第56話 不穏
夜風は冷たかった。
酒場を出た後も、街の空気は昼間とはまるで違う顔を見せており、頭上に張り巡らされた照明ケーブルの白い光だけが静かに舗装路を照らしている中を、ユウト達は並んで歩いていたのだが、先程からハンスは妙に口数が少なく、いつものような軽口もほとんど叩かなかったので、その背中を見ているだけで、何か本当に重要なことを考えているのだろうということが伝わってきた。
やがて三人は中央区画を抜け、比較的人通りの少ない住宅街へと足を向ける。
「……本当に第一シェルターへ行くんですか?」
沈黙に耐えかねたようにマナが口を開いた。
するとハンスは肩を竦める。
「行かなきゃならねえだろうな」
「でも、それだけで?」
「それだけじゃねえさ」
ハンスは歩きながら煙草を取り出したが、火を付ける前に何かを考えるような顔になり、結局それを懐へ戻した。
「お前達はどう思う?」
「何をです?」
「ファントムだよ」
そう言われても困る。
ユウトは正直に答えた。
「分からないな」
「何が」
「全部だ」
自嘲するように笑う。
「最初は快楽殺人鬼だと思った。次は怨恨かと思った。でも違う。被害者同士に繋がりがない。だから今度は無差別殺人だと思った。でもそれも違うらしい」
「らしい、じゃねえ」
ハンスは言った。
「違う」
断定だった。
そこまで言い切る理由が分からない。
「どうしてです?」
マナが尋ねる。
ハンスは少しだけ考えた後、ぽつりと答えた。
「殺し方だ」
「殺し方?」
「おう」
街灯の光が彼の顔を照らした。
「お前達、被害者の資料を全部読んだか?」
「一応」
「だったら気付いても良かった」
ハンスは小さく鼻を鳴らす。
「被害者は全員、一撃で殺されている」
ユウトは眉をひそめた。
確かにそうだ。
ファントム事件の被害者は例外なく即死だった。
「だから?」
「だから、だ」
ハンスは続ける。
「恨みがあるなら苦しませる。快楽目的なら楽しむ。見せしめなら派手にやる。だが、ファントムは違う」
その声には妙な確信があった。
「殺すこと自体が目的じゃない」
「じゃあ何が目的なんです?」
「消すことだ」
マナとユウトは顔を見合わせた。
「消す?」
「そうだ」
ハンスは足を止める。
そこは小さな広場だった。
昼間なら子供達が遊んでいるような場所だが、今は誰もいない。
「被害者は殺されているんじゃない」
低い声が響く。
「削除されている」
その表現に、ユウトは妙な寒気を覚えた。
削除。
まるで人間ではなく、記録か何かを扱うような言葉だった。
「……それ、どういう意味だ」
「まだ分からねえ」
ハンスは珍しく素直にそう言った。
「だが、何かがおかしいんだよ」
そして空を見上げる。
「第一シェルターの名前が出てきた時点でな」
第一シェルター。
その言葉を聞いた瞬間、ユウトはルサルカの顔を思い浮かべていた。
何故か分からない。
しかし最近、第一シェルターという言葉を聞く度に彼女のことが頭に浮かぶ。
あの少女が遺跡から現れた時のこと。
名前しか覚えていなかったこと。
過去を語ろうとすると時々言葉に詰まること。
それらは偶然なのだろうか。
「……なあ」
ユウトは思わず口にしていた。
「ルサルカと関係あると思うか?」
ハンスの足が止まる。
マナも驚いたような顔をした。
「急にどうしたんだ?」
「いや……」
自分でも説明が出来ない。
「何となく、だ」
するとハンスは数秒ほど黙り込んだ。
やがて。
「あるかもしれねえな」
と呟いた。
「え?」
「確証はねえ」
そう前置きしてから続ける。
「だが、あの嬢ちゃんが出てきた場所はどこだ?」
「旧文明の遺跡」
「そうだ」
「でも、それが」
「第一シェルターは旧文明の資料を最も多く保管している場所でもある」
ユウトは息を呑んだ。
それは初耳だった。
「それ、本当か?」
「公表はされてねえ」
ハンスは笑う。
「だから知ってる奴も少ねえ」
「何でそんなことを知ってるんです?」
「昔な」
そこで彼は言葉を切った。
珍しく続きを話さない。
だが、それ以上追及する雰囲気でもなかった。
「まあ良い」
ハンスは話を戻す。
「どっちにせよ、明日には分かる」
「明日?」
「第一シェルターだ」
その時だった。
不意に背後から物音がした。
かすかな足音。
ほんの一瞬。
だがハンターであるユウトは聞き逃さなかった。
「誰だ!」
振り返る。
そこには誰もいない。
しかし。
路地の奥で何かが動いた気がした。
ユウトは反射的に駆け出す。
「ユウト!」
マナの声を背中で聞きながら、狭い路地へ飛び込む。
暗い。
照明が届いていない。
古い配管がむき出しになっている。
そして、その奥。
誰かが立っていた。
黒いコート。
帽子。
顔は見えない。
だが、確かにそこにいた。
「お前――!」
一歩踏み出した瞬間だった。
人影が何かを放る。
紙だった。
それはひらひらと宙を舞い、ユウトの足元へ落ちる。
次の瞬間には、人影は消えていた。
「待て!」
追い掛ける。
だが駄目だった。
曲がり角の先には誰もいない。
まるで最初から存在しなかったかのように。
「……くそっ」
やがて追い付いてきたハンスが紙を拾い上げる。
「何だそれ」
「さあな」
ハンスは広げる。
そこに書かれていたのは短い文章だった。
たった一行。
しかし、その文字を見た瞬間。
ハンスの表情が凍り付いた。
「……どうしたんですか?」
マナが覗き込む。
ユウトも見る。
そこにはこう記されていた。
『亡国の姫を探すな』
風が吹く。
紙がかさりと音を立てる。
そして。
その下には、もう一つだけ文字があった。
『ルサルカは既に死んでいる』
誰も言葉を発しなかった。
静寂だけが夜の街に広がっていた。




