第十話 周年祭 後編
合同ステージが終わった頃には、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。
西の空に沈みかけた太陽が、会場を橙色に照らしている。
出店の明かりが灯り始める。
提灯にも火が入る。
昼間の賑わいとは少し違う。
祭りはまだ続いている。
だが。
どこか一日の終わりを感じさせる空気も混じり始めていた。
利用者達はまだ帰ろうとしない。
職員達も忙しそうに動いている。
笑い声は途切れない。
そして。
利用者達が最も楽しみにしている最後の出し物が始まろうとしていた。
職員ステージである。
「職員ステージだー!」
誰かが叫ぶ。
歓声が上がる。
拍手も起こる。
アリアには未だによく分からなかった。
なぜそんなに人気なのか。
客席を見る。
利用者達は皆、どこか前のめりだった。
出店を回っていた人も戻ってきている。
車椅子の位置を直す人。
眼鏡を掛け直す人。
隣の利用者へ「始まるぞ」と声を掛ける人。
まるで本当に楽しみにしていたかのようだった。
近くにいた古竜へ聞いてみる。
「なんでそんなに楽しみなんですか?」
「知らん」
「知らないんですか」
「だが」
古竜は客席を見る。
「楽しそうだからだろう」
アリアも客席を見る。
確かに。
利用者達は笑っていた。
職員達が出てくるだけで。
まだ何も始まっていないのに。
楽しそうだった。
◇
舞台袖では最後の準備が進んでいた。
衣装を整える者。
歌詞を確認する者。
緊張を誤魔化すように笑う者。
普段の仕事では見られない顔ばかりだった。
その中にリナもいる。
ふと視線を向ける。
リナは襟を直していた。
また直す。
そして。
もう一度直す。
アリアは黙って見ていた。
完璧だった。
これ以上直す場所などない。
それでも手が動く。
本人は認めないだろうが、緊張しているのだ。
きっと。
「リナさん」
「何?」
「緊張してます?」
「してない」
即答だった。
襟を直す。
「してますよね」
「してない」
また直す。
アリアは吹き出した。
リナがじろりと睨む。
「忘れなさい」
「はい」
絶対忘れない。
◇
やがて。
職員ステージが始まった。
明るい音楽が流れる。
合同ステージとは正反対だった。
速い。
賑やかだ。
歌とダンス。
照明。
演出。
利用者達は最初から手拍子をしていた。
職員達も楽しそうだった。
誰かが歌い。
誰かが踊る。
歓声が飛ぶ。
利用者達の笑顔も弾ける。
普段は支援する側の人間が。
今日は舞台の上で右往左往している。
それが面白いのかもしれない。
アリアも参加していた。
振り付けを一つ間違える。
最前列の古竜が笑った。
忘れなさい。
先程、自分に刺さった言葉だ。
今度は別の相手に刺してやりたい。
◇
ステージ中央。
リナが立つ。
普段の彼女なら絶対に選ばないような衣装だった。
実用性より華やかさを優先した衣装。
本人はあまり納得していなさそうだったが。
似合っていた。
歌う。
踊る。
誰よりも正確に。
誰よりも真面目に。
利用者達から歓声が上がる。
アリアは少し驚いた。
リナは目立つことを嫌う。
そう思っていた。
違ったらしい。
やると決めたことを。
最後までやる。
ただそれだけなのだ。
曲が中盤に差しかかる。
照明が落ちる。
音楽だけが続く。
利用者達がざわついた。
職員達も。
アリアも。
何が始まるのか知っているはずなのに。
妙に緊張した。
そして。
一人の男がステージへ現れる。
ギルド長だった。
利用者達から歓声が上がる。
「ギルド長ー!」
どこかから声が飛ぶ。
拍手が大きくなる。
指笛まで聞こえた。
アリアには理解できなかった。
なんで。
そんなに盛り上がるんだ。
次の瞬間。
ギルド長が踊った。
アリアは固まった。
本当に固まった。
理解が追いつかない。
目の前の人物は誰だ。
毎朝見ている。
書類に埋もれている。
真顔で無理難題を押し付けてくる。
あのギルド長だ。
そのギルド長が。
今。
ステージの中央で踊っている。
しかも上手かった。
無駄に上手かった。
音楽に遅れない。
振り付けを間違えない。
動きに迷いもない。
真顔であること以外、完璧だった。
あ。
今クルッと回った。
なんで。
利用者達は大爆笑だった。
歓声が飛ぶ。
手拍子が大きくなる。
ギルド長は真顔だった。
本気だった。
だから余計に面白かった。
◇
会場の熱気が一気に上がる。
利用者達が立ち上がる。
拍手が重なる。
歓声が広がる。
そして。
その時だった。
どぉぉぉっ!
炎が夜空へ駆け上がった。
古竜だった。
完全に盛り上がっていた。
赤い炎が夜空へ弧を描く。
提灯の灯りと混ざり合い。
客席を照らす。
利用者達の笑顔を照らす。
ステージ上の職員達を照らす。
一瞬だけ。
祭り全体が炎の色に染まった。
利用者達から大歓声が上がる。
アリアは叫んだ。
「古竜さん!?」
古竜は満足そうだった。
完全に調子に乗っている。
そして。
誰よりも近くでその炎を見ていた男がいる。
ギルド長だった。
ギルド長は古竜を見る。
真顔だった。
踊りながら言う。
「もっと高く」
古竜の目が輝いた。
次の瞬間。
炎がさらに高く伸びる。
そして。
色が変わった。
赤。
橙。
そして青。
青い炎が夜空を突き抜ける。
会場全体が青く染まった。
利用者達の顔が照らされる。
驚いている顔。
笑っている顔。
拍手している顔。
その全てが青い光の中に浮かび上がった。
利用者達は総立ちだった。
歓声。
拍手。
手拍子。
全てが混ざり合う。
古竜は得意そうだった。
ギルド長は相変わらず真顔だった。
そして踊っていた。
なんなんだこの人達。
アリアは頭を抱えた。
それでも。
笑っていた。
利用者達が。
職員達が。
古竜が。
そして。
ギルド長も。
ほんの少しだけ。
本当に少しだけ。
楽しそうに見えた。
◇
やがて。
職員ステージは終わった。
利用者達の拍手はいつまでも続いていた。
祭りは成功だった。
誰が見ても分かるくらいに。
◇
夜。
会場の片付けも終わった頃。
提灯だけが静かに揺れていた。
昼間の賑やかさが嘘みたいだった。
客席は空いている。
利用者達も戻った。
職員達も帰っていった。
アリアは客席を見つめる一人の背中を見つけた。
ギルド長だった。
「楽しかったですね」
アリアが言う。
「ああ」
短い返事だった。
風が吹く。
提灯が揺れる。
祭りの熱気はもう残っていない。
あるのは静かな夜だけだった。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
ギルド長がぽつりと言った。
「ガルドも好きだった」
「誰ですか?」
「去年までいた利用者だ」
アリアは黙った。
客席を見る。
昼間は埋まっていた席。
笑っていた利用者達。
拍手していた利用者達。
歌っていた利用者達。
その光景が頭に浮かぶ。
そして。
その中にいない誰かの存在も。
少しだけ想像した。
「来年を」
ギルド長が言う。
「全員に約束できないからだ」
静かな声だった。
諦めでもない。
悲しみでもない。
ただ事実を語る声だった。
アリアは客席を見る。
一年後。
同じ景色が見られる保証はない。
利用者も。
職員も。
自分自身も。
誰一人として。
それでも。
今日ここにいた。
笑っていた。
歌っていた。
拍手をしていた。
だから。
「だから」
ギルド長は空になった客席を見る。
昼間は笑顔で埋まっていた席を。
「今を祝う」
風が吹く。
提灯が揺れる。
小さな灯りが夜の中で揺らめく。
アリアは何も言わなかった。
言葉が見つからなかった。
ただ。
昼間の笑い声だけは聞こえた気がした。
利用者達の笑顔も。
職員達の笑顔も。
古竜の笑い声も。
まだそこに残っているような気がした。
だから。
アリアは静かに笑った。
「来年もやりたいですね」
ギルド長は答えない。
だが。
ほんの少しだけ。
口元が緩んだ気がした。
第十話 周年祭
【後編 完】




