邂逅のソネット(2)
ホテルに戻り、温泉にゆったりと浸かって、夕食を部屋で済ませる。
食後の軽い飲み物をユリウスがセリアの前に用意するタイミングで、彼女は口をひらく。
「ねぇユーリ。あなたは、暗殺者として強くなることが楽しいと感じたことはある?」
ノアがくれた薬草をひとつ手に取り、香りを確かめる。
主人の問いかけに、ユリウスは姿勢を戻して答える。
「いいえ。強さとは、生きることでございましたから」
執事の返答にセリアは「そうね」と同意する。
「私も……勇者にとって、強さとは死なないことだった。奴に勝つことだけが全てだった。強さと引き換えに四肢を焼かれ、筆舌に尽くしがたい苦痛ばかりを味わった。楽しいと思えたことなんて、一度もないわ」
強くなることが楽しいと純粋に語ることができるノアが眩しい。
「羨ましいわね。私も出来ることならば、そう言ってみたかった」
「…………」
セリアが記憶の中のカレルレイスの経験を代弁する時、彼女にうっすらと闇が宿ることをユリウスは気づいている。
すぐにそれを散らして、セリアは飲み物に口をつけて喉を潤す。
「……それで、調べてくれた?」
「はい。ガレス殿の過去とノア殿の件。直ちに役場と教会の支部に侵入して経歴を洗いました」
「それで?」
「ガレス殿がこの地に越してきたのは10年前。ひとり娘であるサラ殿を連れて山番の職を得てひっそりと暮らしはじめたようです。教会支部の古い資料でガレス殿が騎士団長であったことは事実と判明いたしました」
「エストレラ家をご存知のようだったけど、騎士団長なら道理ね。……だけど娘って?ノアのお母様かしら?」
「はい。5年前に亡くなっていますが」
「そう。寂しいわね……」
ノアの顔を思い浮かべながら呟く。
「父親は?」
「……不明です」
「わからなかったの?」
意外な気持ちでユリウスを見上げる。
「役場の戸籍に父親の名はありません。……おそらく、私生児かと」
「……そう」
飲み物のグラスを机に戻す。
「……お嬢様。彼に何か気になることでも?ご自身のハンカチを差し上げるなど、過ぎたることです」
ハンカチを異性に手渡すのは、親密な関係の相手に限る。つまりは家族か、恋人や婚約者、夫にである。
子供とはいえ、ノアは男だ。しかも、初対面の。
「なんとなく、誰かに似ているような気がしたの。だから、あそこでノアと出会ったことは、無かったことにしてはいけない気がしたのよ」
関係性よりも、直感を優先した。
「よもや、本気でご自身の騎士にでもなさるおつもりですか?」
「それはわからない。ただあの子がイノシシを倒した剣術は、見事だったわ。寸分違えず眉間に木剣を打ち込んでいた。子供が簡単に出来る芸当ではないわよ」
「お嬢様は彼に天賦の才を感じたと」
「ええ……ええ、おそらく。あなたはどう思った?」
「……。私がフォローに入る前に、彼は興奮しているイノシシ数頭を仕留めていました。あれは、どのように動けばいいか、本能で知っている者の動きです」
「そう、あの子は無意識に〝鷹の目〟を使っていた。その才は磨けばもっと光る。方法によっては、私と同等に強くなるかもしれないわ。ガレス殿はノアを騎士にしたくはないようだけど。……だからかしら。心のどこかで、あの子を森の番人で終わらせてしまうことが惜しいと感じてしまったのかも」
「故に縁を繋ぐものを手渡したと?」
「そうかもしれないわね。カレルレイスの時ですら、誰かにこんなこと感じたことがなかったのに。あの子に期待している私がいるわ」
熱っぽく語るセリアに執事は少々呆れる。
「……。相当に彼がお気に召したご様子」
「え……?」
「稀なことです。お嬢様がリシュアン殿下以外の『異性』に熱を入れられるのは」
異性を強調気味に指摘されて、セリアは妙に気まずくなる。
「何を言ってるの!あの子は子供でしょう!殿下と比較しないでちょうだい!不敬よ!」
ユリウスからぷいと顔を背けて、この会話を終わらせた。
※
エーデルハイムから見える境海は、白い海と呼ばれている。
早朝と夜間に白い霧が立ちこめて、境海を白く染めるからだ。
ホテルの部屋から繋がるバルコニーに立ってセリアは眺めていた。
「境海。……そういえば、リヴァイアサンとは戦ったことがないわね。東方は魔王の影響を余り受けなかったから……」
呟いて、ふとこれは夢だと気づく。
「あぁ……これは夢ね」
明晰夢を肯定するように、背後からリシュアンが現れる。
「……そう、これは君の夢。そして今は僕との夢でもある」
「殿下……!」
セリアはぱっと表情を明るくさせる。
リシュアンは彼女の傍に立つ。
「こんばんは、セリア。会いに来たよ」
「光栄でございます」
セリアは小さくお辞儀をした。
「君とふたりで見る霧の海もいいものだね。……君の目と記憶を通して、僕は世界を知ることができる。こんなにも嬉しいことはない」
美しく微笑むリシュアンにセリアは頬を染める。
「では、私は美しいものだけを見続けることにいたしましょう」
「美しいものも良いけれど、今君の目に映っているのは僕だけだよ。僕も君だけを見つめている」
囁くように告げられて、セリアはときめきでぐるぐると目眩する。
「……う……は、はい。その通りでございます殿下……!」
心臓がうるさいくらいに脈打っている。夢なのに、夢ではないように。
「セリア」
「は、はい殿下!」
名前を呼ばれて自分を強く律するように直立する。
「この度の山嶺竜・アルヴァ=ドラグへの懸念……僕は君に偽りを伝えた」
「えっ?!」
「この地に君を誘う理由にしてしまった。本当は別の意図があった」
先見をそのまま口に乗せてしまうと、声の振動によって運命がひとりでに動き出してしまうことがある。ゆえに彼は真実を伝えず、運命が歪まぬように意図をずらして言葉を紡ぐ。
「……では、私をこの地に寄せた殿下の真の意図とはなんでございましょうか」
リシュアンはふっと小さく笑う。
「君は、出会ったはずだよ。ある少年と」
言い当てられて、セリアは顔を上げる。
「……まさか。ノアのことでございますか?森の番人と、そのお孫さんに殿下の意図が……?!」
思わぬことに瞬きを繰り返す。
「ノア……そうか、彼は……ノアというのだね」
リシュアンは名前を反芻させ、セリアは首を傾げる。
「あの子が、何か?」
リシュアンは一寸黙り、そして口をひらく。
「彼は、僕の弟なんだ」
「……っ……」
その告白に驚き、セリアは目を見開く。
「……お、弟……君……?ノアが……?」
衝撃的すぎて、セリアは混乱する。
「……で、ですが……国王陛下の御子は、リシュアン殿下おひとりでは……」
「うん。正統にはね。……彼は腹違いの弟だよ。母上は当然、ご存知ではない」
「……っ。……そ、そうだったのですか」
セリアもノアは誰かに似ていると感じていた。
その感覚がリシュアンの告白で繋がり、腑に落ちる。
私によぎった既視感。
リシュアン殿下や、国王陛下に面差しが似ていたから……私は、あの子を知っていると感じたのだわ。
「彼の母親は宮廷の下級侍女で、母上が宮廷政治や人形のようだった僕のことで気鬱を患っていた際に、そのような関係になった。彼女が孕ったことを知った父上は、赤子が教会に利用され、継承権争いへ発展することを憂慮して、多額の恩給を与えて秘密裏に暇を出した」
「……合点がいきました。ガレス殿は全てを飲み込み、神殉騎士団の騎士団長を辞して、教会勢力の弱い東方へやってきたのですね。家族を守るために……沈黙することを選んだ」
ノアの父親が不明な理由は、彼が王家の血を引く落とし胤だったからなのだ。
「ていのいい厄介払いだ。先見の力が僕に真実を暴かせる。……少し、恨めしい気持ちになったよ」
「……殿下」
気遣うセリアの眼差しに、リシュアンは微笑んで応える。
「大丈夫。父上はこの事実を墓場まで持っていくつもりでいる。だから、僕も何も言いはしない。ただ、君に僕の弟を見てきて欲しいと思った。そして、他ならぬ君だけには伝えておきたかった。目覚めれば忘れてしまうとしても。……僕の偽りを許してくれるかい?」
「とんでもございません。私は、殿下が胸の内を打ち明けてくださったことを嬉しく思います」
「ありがとう。君の優しさにはいつも救われているよ」
彼が気持ちを吐露できる相手や場面が、とても少ないことをセリアはよくわかっている。
「ここは僕たちだけの空間。だからセリア、彼のことを僕に教えて欲しい」
「……はい。もちろんでございます……!」
セリアは大きく頷く。
森での出会いと会話の一部始終をリシュアンに伝える。
「そうか……彼は剣の腕に優れていて、竜騎兵になりたいのか。……許されるのであれば、叶えてあげたいが……難しいのかもしれないね」
「ですが、縁は繋ぎました」
セリアの直感は間違いではなかったのだ。
「うん。彼が本当に君の騎士となる運命があるなら、兄とは名乗れずとも、僕は遠巻きにでも接することができる」
「はい」
「でもね、セリア」
「はい?なんでございましょう?」
「ハンカチを渡すのはよくないことだよ。彼が長じてその意味を知り、勘違いしたらどうするつもりなの?」
「え?で、でもノアはまだ子供で……!7つも下ですわ?!」
セリアは驚く。リシュアンまでユリウスのようなことを言い出すとは。
「男女のことに年齢など瑣末だ。子供でも男であることに違いはないのだよ。彼がそんなに気に入った?……僕と弟は、いずれ君を取り合うことになるのかな」
夫を持つ貴婦人が、自身に仕える騎士との間に精神的な愛を見出す宮廷風恋愛物語のように。
セリアの背中に手を添え、ぐっと顔を近づけてリシュアンは問いかけてくる。
憂いなのか誘惑なのか、切なさを帯びた眼差しを向けられてセリアは震え上がる。
「い、いえ……そ、そそそ、そんなこにはなりません!私は殿下おひとりだけ!殿下一筋でございますから!ありえません!絶対にそんなこと……!」
ぶんぶんと横に顔を振る。
「本当に?」
「ええ、ええ!ありえません!私は殿下だけをお慕いしておりますもの!私の心をおあずけするのは殿下だけ……!」
顔を真っ赤にして弁明する。
「ふふ、よかった。ありがとう」
安堵するリシュアンの微笑みで、はたと軽薄な告白をしてしまったことに気づき、恥ずかしくなって両手で顔を覆う。
「……わ、私ったら!なんてはしたないことを……!」
婚約者とはいえ、極めて令嬢らしからぬ発言だった。
「心配はいらないよ。ここではふたりきりなのだから」
「それが!一番問題なのではございませんか!」
セリアは両手で顔を覆ったまま喚く。
「セリア、顔を見せて。逢瀬の時は短いのだから」
「ダメです。今は、絶対にダメです……!」
リシュアンと過ごす夢は、決まってセリアが恥ずかしい思いをする。
彼はこのやりとりを楽しんでいるようなきらいもあるが……。
目覚めれば全て忘れてしまうとしても、彼の前では(なるべく)理性的でありたいセリアであった。
やはりリシュアンとの夢の内容は忘れてしまっていた。
それでも王都に帰還し、ノアがくれた薬草を東方の土産としてリシュアンへ手渡した時、彼が嬉しそうに薬草を撫でていた姿がセリアも嬉しかった。
理由はわからないのに、なぜだかとても胸がいっぱいになったのだ。
ご覧いただきありがとうございます。このエピソードは今回で終了です。
ここでの時間枠は、セリアさんは16歳、リシュアン様は18歳を想定しています。
ノアくんについては、表では語られない設定持ちです。リシュアン様は察しているんだけど、そのことはセリアさんには伝えません(ので会話でも何も触れていません)。裏世界的なインタルードでも描かれることはないと思います。勘のよい方は、今回のお話でなんとなく彼の役割に気づいたかもしれませんね。
次回エピソードも読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします!




