第十一話 烙印 中編
翌日。
アリアとミオは再び王都南区へ向かっていた。
石畳を踏む音が静かに響く。
朝の王都は賑やかだったが、二人の足取りは昨日と変わらない。
「本当に行くんですね」
「行くよぉ」
「昨日、追い返されましたよね」
「追い返されたねぇ」
「じゃあ今日も」
「そうかもねぇ」
会話になっているようで、なっていない。
アリアはため息をついた。
昨日からずっと気になっている。
地域支援班の仕事だ。
困っている人を助ける。
問題を解決する。
そういうものだと思っていた。
だが、昨日のミオは違った。
何も解決していない。
何も進んでいない。
それなのに焦っている様子もない。
まるで。
最初からそうなると分かっていたみたいだった。
◇
家は昨日と変わらなかった。
木箱。
金属片。
雑草。
閉ざされた扉。
近付くだけで、空気が少し重くなる気がした。
ミオはいつものように声を掛ける。
「こんにちはぁ」
しばらく沈黙。
やがて。
「また来たのか」
低い声が返ってきた。
アリアは思わず顔を上げる。
昨日より言葉が増えていた。
ほんの少しだけ。
本当に少しだけ。
ミオは気付いているのかいないのか。
相変わらずの調子だった。
「来たよぉ」
「来るな」
「そう言われてもねぇ」
「帰れ」
「考えとくよぉ」
扉は開かない。
顔も見えない。
それでも昨日より会話は増えていた。
だが。
結局その日も、それで終わった。
◇
三日目。
結果はほとんど同じだった。
「帰れ」
「来るな」
「困ってない」
扉は開かない。
顔も見えない。
名前すら知らない。
アリアの中で、少しずつ苛立ちが積み上がっていた。
帰り道。
とうとう口に出る。
「何なんですか、あの人」
ミオは隣を歩いていた。
「何なんだろうねぇ」
「いや、そうじゃなくて」
アリアは足を止める。
「困ってないなら、どうしてあんな家になってるんですか」
「さぁ」
「さぁじゃなくて」
「本人に聞いてみればいいのにねぇ」
アリアは言葉に詰まった。
聞こうとしている。
聞こうとしているのに。
何も聞けないのだ。
帰れ。
来るな。
困ってない。
その先へ進めない。
◇
「近くで少し聞こうかぁ」
ミオはそう言った。
近隣への聞き取りだった。
地域支援班の仕事は本人だけを見ることではない。
地域を見ること。
関係を見ること。
アリアは少しずつ、それを理解し始めていた。
近隣住民達は似たようなことを言った。
「話が通じない」
「昔から頑固でね」
「何度言っても片付けない」
「変わり者ですよ」
「関わるなって言われてるし」
変人。
頑固者。
問題老人。
聞けば聞くほど、そんな言葉ばかりが出てくる。
アリアの中でも、その人物像が出来上がり始めていた。
だが。
一人の年配女性が違うことを言った。
「でもねぇ」
彼女は少し困ったように笑う。
「昔はあんな人じゃなかったんだよ」
アリアが顔を上げる。
「違ったんですか?」
「違ったよ」
女性は懐かしそうに目を細めた。
「バルドさんはね」
その名前を聞いた瞬間。
アリアは少しだけ姿勢を正した。
初めて名前を聞いた。
今まで。
ゴミ屋敷の老人。
支援拒否のドワーフ。
地域の変人。
そんな認識だった。
だが。
名前が付く。
バルド。
それだけで、不思議なほど印象が変わった。
「鍛冶屋だったんだよ」
女性は続ける。
「鍛冶屋?」
「そう。しかも腕のいい職人だった」
別の住民も話に加わった。
「農具も剣も直せた」
「細工物も有名だったな」
「彫金もやってたよ」
「祭りの飾り金具なんかも作ってた」
アリアは思わず目を瞬かせた。
聞いていた人物像と。
今見ている家が結びつかない。
あの扉の向こうにいる人物が。
王都で知られた職人だった。
「いつから、ああなったんですか?」
アリアは尋ねた。
住民達は顔を見合わせる。
そして。
誰も答えられなかった。
「さぁなぁ」
「気付いたらだ」
「いつの間にかだよ」
その言葉だけだった。
気付いたら。
いつの間にか。
アリアは黙り込む。
認知症でも。
障害でも。
病気でも。
よく聞く言葉だった。
急に変わったわけじゃない。
少しずつ。
少しずつ。
誰にも気付かれないまま。
変わっていく。
そして気付いた時には。
誰も、その理由を説明できなくなっている。
◇
聞き取りを終えた帰り道。
ミオが言った。
「少し寄ろうかぁ」
「どこにですか?」
「バルドさんの工房」
アリアは目を丸くした。
「まだ残ってるんですか?」
「あるみたいだねぇ」
聞き取りで教えられた場所へ向かう。
王都南区のさらに奥。
人通りの少ない路地。
その先に建物はあった。
小さな工房だった。
看板は色褪せている。
だが。
まだ文字は読めた。
『バルド工房』
アリアはしばらくその看板を見上げる。
想像していたより小さい。
けれど。
長い年月を感じる建物だった。
扉は閉ざされている。
窓には埃が積もっている。
中を覗くと。
使われなくなった作業台。
錆びた工具。
壁に掛かったままの金具。
そして。
工房の中央には炉があった。
冷え切った炉。
火はない。
熱もない。
それなのに。
アリアは目を離せなかった。
ここには確かに人がいたのだ。
鉄を打つ音があった。
客の声があった。
職人達の笑い声があった。
今は何も聞こえない。
けれど。
そこに立つだけで分かる。
誰かが長い時間を過ごした場所だった。
誰かの誇りだった場所だった。
「すごい人だったんですね」
アリアはぽつりと言った。
ミオは隣で頷く。
「そうだねぇ」
それだけだった。
◇
帰り道。
アリアは何度も工房のことを思い出していた。
変人。
問題老人。
ゴミ屋敷の住人。
そう聞いていた。
でも。
冷え切った炉を見た今。
どうしても、その言葉だけでは片付けられなくなっていた。
王都で名の知られた職人。
鍛冶師。
彫金師。
そして。
今は誰とも会わないドワーフ。
どちらが本当なのだろう。
いや。
きっと、どちらも本当なのだ。
アリアは空を見上げる。
夕暮れの空が赤く染まっていた。
本当に。
それだけなのだろうか。
その日初めて。
アリアはバルドという一人のドワーフに興味を持った。
【中編 終】




