第十話 周年祭 前編
ケアギルドには年に一度の祭りがある。
周年祭。
ケアギルド創設の日を祝う、年に一度の特別な行事だ。
普段なら訪問班は訪問先へ向かい、施設班は利用者の生活を支え、地域支援班は街を駆け回っている。
それぞれが別々の場所で、別々の仕事をしている。
だが、この日だけは違った。
廊下を歩けば誰かが荷物を運んでいる。
倉庫を覗けば備品の確認をしている職員がいる。
会議室では打ち合わせが行われ、普段は顔を合わせる機会の少ない職員同士が慌ただしく行き交っていた。
普段は静かなケアギルドの中に、祭り前特有の浮ついた空気が満ちている。
利用者に楽しんでもらうための祭り。
そして。
職員自身も楽しむための祭りだった。
そんな周年祭には、毎年一つだけ伝統がある。
一年目の新人が実行委員長を務めること。
「嫌です」
「却下」
即答だった。
アリアは机に突っ伏した。
額が机にぶつかる。
痛い。
だが、それ以上に現実が痛かった。
「なんで私なんですか!」
ギルド長は書類を一枚差し出した。
そこには大きく。
『周年祭実行委員長』
と書かれている。
「他にも新人はいますよね!?」
「いるな」
「じゃあなんで私なんですか!」
ギルド長は書類から目を離さない。
「適任だと判断した」
「絶対違いますよね!?」
「違わない」
「説明してください!」
「嫌だ」
「そこは嫌なんですか!?」
ギルド長は答えなかった。
アリアは頭を抱える。
嫌な予感しかしなかった。
◇
それからの日々は地獄だった。
朝、出勤する。
机の上には新しい書類が置かれている。
昨日片付けたはずなのに増えている。
気のせいではない。
確実に増えている。
会場確認。
利用者席確認。
出演者確認。
備品確認。
進行確認。
資料確認。
確認。
確認。
確認。
気付けば机の上には紙の山ができていた。
「もう嫌です……」
廊下を歩きながら呟く。
実行委員長というより雑用係だった。
いや。
雑用係の方がまだ楽かもしれない。
その時だった。
「あ」
思わず声が出る。
廊下の向こうをギルド長が歩いていた。
珍しい。
普段なら執務室に籠もっていることが多い人だ。
◇
翌日。
倉庫。
ギルド長がいる。
◇
翌々日。
ステージ。
ギルド長がいる。
◇
さらに翌日。
利用者席。
ギルド長がいる。
◇
また翌日。
出店予定地。
ギルド長がいる。
◇
「暇なんですか?」
思わず聞いた。
「忙しい」
即答だった。
「絶対楽しみにしてますよね?」
「していない」
「嘘です」
「嘘ではない」
ギルド長は客席配置図を見ていた。
真剣な顔だった。
利用者の導線。
車椅子席。
介助スペース。
避難経路。
赤いペンで何度も線を引き直している。
祭りだから浮かれているわけではない。
利用者が安全に楽しめるか。
その一点だけを見ているようだった。
それでも。
ほんの少しだけ。
本当に少しだけ。
口元が柔らかい気がした。
「楽しみにしてますよね?」
「していない」
「今、二回目ですよ」
「そうか」
絶対している。
アリアは確信した。
◇
準備は順調だった。
問題があるとすれば。
出演者だった。
「エレノアさん」
施設の中庭では、エレノアが日向ぼっこをしていた。
柔らかな陽射しを受けながら、気持ち良さそうに目を細めている。
エルフの老婆。
五分ほどしか記憶を保てない認知症を抱えている。
それでも。
彼女は今日も穏やかに笑っていた。
「なぁに?」
「周年祭なんですけど」
「周年祭?」
「お祭りです」
「あらぁ」
エレノアは嬉しそうに笑った。
銀色の髪が風に揺れる。
長い年月を生きてきたエルフらしい、穏やかな笑みだった。
アリアも少し笑う。
やはり祭りという言葉は強いらしい。
年齢も。
病気も。
ほんの少しだけ忘れさせてくれる。
「ステージに出ませんか?」
「ステージ?」
「歌です」
「歌?」
エレノアは少しだけ考える。
そして。
「出てみようかしら」
あっさりと言った。
アリアは少し迷った。
本当に誘って良かったのだろうか。
本人の負担になるかもしれない。
練習だってある。
本番だってある。
人前に立つのは想像以上に疲れる。
そんな考えが頭をよぎる。
すると。
エレノアが首を傾げた。
「ダメかしら?」
少しだけ寂しそうな声だった。
アリアは慌てる。
「いえ!」
「大丈夫です!」
エレノアは嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、出てみようかしら」
五分後には忘れてしまうかもしれない約束だった。
それでも。
今この瞬間だけは、本当に楽しそうだった。
その笑顔を見て。
アリアも少しだけ安心した。
◇
職員達は心配した。
「大丈夫ですか?」
「途中で忘れません?」
「緊張しませんかね……」
悪意はない。
純粋な心配だった。
だが。
リナだけは肩を竦めた。
「本人がやりたいって言ったんでしょ?」
それだけだった。
「でも……」
「本人が決めたことよ」
リナは書類から目を離さない。
「それでいいじゃない」
短い言葉だった。
だが。
アリアには妙に納得できた。
守ることと。
奪うことは違う。
そんな気がした。
◇
そして。
周年祭当日。
会場には色とりどりの旗が飾られていた。
風が吹くたびに布が揺れ、空を彩る。
出店が並び、焼き菓子の甘い香りが漂っている。
利用者達の笑い声。
職員達の呼び声。
どこかで笛の音も聞こえた。
普段のケアギルドとは思えない。
病気も。
障害も。
老いも。
そんな言葉を少しだけ忘れられる場所。
今日だけは。
ここは祭りの会場だった。
「まだ始まらないのか」
不満そうな声が聞こえた。
古竜だった。
最前列。
一番見やすい席。
なぜか腕を組んでいる。
「始まってませんから」
「遅い」
「まだ十分前です」
「遅い」
子供か。
アリアは呆れた。
◇
やがて。
開会式が始まる。
司会が声を上げた。
「それでは!」
「周年祭開会宣言を!」
「実行委員長、アリア・エイルさんにお願いします!」
拍手。
視線。
視線。
視線。
利用者達が見ている。
職員達も見ている。
ギルド長も。
リナも。
古竜まで見ている。
逃げたい。
今すぐ逃げたい。
実行委員長なんて引き受けるんじゃなかった。
引き受けてないけど。
それでも。
ここまで来たらやるしかない。
アリアは大きく息を吸った。
肺が苦しい。
心臓がうるさい。
緊張で手のひらが汗ばんでいた。
だが。
利用者達が待っている。
職員達も待っている。
ここまで準備してきた自分自身も待っている。
だから。
アリアは腹を括った。
「しゅ、周年祭を!」
一拍。
「始めましゅ!!」
静寂。
一秒。
二秒。
三秒。
次の瞬間。
会場が爆笑した。
利用者達が笑う。
職員達も笑う。
古竜まで笑っていた。
アリアは思った。
死んだ。
久々に死んだ。
社会的に死んだ。
「笑わないでください!」
真っ赤になって叫ぶ。
会場はさらに笑った。
ギルド長だけが真顔だった。
だが。
肩が少しだけ震えていた。
笑っている。
あの人。
笑っている。
「ギルド長!」
「気のせいだ」
「私は何も言ってません!」
会場の笑い声はしばらく止まらなかった。
そして。
そんな最高の開幕と共に。
周年祭が始まった。
【前編 終】




