間奏曲(インタールード)2:An Inconvenient Truth/不都合な真実
夢の始まりと終わりはいつも曖昧だ。
混沌としていた意識が鮮明になるにつれ、セリアの目の前には紅蓮の空と、焦土と化した大地が広がっていた。
あらゆる生物は腐り、辺り一帯は腐臭と瘴気で充満している。
夢の中とは思えぬほど現実味を帯びたそれにセリアは顔を顰めた。
強い刺激臭は苦々しい懐かしさと共に、かつての感覚が蘇えらせる。
これは魔王によって穢され、魔獣が跋扈蹂躙した土地の末路。
セリアの前世、勇者カレルレイスの魂にこびりついて剥がせない記憶が再現されている。
「……なんて嫌な夢……」
一兵士から聖女の剣となり、勇者を名乗るようになって久しく、カレルレイスは幾度となくこの腐った世界を切り開き、元凶となる魔獣を探して歩いた。聖女が腐った土地を浄化するためには、元凶を排する必要があったからだ。
運が良ければ、魔獣ではなく厄災そのもの……魔王と対峙することもできる。
奴さえ倒せば、全てが終わる。
先の見えない戦いの中で、唯一確かな希望。確信。
聖女の護符がなければ自身すら無事ではない瘴気に冒される道のり。
どこから来たのかはわからないが、どこへ向かっているのかは知っている。
「この道に退路はない。だったら、進むしかない……」
腐り落ちた生命でぬかるみ、足を取られながらも前へ前へと進む。
まるで通過儀礼のように。
たどり着いたのはヘドロが堆積した湖畔だった。
かつては澄んでいたであろう湖は、どす黒い澱で水底を失い、ふつふつと沸騰するように瘴気が噴き出している。
セリアが到着するのを待ち構えていたかのように、澱は瘴気と共に大きく膨れ上がり、人の形をした何かが現れた。
長身で、外套を引きずるようにして立つその姿……そのその造形には見覚えがある。
ひたすら追いかけ、探して、戦い、まさに死に物狂いで討ち取ったモノ。
セリアは不愉快に眉を寄せて、口を開いた。
「……お前か、厄災」
声をかけると澱の奥から顔が浮かび上がる。青ざめて頬は痩け、目が落ち窪んだ髭面の男。白髪混じりの乱れた前髪の間から、裏側からぎょろりと白目を回し、彼女を見据える。
男は浅く笑う。
「会えて嬉しいよ……勇者カレルレイス」
「お前のことなど思い出したくもない」
「つれないことを言うな。幾度も対峙した仲ではないか」
「お前との戦いのせいで、転生をしてもまだこんな世界を夢に見る。迷惑だ、失せろ」
セリアの口調はカレルレイスのそれへと戻っている。
「バカを言うな。これはお前が好んで見ている世界だ。俺という存在はお前が作り出した幻。どうしてお前に干渉できる?ここへ自ら赴いたということは、運命を受け入れる気になったということだろう。なぁ、カレルレイスよ」
「運命?何を言っている。俺の運命は聖女の剣として再び芽吹く厄災に備えること……そして殿下をお守りすることだ」
鋭い口調で告げると、男は可笑しそうに顔を歪め「道化だな」と肩をすくめた。
「何がおかしい」
「ふっ、聖女の剣となって再び厄災に備えるだと?バカな奴だ。いつまで聖女の剣のつもりでいる?お前はもう勇者などではない。忘れたふりをして真実から目を背けるな、カレルレイスよ」
「……何を……」
「かつてのお前は何のために聖女のそばから離れた?望めば領地を与えられ、侯にも伯にもなれたはずだ。だがお前は隠遁を望んだ。ただひとり、孤独に生きるて死ぬことを選んだ。それはなぜだ?」
「……それは、」
「高潔さを求めたからではあるまい。お前は己が何者か知っていたからだ。聖女を思ってのことではない。お前がただ、お前自身の変容を恐れたからだ」
「ち、違う」
「何が違う。自分を誤魔化すな。お前は勇者などではない。聖女の剣でもない」
「違う、違う違う、俺は、まだ聖女の剣だ……!」
「女の身に転生したとてさだめからは逃れられぬぞ。かつての俺がそうだったように、お前も同じ道を辿るのだ」
「違う、違う違う、違う!俺は……わ、私は……アレアナ様の……リシュアン殿下の……剣……お前と同じなどではない……!」
「思い出せ、カレルレイス。お前は、『何者』なのかを」
「……くっ、黙れ!それ以上言うな……!」
男の言葉にカレルレイスの魂の根底にあるものがぐらぐらと揺らぐ。
なぜこれほどまでに動揺しているのか、セリアにはわからない。カレルレイスの魂の動揺が彼女にも振動となって伝わる。
カレルレイスは何かにひどく怯えている。
怖いものなどないはずの最強の彼の恐怖とは?
直視してはいけない『真実』。
必死に目を背けているその『因果』。
「……カレルレイスが忘れることを選び、私が思い出していないことが……あるの……?」
だとしたら。それは、一体何なの……?
カレルレイスが鍵をかけて奥底へとしまい込んだ記憶にセリアが意識を凝らしかけた、その時。
彼女の首にかかる聖女の……リシュアンの護符が光を放つ。
途端、紅蓮の空に大きく亀裂が走る。そこから一羽の白い梟が破鏡音を響かせ現れた。
同時に、清浄なる明光が紅蓮の世界を照らした。
まばゆい光りに目を細め、男は舌打ちをする。
「……来たか、聖女め」
梟は少年の姿へと変化し、ふわりとセリアの元へと舞い降りる。
聖女アレアナの生まれ変わり、聖人リシュアンが顕現した。
「セリア、探したよ。こんなところにいたのだね」
「……リシュアン、殿下……」
ぼんやりと名前を呼ぶと、彼は微笑みながらそっと背後から片手でセリアの瞳を覆い、耳元で優しく囁く。
「セリア、あれの讒言に惑わされてはいけない。あれは君を内側から蝕む毒だ。君はこんなところにいてはいけない」
「殿下、私は……」
「大丈夫、君は道に迷ってしまっただけだ。僕が美しいところへ連れて行ってあげるよ。だから……お休み、セリア。全てを忘れて……深く」
リシュアンの言葉はセリアに染み渡り、カレルレイスの魂ごと柔らかく眠りへと誘った。
……ああ、これは魔法だ。
抗いがたい心地よさに導かれてセリアはまどろみ、緩やかに意識を手放した。
崩れるセリアをリシュアンは抱き止めて、包み込む。
次に、男に目を向けた。
「こんなところまでやってくるとは。ご苦労なことだ、聖女アレアナ」
「…………」
「護符を与えてカレルレイスの精神を監視とは、趣味がいいな。だが、そうと気付きながらも、すぐには介入しなかったな?相変わらず小賢しい女だ」
男の嫌悪に満ちた皮肉にリシュアンは動じない。
「様子を見たのは、お前と一度言葉を交わしておいた方がいいと判断したからだ。厄災……いや、魔王よ」
リシュアンは男を呼ぶ。
「転生してもなお、お前との因果が断てぬのであれば、向かい合うしかあるまい」
「くくく……この因果を作り出したのはお前ではないか聖女よ。俺との戦いでカレルレイスは幾度も四肢を砕かれ、闇に焼かれて魂をすり減らし、死の淵に立った。そのまま死なせてやればよかったものを、お前は奴を蘇らせては際限なく俺へと向かわせた。次第に奴の精神が闇に染まっていくことに気付きながらも、だ」
「…………」
「怪物へと化す勇者を眺める気分はどうだった?お前が奴を死なせてやらなかったのは、世界を救うという大義名分だけじゃないことを俺は知っているぞ。お前は恐れたのだ、奴を失いただひとりで俺に立ち向かうことを。ひとりで世界を立たされることを。お前は聖女などではない。お前は小賢しく矮小で卑怯な魔女だ」
嘲笑う男の言葉をリシュアンは眉ひとつ動かさず受け止めて、静かに告げる。
「お前の言いたいことはそれだけか」
「……何……?」
リシュアンはゆっくりと瞬きをして、続ける。
「その程度の戯言で私を揺らせると思ったか。ああ、そうだ。お前の言うとおり、私は……アレアナはひとりになることをおそれた。カレルレイスを失い、ただひとりでお前に立ち向かうことを。だから、彼にとって死が解放と知りながらも何度も蘇らせ、戦わせた。それは彼女の罪だ。言い訳はしない」
蘇るごとにカレルレイスが狂い、怪物へと近づくことに気付きながら、アレアナは知らぬふりをし続けた。
彼女もまた、極限の戦いで壊れかけていたのだ。
その狂いの中で、愛情という名の共依存がかろうじてふたりに正気を保たせていた。
「お前を斃せば全てが終わると思っていたが、そうではなかった。お前の死は、新たな物語の始まりに過ぎなかった。……その因果を作り出したのは、カレルレイスにお前を討たせたアレアナなのだろう。否定はしないよ。魔王と成り果てたお前も、そうだったのだろうからね……勇者ナザレイム」
リシュアンは魔王の名前を呼ぶ。ナザレイム、それが厄災となった魔王の名。
忌み名として忘却された、どこかの世界で語られた名前だ。
「……貴様……」
忌まわしい呼び名に魔王は不穏な空気を纏わせたが、リシュアンは構わず指摘する。
「先ほどの嘲りはさしずめ、お前と旅をした聖女への怨嗟なのだろう?狂気から恨みを募らせ、衝動のままにお前はお前の聖女を討った。だから魔王などに堕ちたのだ。だがカレルレイスは、アレアナを討ちはしなかった」
現実では盲ている眼差しを鋭く男へと向かわせる。
「セリアをお前のようにはしない。私が因果から遠ざける。アレアナの罪は私が雪ぎ、セリアの心を守る。……必ず」
リシュアンが片手をかざすと、聖女の聖杖が召喚される。
「私の覚悟、お前には伝えておきたかった。話せてよかったよ、ナザレイム」
リシュアンは小さく微笑むと、すっと表情を戻して念じる。
「セリアの夢の世界に、穢れたお前は相応しくない。ここから去ね、セリアに仇なす黒影よ」
彼の祈りに呼応するように杖は発光し、瘴気が立ちこめる腐った世界を浄化しはじめる。
聖なる浄化の光りに晒されて、男の体は泥となって朽ち始める。だが穢れた口はなおも動く。
「愚かな魔女め。俺の存在は鏡にすぎない。この汚濁も奴の抱く世界のひとつ。消すことなどできない。奴が生き続ける限り、俺という影は存在する!お前がどう足掻こうとも、カレルレイスは魔王となるさだめなのだ……!」
「幻のくせによく回る口だ。セリアは魔王になどならない。何度も言わせなるな……下郎め」
ここで初めてリシュアンは薄っすら眉をひそめる。……と、浄化の光りは増し、男は腐敗する世界ごと潰れて消えた。
空白と、沈黙がやってくる。
リシュアンはそこに優しい色彩の花畑を作り出し、青い空に雲を浮かべ、小鳥の囀りと、花から花へと旅する蝶を舞わせた。今のセリアには、この世界の方が似合いなのだ。
腕の中で眠るセリアの白い面差しに目を落とし、そっと瞳を伏せた。
「……ごめんよ、セリア。世界がどうようにして魔王を作り出すのか……その仕組みを知っていたのなら、僕は……アレアナは君を戦わせはしなかった。世界が滅んでも、戦わせはしなかったよ」
教会や為政者たちが隠す、不都合な世界の真理。因果。
魔王を斃した勇者が、時空を超越して次の魔王となる。残酷で、理不尽な世界の摂理。
「我らが討ち取ったあの男も、かつては勇者として魔王と戦った者だった。そして……魔王の因果を得た」
誰もが困難を忘れた頃に厄災は萌芽し、世界は斜陽を迎え、不毛な戦いが繰り返される。
勇者は戦いの中で次第に精神を蝕まれ、いつしか狂人となり、魔王という最大の障壁を失った後は、怨嗟を募らせ聖女を殺す。
魔王へと至る最後の引き金は、聖女をその手にかけること。
討ち取る寸前、カレルレイスはナザレイムに囁かれたのだ。己が次代の魔王の器となることを。
吹き込まれた因果はナザレイムの姿を借りて、カレルレイスの潜在意識で生き続けている。ことあるごとに唆し、追い詰めて魔王への覚醒を促す。
お前の聖女を弑逆せよと。
「……カレルレイスは、アレアナから離れるしかなかった。ナザレイムの影と狂気に呑まれてアレアナに手をかけることを何よりも恐れて。隠遁したのは、ひとりで因果を終わらせるためだった」
カレルレイスがひっそりと世を去った後、アレアナは廃棄されるはずだった彼の手記を目にして真実を知った。リシュアン自身、前世の彼女と邂逅を果たすまでは埋もれていた記憶だったが……。
「カレルレイスが世を去っても、因果は消えなかったのだね。僕たちはこうして転生し、また巡り合った」
どうあっても、因果からは逃れられない。
あれの言うとおり、僕は聖人とは程遠い、矮小で卑怯な魔女だ。だから。
「僕は君の目を塞ぎ、不都合な真実を覆い隠す。偽りの安寧で構わない……僕と添い遂げようよ、セリア。思い出してしまったら、君は僕を置いてまた遠くへ去ってしまうのだろうから」
それとも、逃れられぬ因果を悲観して命を断つだろうか?
「君が自死を選べば、因果は僕に至るのかな?……それもいいだろう。君なき世界で、清く生きても仕方がない。僕は喜んで、悪逆の魔女となろう」
そうして新たに立つ勇者と聖女に斃され、君の因果が昇華するのならば本望だ。
穢れてしまった僕は、転生叶わず、二度と君と巡り会えなくなったとしても……。
「僕は、君を想い続けるよ」
細い指でセリアの髪を撫でていると、セリアの瞼が震える。
もうすぐ彼女はリシュアンによって作り直された夢の中で目覚める。
ナザレイムの言葉も、因果への疑問も忘れ。
リシュアンは彼女の瞼が開かれるのを静かに待つ。
悲壮な覚悟は微塵も滲ませない、美しく柔らかな微笑みを湛えて。
怪物と戦う者は、その過程で自らが怪物とならぬよう心せよ。
お前が長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくこちらを見返すのだ。
ニーチェ著『善悪の彼岸』より
このエピソードは物語的にも大事なファクターです。やっと出せたってかんじですね(汗)。
セリアさんが見ているのは表の世界、リシュアン様が見ているのは内側の世界。
リシュアン様のいる物質世界の安寧を守るのがセリアさんなら、彼女の精神世界を守るのがリシュアン様という役割の違い。
そんな感じで、2つのストーリーを並走させているという、案外複雑な構成です。
今回のエピソード更新で、8万字をこえました!(やったぜ!)
個人的には15万字以内で終わらせたいです(できれば12万字強くらいで……)。
現状では月1回更新の状態になっておりますが、完結というビクトリーロードを駆け抜けられるように、応援をよろしくお願いいたします(平伏)。




