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第十一話 烙印 前編

周年祭が終わって三日。


王都ケアギルドは、ようやく日常を取り戻しつつあった。


廊下を彩っていた色とりどりの旗は片付けられた。


提灯も。


出店も。


中央広場に組まれていたステージも、もうない。


祭りの痕跡はほとんど消えている。


それなのに。


利用者達の会話だけは違った。


「あの青い炎は凄かったな」


「エレノアさん、綺麗だったねぇ」


「ギルド長、本当に踊ってたぞ」


思い出話は尽きないらしい。


祭りは終わった。


けれど。


楽しかった記憶だけは、まだそこに残っていた。


アリアは机に突っ伏した。


思い出してしまった。


開会宣言。


噛んだ。


盛大に噛んだ。


会場中に聞こえる声で噛んだ。


死んだ。


社会的に死んだ。


思い返すだけで死んだ。


「忘れよう……」


小さく呟く。


人は前を向いて生きる生き物だ。


たぶん。


きっと。


そうであってほしい。


「無理」


声がした。


アリアは飛び上がった。


いつの間にか、すぐ横にリナが立っていた。


「リ、リナさん!?」


「忘れられるなら苦労しない」


淡々と言う。


いつからいたのだろう。


全く気付かなかった。


「心臓に悪いです……」


「あなたが気付いてないだけ」


その時だった。


「借りるねぇ」


聞き慣れた間延びした声が聞こえた。


アリアが顔を上げる。


そこには、いつものように眠そうな顔をしたミオが立っていた。


「え?」


「アリア借りるよぉ」


「え?」


二回言った。


意味が分からなかったからだ。


「聞いてない」


リナが即座に返す。


「今言ったしねぇ」


「今言われた」


会話が成立しているようで成立していない。


アリアは助けを求めるようにリナを見る。


リナは小さく息を吐いた。


「地域支援班」


「地域支援班ですか」


もちろん知っている。


ミオが所属する班だ。


施設長の時も。


虐待通報の時も。


何度か顔を合わせている。


ただ。


何をしている班なのかと聞かれると、正直よく分からない。


問題が起きる。


ミオが来る。


そして何となく解決する。


そんな印象だった。


「地域支援班は一番大変」


リナは言った。


アリアは思わず苦笑する。


「前も言ってましたよね」


「言った」


「施設班よりですか?」


「ええ」


「訪問班よりも?」


リナは少しだけ考えた。


そして。


「種類が違う」


その時。


「リナはあったま固いねぇ」


横からミオが口を挟んだ。


「聞こえてる」


「聞こえるように言ったしねぇ」


アリアは頭を抱えた。


どうしてこの二人は毎回こうなのだろう。


「どこも一緒だよぉ」


ミオは気にした様子もなく続ける。


「施設も」


「訪問も」


「地域支援も」


少しだけ考えて。


そして言った。


「どこも人のためだしねぇ」


アリアには、まだ意味がよく分からなかった。


「準備してきなさい」


リナが言う。


「はい」


アリアは立ち上がる。


そして部屋を出ようとして、ふと振り返った。


「リナさん」


「何」


「地域支援班って、本当にそんなに大変なんですか?」


リナは少しだけ黙った。


「行けば分かる」


短い答えだった。


その横でミオが笑う。


「そうだねぇ」


「行けば分かるねぇ」


嫌な予感しかしなかった。



ギルド前。


荷物をまとめたアリアは、リナの前に立っていた。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


短いやり取り。


それだけ。


のはずだった。


「変なこと覚えてこないで」


アリアは思わず笑う。


「はい」


するとリナは少しだけ視線を逸らした。


「できれば」


アリアは目を瞬かせる。


意味を聞こうとして、やめた。


たぶん聞いても教えてくれない。


その横でミオがぽつりと言う。


「無理だと思うよぉ」


リナは即答した。


「あなたには何も聞いてない」


ミオは楽しそうに笑った。


アリアは少しだけ不安になった。


本当に大丈夫なのだろうか。



地域支援班の執務室は、アリアが想像していたものとは違っていた。


もっと慌ただしい場所を想像していた。


王都各地から届く緊急通報。


地図に刺さる赤い印。


通信用結晶が鳴り響き。


職員達が走り回る。


そんな場所だと思っていた。


だが違った。


机。


書類。


棚。


書類。


別の机。


さらに書類。


視界の半分以上が紙だった。


「……これは?」


アリアは目の前に置かれた厚い束を見つめた。


「仕事だよぉ」


ミオは椅子に腰掛けながら答える。


「これが?」


「うん」


「地域支援班の?」


「うん」


アリアは書類を見る。


利用実績。


運営記録。


申請内容。


支援状況。


報告書。


監査資料。


文字。


数字。


文字。


数字。


見ただけで目が痛い。


「地域支援班って、相談とか通報対応をする班じゃないんですか?」


「するよぉ」


「じゃあこれは?」


「これもするよぉ」


「……」


ミオは書類を一枚めくった。


「地域支援班はねぇ」


「相談を受けたり」


「通報を受けたら現地に行ったり」


「監査したり」


「制度の確認をしたり」


「色々するんだよぉ」


「色々」


「そう。色々」


言葉は軽い。


だが。


書類は重かった。


アリアは机に座らされた。


そして。


整合性確認という名の地獄が始まった。


「ここ、数字が違うねぇ」


「はい」


「こっちの記録と申請が合ってないねぇ」


「はい」


「ここもだねぇ」


「はい」


「こっちは日付かなぁ」


「はい」


「ここ、利用者名が一文字違うねぇ」


「はい……」


十五分後。


アリアは机に突っ伏していた。


「リナさんのところに帰りたいです」


ぽつりと出た。


心の底から出た。


ミオは書類から顔を上げる。


「仲良いんだねぇ」


「違います」


即答だった。


「そうなんだぁ」


絶対に信じていない声だった。


アリアは顔を上げる。


「リナさんなら、こういうの全部すぐ終わらせると思います」


「そうだろうねぇ」


「ですよね」


少しだけ元気が出た。


「でも」


ミオはゆっくり首を傾げる。


「リナは地域支援班、向いてないかもねぇ」


「え?」


「急ぎすぎるしねぇ」


アリアは思わず黙った。


リナは優秀だ。


誰よりも観察して、分析して、仮説を立てる。


それでも向いていない仕事がある。


そんなことがあるのだろうか。


「それより」


ミオは書類を指差した。


「ここ、もう一回見ようかぁ」


アリアは静かに息を吸った。


逃げたい。


今すぐ逃げたい。


「これもケアラーの仕事なんですか?」


思わず聞いた。


ミオは即答した。


「そうだよぉ」


その時。


扉が鳴った。


地域支援班の職員が一人、顔を出す。


「ミオ班長。南区から相談です」


ミオの目が少しだけ動いた。


「内容は?」


「独居のドワーフ族男性です。家屋周辺に物が積み上がっていて、近隣から心配の声が上がっています。支援は拒否。訪問も拒否。以前から接触困難のようです」


アリアは顔を上げた。


ようやく現場だ。


書類ではない。


数字ではない。


人だ。


「行きますか?」


「行くよぉ」


ミオは立ち上がる。


アリアも慌てて立った。


「はい!」


ミオが少しだけ笑った。


「元気になったねぇ」


アリアは何も言えなかった。



王都南区。


中心街から少し離れただけで、街の表情は変わる。


大通りの賑わいは遠ざかり、細い路地が増えていく。


洗濯物が風に揺れ、古い石壁には蔦が這っていた。


子供達の声も、馬車の音も、ここでは少し遠い。


ミオとアリアは、一軒の家へ向かう。


目的の家が見えた時。


アリアは思わず足を止めた。


最初に目に入ったのは木箱だった。


次に割れた桶。


錆びた工具。


古い布。


何かの部品。


使い道の分からない金属片。


気付けば、それらは玄関の周囲に山のように積み重なっていた。


まるで誰にも近付かせないための壁のように。


雑草も伸び放題だった。


窓は閉ざされている。


人の気配はある。


だが、生活の気配は薄かった。


アリアは無意識に息を呑む。


確かに。


近隣が心配するのも分かる。


ミオは玄関前に立った。


「こんにちはぁ」


返事はない。


「地域支援班ですぅ」


しばらくして。


中から低い声がした。


「帰れ」


それだけだった。


アリアは瞬きをする。


ミオは変わらない。


「少しお話を聞きたいんだけどねぇ」


「帰れ」


「困ってることない?」


「ない」


「本当に?」


「ない」


「そっかぁ」


ミオは頷いた。


そして。


「今日は帰ろうかぁ」


「えっ」


アリアは思わず声を上げた。


その日は、本当にそれで終わった。


【前編 終】

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