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第十一話 烙印 後編

翌朝。


地域支援班の執務室。


アリアは机に肘をつきながら考え込んでいた。


バルド。


元鍛冶師。


元彫金師。


王都でも知られた職人。


冷え切った炉。


閉ざされた工房。


そして。


「帰れ」


しか言わない頑固なドワーフ。


頭の中で、聞いた話と今の姿が何度も結びついては離れていく。


どうしてああなったのだろう。


何があったのだろう。


考えても答えは出ない。


けれど。


気になって仕方がなかった。


「何考えてるのぉ?」


ミオが横から覗き込む。


アリアは顔を上げた。


「作戦です」


「へぇ」


「聞き取りしましたよね」


「したねぇ」


「工房も見ました」


「見たねぇ」


アリアは頷く。


「職人なら」


「職人として話せばいいんです」


ミオが少しだけ目を細める。


「続けてぇ」


アリアは鞄から髪留めを取り出した。


留め具の一部が壊れている。


「これ、母にもらったんです」


「うん」


「直してもらいます」


数秒の沈黙。


そして。


「安直だねぇ」


「だって職人だったんですよ!?」


「そうだねぇ」


否定はされなかった。



その日の午後。


アリアは髪留めを握りしめてバルドの家へ向かった。


家は相変わらずだった。


木箱。


金属片。


雑草。


閉ざされた扉。


何度見ても歓迎されているようには見えない。


「こんにちはぁ」


ミオが声を掛ける。


「帰れ」


いつもの声。


アリアは一歩前へ出た。


「バルドさん」


返事はない。


「これ、直せますか?」


髪留めを掲げる。


しばらく沈黙。


やがて。


「知らん」


低い声。


「聞き取りで聞いたんです」


アリアは続けた。


「鍛冶師だったって」


「彫金師だったって」


沈黙。


「だから何だ」


「これ」


アリアは髪留めを見つめる。


「母にもらった、大切なものなんです」


沈黙。


「だから、直してほしくて」


しばらく静寂が続いた。


そして。


「帰れ」


いつもの言葉だった。


完全敗北だった。



帰り道。


アリアは落ち込んでいた。


「失敗だったねぇ」


「分かってます」


「面白かったけど」


「慰めになってません」


ミオは笑う。


アリアはため息をついた。


何気なくポケットへ手を入れる。


そして固まった。


「あれ?」


もう一度探す。


反対のポケット。


鞄。


上着。


探す。


ない。


「どうしたのぉ?」


「髪留めがありません」


ミオが首を傾げる。


「お気に入り?」


アリアは頷いた。


「母にもらった、大切なものなんです」


もう一度探す。


鞄の中。


上着の内側。


歩いてきた道。


どこにもない。


アリアは小さく息を吐いた。


「どこで落としたんだろう……」


失くした事実が、思っていた以上に胸に刺さった。


母にもらった物だった。


高価な物ではない。


けれど。


大切な物だった。


ミオは何も言わなかった。


その日は結局、見つからなかった。



翌日。


アリアはいつものようにバルドの家へ向かった。


髪留めのことは気になっていた。


けれど。


見つかるとは思っていなかった。


王都で落とした小さな髪留めだ。


戻ってくる方が不思議だった。


玄関脇。


小さな木箱が置かれていた。


昨日は無かったはずだ。


「ん?」


アリアは首を傾げる。


箱を手に取る。


丁寧に作られた木箱だった。


蓋を開ける。


そして。


固まった。


「……え?」


中に入っていたのは。


失くしたはずの髪留めだった。


壊れていた留め具は綺麗に直っていた。


それだけではない。


金属部分には小さな装飾まで加えられている。


元より綺麗だった。


元より上等だった。


丁寧に磨かれ。


丁寧に包まれ。


丁寧に直されている。


一目で分かった。


職人の仕事だった。


アリアはしばらく言葉を失った。


どうしてここにあるのか。


どこで拾ったのか。


いつ直したのか。


分からない。


分からないけれど。


一つだけ分かることがあった。


嬉しかった。


たまらなく嬉しかった。


胸の奥がじんわりと温かくなる。


「良かったねぇ」


ミオが言う。


「はい!」


思わず声が弾む。


その瞬間。


扉の向こうから声が飛ぶ。


「うるさい」


アリアは慌てて立ち上がった。


「ありがとうございます!」


「帰れ」


いつもの言葉。


でも。


昨日までとは少し違って聞こえた。



それからだった。


少しずつ。


本当に少しずつ。


会話が増えた。


天気の話。


祭りの話。


王都の話。


鍛冶の話。


長くは続かない。


それでも。


扉の向こうには確かに人がいた。


ある日。


アリアは髪留めを見せた。


「評判いいんですよ」


沈黙。


「皆、綺麗だって」


沈黙。


「ありがとうございます」


少し間があった。


やがて。


「そうか」


小さな声だった。


アリアは思わず笑った。



また別の日。


アリアは玄関先で尋ねた。


「どうして誰も家に入れたくないんですか?」


沈黙。


長い沈黙。


聞いてはいけなかっただろうか。


そう思った時だった。


「見せたくない」


ぽつりと声がした。


アリアは息を呑む。


「何をですか?」


再び沈黙。


そして。


「こんな自分をだ」


それだけだった。


ミオは何も言わない。


アリアも何も言えなかった。


風だけが静かに吹いていた。



さらに数日後。


アリアは言った。


「訪問班の人に来てもらいませんか?」


「いらん」


即答だった。


「話をするだけでも」


「今してる」


返す言葉がなかった。


確かにそうだった。


その日も断られた。


翌日も。


その翌日も。


やっぱり断られた。


そして。


何度目かの訪問の日。


バルドがぽつりと言った。


「何が違う」


アリアは首を傾げる。


「え?」


「訪問班だ」


「お前と何が違う」


アリアは答えようとして。


止まった。


何が違うのだろう。


言葉に詰まる。


無意識に髪留めへ触れる。


その瞬間。


冷え切った炉を思い出した。


色褪せた看板を思い出した。


聞き取りで聞いた話を思い出した。


木箱の中の髪留めを思い出した。


そして。


気付く。


答えはずっと目の前にあった。


「あ……」


アリアは顔を上げる。


「私は」


少しだけ言葉を探す。


「今のバルドさんしか知りません」


沈黙。


アリアは続けた。


「昔のことは知りません」


「職人だったことも」


「有名だったことも」


「後から聞いただけです」


だから。


「今のバルドさんを心配してるんです」


静寂。


長い静寂だった。


アリアは続ける。


「心配なんです」


少し間を置く。


「バルドさんが」


扉の向こうから返事はない。


本当に長い沈黙だった。


やがて。


「変な娘だな」


低い声が聞こえた。


アリアは少しだけ笑った。


「よく言われます」


小さく。


本当に小さく。


笑い声が聞こえた気がした。



さらに沈黙が続く。


やがて。


バルドが言った。


「その訪問班とやらは」


アリアが顔を上げる。


「はい」


「何をする」


「話をします」


「話か」


「はい」


アリアは頷く。


「片付けに来るんじゃありません」


「追い出しに来るんでもありません」


「ただ、話をしに来ます」


沈黙。


「話なら今してる」


バルドが言う。


アリアは苦笑した。


「私とじゃなくて」


「もっと色んな人とです」


再び沈黙。


「私も帰りますし」


バルドは何も言わない。


「でも」


「訪問班の人達は帰っても、また来ます」


「嫌だって言われても」


「困ってないって言われても」


「また来ます」


沈黙。


「迷惑だな」


バルドが言った。


「そうですね」


アリアは笑う。


「でも、それが仕事なので」


少し間を置く。


「それに」


「私も来ます」


長い沈黙。


本当に長い沈黙。


やがて。


「一回だけだ」


アリアは目を見開いた。


「え?」


「一回だけだと言った」


アリアの顔が明るくなる。


「はい!」


「何度も来るな」


「それは無理です」


即答だった。


扉の向こうで。


小さな笑い声が聞こえた気がした。



訪問班の導入は決まった。


問題が解決したわけではない。


家は変わらない。


生活も変わらない。


それでも。


確かな一歩だった。


帰り道。


夕暮れの空が王都を赤く染めていた。


「解決したんですね」


アリアは言う。


訪問班の導入は決まった。


少なくとも前には進んだ。


そう思った。


だが。


ミオは首を振る。


「してないよぉ」


「え?」


「始まっただけだしねぇ」


夕陽が石畳を赤く染めていた。


ミオはいつも通りの調子で歩いている。


焦りも。


達成感も。


特に見えなかった。


「私達はねぇ」


ぽつりと言う。


「解決するんじゃないんだよぉ」


少し間を置く。


「繋ぐんだよぉ」


アリアは黙って聞いていた。


変人。


問題老人。


ゴミ屋敷の住人。


近隣住民から聞いた言葉が浮かぶ。


そして。


冷え切った炉。


木箱。


髪留め。


バルド。


全部が浮かぶ。


「あの人」


アリアはぽつりと呟いた。


「変な人じゃなかったですね」


ミオは少しだけ笑う。


「最初からそうだよぉ」


アリアは空を見上げた。


全部分かったわけじゃない。


何を失ったのか。


なぜ閉じこもったのか。


まだ分からない。


でも。


一つだけ分かる。


あの人は。


変人なんかじゃなかった。


ただ。


一人の鍛冶師で。


一人の彫金師で。


一人のドワーフだった。



第十一話 烙印 


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