと一年前の自分も、こんな顔をしていたのだろう。
「よし」
アリアは施設へ向き直る。
「行こうか」
「はい!」
レティアの返事が青空に弾んだ。
◇
「おー、アリアじゃないか」
施設へ入るなり声が飛んできた。
振り向くと、施設班の職員がこちらへ手を振っている。
「あ、こんにちは」
「久しぶりです」
「久しぶりだな」
職員は嬉しそうに笑った。
「あれから一年か」
「早いもんだな」
アリアも頷く。
本当に早かった。
けれど。
あの一年は決して短くなかった。
「聞いたぞ」
職員が言う。
「正式ケアラー」
アリアは少し照れ臭そうに頭を掻いた。
「ありがとうございます」
「まだまだですけど」
「いやいや」
職員は首を振った。
「最初に来た頃なんて、今にも泣きそうな顔してたのにな」
「やめてくださいよ……」
思わず顔をしかめる。
周囲の職員達からも笑い声が上がった。
レティアは目を丸くする。
その反応を見て、職員がさらに笑った。
「信じられないだろ?」
「今じゃちゃんと先輩やってるもんな」
アリアはますます居心地が悪そうな顔をした。
だが、不思議と嫌な気分ではなかった。
この場所には。
失敗もある。
後悔もある。
苦い記憶もある。
それでも。
帰ってきたと思えるだけの時間も積み重なっていた。
◇
午前中。
アリアとレティアは施設内を回っていた。
食堂の一角。
一人の利用者が腕を組んで座っている。
昼食前だというのに表情は冴えない。
レティアは利用者の前へ歩み寄った。
「こんにちは」
返事はない。
レティアは少しだけ考える。
理由があるはずだ。
そう学んだ。
ただ機嫌が悪いだけで終わらせてはいけない。
レティアは利用者の前にしゃがみ込んだ。
「どこか優れませんか?」
利用者は顔も上げない。
「別に」
短い返事。
それだけだった。
会話は途切れる。
レティアは困ったように視線を落とした。
何が違ったのだろう。
聞いた。
理由を探そうとした。
それなのに何も見えない。
少し離れた場所で見守っていたアリアが声を掛ける。
「レティア」
「はい」
レティアが戻ってくる。
アリアはすぐ答えを教えなかった。
「どう思った?」
レティアは考える。
「体調でしょうか」
「表情も暗かったですし……」
「なるほど」
アリアは頷く。
否定しない。
「他には?」
「えっと……」
言葉が止まる。
思いつかない。
情報が足りなかった。
アリアは微かに笑った。
かつてリナに同じことを聞かれた記憶が蘇る。
観察。
分析。
仮説。
答えではなく考え方を教わった日々。
今、自分は同じことをしている。
「じゃあ、どうして体調が悪いと思ったの?」
レティアは答えに詰まった。
利用者の表情を見た。
それだけだった。
◇
アリアは利用者の元へ歩いていく。
そして。
何も言わず、その隣へ腰を下ろした。
利用者がちらりと視線を向ける。
アリアは穏やかに笑った。
「どうしたの?」
利用者は答えない。
アリアも急かさない。
食堂に響く食器の音。
窓から差し込む昼の光。
静かな時間が流れる。
やがて。
利用者がぽつりと呟いた。
「……席がな」
「席?」
「いつもの席に別の奴が座ってる」
アリアは瞬きをする。
利用者は不満そうに続けた。
「ずっとあそこだったんだ」
「落ち着くんだよ」
アリアは小さく頷く。
「そうだったんだね」
利用者は鼻を鳴らした。
だが先程までの険しさは薄れている。
理由を話しただけ。
それだけだった。
それだけで表情は少し柔らかくなっていた。
アリアは立ち上がる。
「教えてくれてありがとう」
利用者はぶっきらぼうに手を振った。
◇
利用者の元を離れた後。
レティアは考え込んでいた。
「先輩」
「うん?」
「何が違ったんでしょう」
アリアは少し困ったように笑う。
「私も分からないよ」
「え?」
「分からないから聞いたんだよ」
レティアは目を見開く。
その言葉に。
どこか聞き覚えがあった。
だが、すぐには思い出せない。
アリアはそんなレティアを見て小さく笑った。
「焦らなくていいよ」
「考えることは大事だから」
そう言って歩き出す。
レティアも慌てて後を追った。
◇
施設内を回りながら。
レティアは利用者と話し、メモを取り続けていた。
質問をする。
話を聞く。
観察する。
まだ不器用だ。
それでも。
最初に出会った頃と比べれば確実に変わっていた。
利用者の言葉だけではなく。
表情を見る。
周囲を見る。
生活を見る。
その姿を見ながら。
アリアは小さく笑った。
受け継がれるものは技術だけではない。
考え方も。
悩み方も。
寄り添い方も。
人から人へ伝わっていく。
それはきっと。
ケアそのものなのだと思った。
【前編 終】




