第十三話 継承 中編
「先輩って、まだ見習いなんですよね?」
「ぐっ……ふぅ」
死んだ。
即死だった。
後輩ができたら可愛がろうと思っていた。
三十秒前までは。
圧倒的な事実の重さに轢殺された。
「うん……まぁ……そうなんだけど」
アリアは乾いた笑みを浮かべた。
レティアは首を傾げる。
「何か失礼なことを言いましたか?」
「いや、うん、大丈夫」
大丈夫ではない。
だが説明するのも悲しかった。
◇
レティアは抱えていたノートを差し出した。
「こちら、事前にまとめてきました」
アリアは受け取る。
思ったより重かった。
いや、かなり重かった。
表紙を開く。
思わず固まる。
文字。
文字。
文字。
文字。
びっしりだった。
施設概要。
支援制度。
記録様式。
緊急時対応。
各班の役割。
王都の支援制度。
医療ギルドとの連携。
利用者対応の基本。
ページの端には細かな補足まで書き込まれている。
アリアは静かに閉じた。
そしてレティアを見る。
「これ全部?」
「全部です」
「いつ寝たの?」
「三日前です」
「寝て?」
即答だった。
◇
だが正直、驚いていた。
ここまで準備してくる新人は珍しい。
少なくともアリアはしていない。
間違いなく。
絶対に。
していない。
見習いになった初日など、目の前のことに必死だった。
訪問班も。
施設班も。
地域支援班も。
何が何だか分からないまま走り回っていた気がする。
それに比べれば、レティアはずっと優秀だった。
「どうしてケアラーになろうと思ったの?」
アリアは何気なく尋ねた。
レティアは少しだけ表情を引き締める。
そして迷いなく答えた。
「人を助けたいからです」
真っ直ぐな声だった。
迷いがない。
曇りもない。
その瞳は本気だった。
アリアは少しだけ眩しく感じた。
立派だと思う。
同時に。
何故だろう。
少しだけ引っ掛かった。
昔。
似た言葉を聞いた気がした。
いや。
違う。
聞いたのではない。
自分自身が思っていたのだ。
誰かを助けたい。
困っている人を助けたい。
それは間違いではない。
間違いではないのだが――。
その違和感の正体までは、まだ分からなかった。
◇
数日後。
レティアは優秀だった。
記録は正確。
報告も早い。
相談も欠かさない。
勉強熱心。
礼儀正しい。
利用者からの質問にもよく答えられる。
何より真面目だった。
教えたことを必ず復習してくる。
分からないことを曖昧にしない。
新人としては申し分ない。
「すごいなぁ……」
思わず漏れる。
レティアは首を振った。
「そんなことありません」
「いや、あるよ」
「先輩の方がすごいです」
「どの辺が?」
「現場経験があります」
即答だった。
アリアは少し笑う。
真面目だなと思った。
本当に真面目だ。
だからこそ。
その日の出来事は意外だった。
◇
訪問先。
一人暮らしの高齢男性宅。
玄関先での挨拶を終えた後、レティアは事前説明を行った。
本日の予定。
体調確認。
生活支援。
記録確認。
必要事項は全て伝えた。
完璧だった。
少なくともアリアにはそう見えた。
だが。
男性は首を横に振った。
「帰ってくれ」
レティアが固まる。
「……え?」
「今日は忙しい」
男性は繰り返した。
レティアは慌ててノートを開く。
確認する。
間違いはない。
予定も合っている。
契約内容も問題ない。
「ですが、本日は訪問予定日です」
「忙しい」
「体調確認だけでも」
「忙しい」
「すぐ終わりますので」
「忙しい」
会話が進まない。
レティアの顔から少しずつ余裕が消えていく。
「何かご不満があるのでしょうか」
「違う」
「体調が優れないとか」
「違う」
「でしたら――」
「忙しいんだ」
男性は少しだけ困ったように言った。
その声に。
レティアは言葉を失う。
アリアは黙って様子を見ていた。
かつての自分を見ているようだった。
正しいことを言っている。
間違ったことは何も言っていない。
それなのに。
相手との距離は少しずつ離れていく。
答えが見つからない。
何が間違っているのかも分からない。
そんな感覚。
やがて。
男性は再び口を開く。
「悪いな」
「今日は帰ってくれ」
結局。
その日の支援は中止になった。
◇
帰り道。
レティアはずっと俯いていた。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
小さな声が落ちた。
「私、間違ってましたか」
アリアはすぐには答えなかった。
レティアは続ける。
「説明しました」
「確認もしました」
「失礼なことも言っていません」
「契約内容も伝えました」
唇を噛む。
悔しそうだった。
理解できないことが悔しいのだ。
「それなのに」
少しだけ声が震える。
「どうしてなんですか」
アリアは空を見上げた。
青空だった。
雲がゆっくり流れている。
一年前の自分も。
きっと同じことを言っていた。
正しいことをしたのに。
どうして。
そんな問いばかり繰り返していた。
ふと。
困ったように笑うリナの顔が浮かぶ。
『分からないよ』
あの日の言葉。
『だから聞くんだよ』
静かな声。
答えを教えてくれなかった人。
けれど。
答えを探す方法だけは教えてくれた人。
アリアは足を止める。
「レティア」
「はい」
「もう一回行こうか」
レティアが顔を上げる。
「答えを探しにじゃなくて」
アリアは少しだけ笑った。
「理由を聞きに」
レティアは黙る。
理解はできていない。
でも。
その言葉だけは。
なぜか少しだけ心に残った。
アリアには、それが分かった。
昔の自分もそうだったから。
【中編 終】




