邂逅のソネット(1)
セリアは東方の山岳地帯にある地方都市『エーデルハイム』へやってきた。
年々活発化する魔獣の動向について、リシュアンが先見を得たからである。
東方地域は険しい山岳を背面に置いて、他国との境海が広がっている。山岳には大型魔獣の山嶺竜・アルヴァ=ドラグが鎮座し、境海にはリヴァイアサンが棲むという二大ドラゴン生息地。
ただこれら魔獣のおかげで東側の国境が守られているという側面や、古くから地域の信仰対象でもあるため、国軍は討伐対象としていない。
エーデルハイムに到着すると、都市の中でも老舗のホテル『白鹿宮』を拠点とした。
その日の夜は、ホテル自慢の天然温泉に浸り、レストランでご当地メニューのコースを味わった。
英気を養い、彼女はユリウスを伴って山岳の王、アルヴァ=ドラグが縄張りとする一帯に立ち入り、巨大な洞穴の巣を覗き込んだわけだが……。
「お嬢様。殿下ご懸念の件、アルヴァ=ドラグは目覚める気配はございませんでしたね」
巣穴を離れて山岳を駆け降りた先で、セリアは来た道を軽く見上げて執事に返事する。
「ドラゴンの目覚めは世の乱れの始まりだもの。殿下のご懸念を密かに晴らすため……いえ、お心を軽くして差し上げるために私という剣がいるのよ」
もし、本当に竜が目覚めかけているのであれば、その場でリシュアンに祈りを捧げ、彼の聖女の力によって再び深い眠りへと誘う手筈だった。
「杞憂で済んだことは僥倖よ」
さて、とセリアは一息つくとユリウスに告げる。
「安心したところで、お茶にしましょうか」
「かしこまりました」
執事は丁寧に礼をすると、背負っていた荷物を下ろす。テキパキと小型の椅子と机を組み立て、ホテルから持参してきたポットや食器、お菓子を素早く広げる。
古代遺跡やその残骸が転がる深い森で始まるお茶会。セリアは東方の茶葉の香りを楽しむ。
「う〜ん、古の遺物に思いを馳せつつ飲むお茶は、なんとも形容しがた情緒とロマンに溢れているわ」
気分よく再びカップに唇を近づけようとした時だった。
机や食器がカタカタと小刻みに揺れ始める。
次第に揺れは大きくなり、そこに地鳴りが追いかけてくる。
セリアはそのままの姿勢で地鳴りする方角に目を向けると、茂みを掻き分けるようにして小柄な子供がこの場に飛び込んで来た。
8〜9歳ほどの男児だ。
子供は呼吸を荒くさせながらセリアたちの存在に驚き、一瞬異様、または戸惑う表情を見せたが、すぐに焦り顔で声を張り上げる。
「逃げて!危ないよ!魔獣アイアンボアの群れが向かってきてるんだ……!」
「……アイアンボア?」
何かしら?
セリアはカップを持ったまま側の執事を見上げると「この森に棲まう巨体のイノシシのことかと」と返答する。
「イノシシ。そう」
静かに頷く。
ふたりは至って冷静だ。子供は焦れる。
「早く!本当に危ないんだって!あいつら一度走り出したら止まらないから!」
その言葉と同時に、イノシシの群れが別の角度から茂みを踏み越え、文字通り猪突猛進してくる。
「ああ、言わんこっちゃない!この人たちを守らないと!ぼくがやるしかない!」
セリアたちに警告をした子供が、手にしていたなけなしの木剣を構える。……が。次の瞬間、子供の前にたくさんのレースとフリルで飾られたドレスの影が舞った。
「私のお茶会に、無粋なお客様の立ち入りはお断り申し上げるわ」
蝶の羽のような紋様のパラソルを振り上げ、目にも止まらぬ速さで暴走するイノシシの群れに次々と一撃を加えるセリアがいた。
イノシシの群れはセリアに弾き飛ばされて、か弱い子豚のような声をあげて気絶し、なす術なくその場に転がっていく。
だがその中で錯乱した数頭が子供へと向かう。
「させない」
セリアは横目にソニックブレードを放とうとしたが、その必要はなかった。
セリアの尋常ならざる動きにぽかんとしていた子供は、はっと我に返ると身軽にイノシシの突進を避け、数頭の眉間へ木剣を巧みに叩き込む。子供とは思えぬ鋭くもその的確な殴打に、イノシシ数頭は白目を剥いて倒れ込んだ。
「……や、やった……倒した……!」
緊張してこわばっていた顔を崩して、子供は興奮気味に呟いた。
「お見事。素晴らしい太刀筋ね」
セリアは拍手を送りながら近づくと、子供は彼女を改めて見た。
そしてぱっと笑顔を浮かべる。
「あなた、すごいね!どうしたらあんなふうに動けるの?!その傘だけでアイアンボアの群れを黙らせちゃうなんて!」
歳の頃は15、6歳。見るからに貴族令嬢だが、山岳地域やエーデルハイムの都市部に暮らす貴族にはない匂いがした。
「あなたは貴族でしょ。貴族のお姫様は、みんなあなたのように強いの?!」
好奇心いっぱいに目を輝かせ、矢継ぎ早に問いかけてくる子供の勢いにセリアは微苦笑する。
「みんな……ではないかもしれないわね。でも令嬢たるもの、護身は大切よ」
したり顔の主人にユリウスは内心で、護身も何も、単に暴れたかっただけであることを見抜いていた。
そこまで話して、子供ははたと現実に戻る。
「……っていうか、魔獣もたくさんいるのに、……お姫様はこんなところで何をしてるの?貴族なんて滅多とこないのに」
子供は今更ながらセリアに問いかけてくる。
「見聞を広めるために山岳地域を訪れているの。散策をお休みして、お茶を楽しんでいたのよ」
「お茶?こんなところで?」
確かに簡易的なテーブルセットの上には、貴族趣味の食器や菓子が並んでいた。
「……変な人」
子供の素直な感想にセリアは微笑み、そして言葉にならない既視感を覚えた。
この子供の面差しになぜだか親しみを感じたのだ。
私はこの子を知っている?……いいえ、そんなはずはないわよね。
「……それであなたは……」
彼女が子供自身のことを尋ねようとすると、破壊された茂みのそばから、新たな人物が駆け込んでくる。
「ノア!」
「あ、爺ちゃん!」
現れたのは壮年の男性だった。
その男性は狩人か、がっちりとした体格で口髭を深く蓄え、背中には弓、腰には剣を携えている。装備は身軽な革装備だけではあるものの、貫禄のある人物だ。
「ひとりで勝手に駆けていきおって!ワシのそばから離れてはならんといつも言っておるだろうが!」
「ご、ごめんなさい。アイアンボアの数が多かったから、爺ちゃんひとりじゃ危ないと思って……」
「だから小石を投げて自分に注意を向かせたのか。愚か者め!」
ノアと呼ばれた子供は男性の剣幕に小さくなってあやまる。
そこでセリアはなんとなく事情が読めた。
彼らが山に入った後、なんらかの事情で巨体の魔獣イノシシの群れと遭遇し襲われそうになったが、子供が機転をきかせて小石を投げ、イノシシの注意を引いた。ところが大半の群れが子供めがけて走り出し、慌てて逃げている最中にここでセリアたちと鉢合わせすることになったのだろう。
男性は周辺に散らばる気絶した巨体のイノシシたちの姿に戸惑いながら、セリアとその執事に目を向ける。
土地の者でないことは一目瞭然。都会の貴族令嬢が煌びやかなドレスを着て遊びに来るような場所ではない。
森の魔獣たちに落ち着きがなかったのは、彼らの影響ではないのか……?
彼は当然、警戒をする。
気配を察してノアが間に入る。
「あ……!このお姫様がアイアンボアを倒してくれたんだよ!一瞬で!僕も、ちょっとだけ倒したんだ!」
「……倒した……?」
男性は怪訝に眉を寄せた。セリアは微笑んで口を開く。
「ごきげんよう。私の名はセリア・エストレラ。こちらは執事のユリウス。見聞を広めるために、王都より東方へ参りましたの」
「エストレラ……」
男性の口が小さく反芻するのを見逃さなかった。
すぐに彼は挨拶をする。
「私はガレス。森の番をまかされております。……失礼ですがご令嬢、あなたがこのイノシシたちを……?」
「いいえ、まさか!私の執事は手だれですのよ」
ふふと口元を押さえると、子供、ノアは「え?」と顔を上げた。
嘘をついたセリアを不思議そうに見つめるノアに目を向け、男性は息をついた。
「そうですか。孫がご迷惑をおかけいたしました。それから……孫の危ういところを執事殿にお助けいただいたようで、感謝いたします」
ガレスはセリアに頭を下げる。
「ですが、ここは小型や中型の魔獣の住処の森です。貴族のご令嬢が気まぐれに踏み込んではならぬ場所。お早く街へお戻りなさい。森の入り口までご案内しよう」
彼は早くここからふたりを立ち退かせたいようだ。
それはそうだろう。ガレスからすれば、セリアと執事は場違いの異物だ。
「ええ、そうですわね。お日様も傾いていますし……。お願いいたしますわ」
セリアは素直に応じた。
ガレスに先導してもらいながら、一行は森の入り口を目指す。
「……それでね、爺ちゃんとふたりで暮らしてて、普段は森の番をしながら、遺跡探索をする人たちを道案内したり、護衛をしたりするんだ。キノコや山菜、薬草を集めて、近くの集落に売りに行ったりもするよ。今回はたまたま魔獣の群れに遭遇しちゃったんだ。でも森はアルヴァ=ドラグの領域だから魔獣をむやみに殺しちゃいけないんだって。竜は神様みたいなものだから魔獣を倒しすぎると、竜が怒って目覚めちゃうって昔から言われてるんだよ」
ノアはセリア相手に夢中になって話をする。
相手が貴族であることなどお構いなし。最初こそガレスも無礼を嗜めたが、他者との関わりが少ない暮らしの影響か、おしゃべりが止まらないようだ。
セリアはノアのお喋りに頷いて付き合う。
「あなたも大人になったら、お祖父様のように森の番人になるのかしら?」
「……うーん。まだわからない。でも、」
ノアは先を行くガレスに悟られぬように小声で続ける。
「ぼくは騎士になりたいんだ」
「騎士に?」
セリアも同じように声をひそめる。
「うん。国軍に入って、近衛騎士になりたいんだ」
「まぁ近衛に?……どうして?」
近衛騎士は、王宮近衛騎士団に属する者だ。
王都第一騎士団から選ばれた者たちで構成されている。いわば、エリート中のエリート。
そのほとんどは貴族出身者だが、一般層からの叩き上げがいないわけではない(ただし、想像以上に狭き門である)。
「だって近衛騎士は、竜騎兵なんでしょ?飛竜に乗れるなんて、かっこいいもん」
子供らしい発想にセリアは「そうね」と笑みが溢れた。
飛竜は聖獣であり、王権の象徴でもある。
近衛騎士はその希少な小型の飛竜に騎乗することが許されている。
騎士物語でも竜騎兵は花形として描かれる作品は多く、子供が憧れる気持ちはよくわかる。
「竜騎兵になるのであれば強く、賢くなくてはね。剣のお稽古はお祖父様につけていただいているの?」
「うん。剣の稽古はすごく楽しいよ。さっき、アイアンボアを倒した時……怖かったけど、すごく楽しかった!強くなるって、楽しいね!」
ノアはマメだらけの小さな手のひらに目を落とす。
「でも、爺ちゃんは騎士になることを許してくれないんだ。……爺ちゃんだって、昔は教会の騎士団長だったみたいなのにさー」
セリアの眉が少し動く。
「教会の……?」
「うん。昔のことはあまり話してくれないけど」
教会には国軍から独立した独自の騎士団が存在する。それが『神殉騎士団』だ。
神の意にのみ恭順し、王家には従わない。そして、彼らの歴史は常に血塗られている……。
ノアのいうことが本当であるなら、騎士団長までつとめた人物が、王都から遠く離れた東方地域の森の番人としてひっそりと孫と暮らしていることには、少々違和感がある。
「ねぇ。お姫様はすごく強いのに、どうして爺ちゃんに嘘をついたの?」
「それはね、令嬢は大人の殿方の前ではか弱いふりをしていなければならないの。でないと、殿方の立つ瀬がなくなってしまうでしょう?」
「……ふーん。強いことを隠さなきゃいけないなんて、貴族のお姫様って大変なんだね」
腑に落ちない声音のノアだったが、すぐに名案を閃く。
「そうだ!おとなになったら、ぼくをお姫様の騎士にしてよ。お姫様くらい強い人のところなら、爺ちゃんも許してくれるかも」
「あら、私の騎士になりたいの?素敵な申し出ね。でも残念ながら私兵を抱えてはいないの」
「ノア!いい加減にしないか!ご令嬢を困らせるんじゃない」
しっかり聞こえていたらしいガレスが振り返ってノアを叱りつける。
「申し訳ありません。子供の戯言と受け流してください」
「ええ、心得ていましてよ」
セリアは頷いた。
「……ちぇ……つまんないの……」
ノアは小枝を蹴って唇をとがせた。
セリアは微苦笑して別の話を振る。
「ねぇノア。ある方へのお土産に、エーデルハイムで薬湯に使える薬草を購入しようと思っきているの。いいお店を知らないかしら?」
「薬湯?ああ、青霧草のことだよね。それならぼくがここで取ったものを分けてあげられるよ!」
「まあ、本当?嬉しいわ」
「先に行って、用意してくるね!爺ちゃんと僕の小屋は、もうすぐそこだから!」
「こらノア!ひとりで先に行くんじゃない……!」
「大丈夫!もう寄り道しないから!」
ガレスの心配をよそに、ノアは転がるように森の入り口へと駆けていく。
「まったく……。孫が騒がしくして申し訳ございません」
歩みを止めて嘆息混じりにガレスはセリアに詫びた。
「いいえ、楽しくお話しさせていただきましたわ」
「そう言っていただけると助かります」
セリアは微笑んで続ける。
「ガレス殿は神殉騎士団に属してらしたの?騎士団長までつとめられたとか」
それとなく踏み込むと、彼は一瞬黙り、そして。
「孫の戯言です。どこかでつまらぬ噂話を拾ってきたのでしょう。困ったものです」
と、返してきた。
「そうでございますか。失礼致しましたわ」
「いえ」
「ノアは騎士になりたいそうですけれど、反対を?」
「あれにそのような資質はございません。……そのような夢など、持つべきではない」
「…………」
ただの否定ではなく、その声音には別の重い感情が混じっているように感じてセリアは黙る。
そうしているうちに、森の入り口付近に立つ小屋の前までやってくる。
するとノアがちょうど飛び出してきて、腕いっぱいに乾いた薬草を抱え、セリアに手向ける。
「はい、お姫様。これをあげるよ」
「……まあ、こんなにもたくさん……」
「街の薬草売りは割高で、質もあんまりよくないんだ。これは全部ぼくが集めたものだから、ズルはないよ。持っていってよ!」
邪気のない顔でセリアに差し出す。
ちらりとガレスを見やると、了承するように頷いた。
「ありがとう、ノア。大切に使わせていただくわ」
ユリウスが受け取る。
ここで金銭を彼に渡すのはあまりに貴族的、そして人として無粋だ。
セリアは少し考えると、手にしていた小さなバッグから刺繍の入ったハンカチを取り出す。
「お礼にこれを。私の家の紋章が入っているの。これも何かの縁……ガレス殿も含め、何か困ったことがあったら、エストレラ領を訪ねてらっしゃい。このハンカチは身の証明になるわ」
「え……っ、いいの?あ、ありがとうお姫様。うわー、すごく綺麗なハンカチだね。宝物にするよ」
返礼など期待していなかったノアは、シミひとつない白いハンカチを汚さないように受け取り、嬉しそうに広げてセリアを見上げる。
その表情は、やはりセリアが知る誰かに似ていた。
微かな引っ掛かりを覚えつつ、背後で戸惑うガレスにセリアは告げる。
「ガレス殿、夢は持ってもいいのでないかしら。苦しい時、夢は希望となって、前進するための杖になってくれることもある」
どんな事情があろうとも。
「これは世間知らずの貴族娘のお節介と、呆れてくださって結構よ」
セリアは微笑み、ノアに軽くお辞儀をする。
「では。おふたりとも、ごきげんよう」
「さようなら、お姫様!また来てね!」
セリアたちが見えなくなるまで、ノアは健気に手を振ってくれていた。
更新まで間が空いてしまいました。お待ちいただいた読者様がいらしたら、申し訳ないです(汗)。
完結まで大エピソードとしては残り2つなのですが、その前にこのエピソードを差し込んでおきたいと感じました。
このエピソードは全2回です。
この更新を機会に、あらすじ(紹介文)を変更しました。




