血に染まる空
2001年
11月2日
22:09
ヨーロッパ上空
「ママー、今何時?」
ロシアからアメリカに帰る旅客機の中は静かだった。
しかし九月のニューヨークでのテロ事件から、監視カメラが数個動いている。
「今はー、10時だね。 そろそろ寝なさい」
「えー…」
ビジネスクラスの席であたしは不満を露にし、まだ起きていたいと騒いだ。
「起きてたって暇でしょ? ほら、着いたら起こしたげるから」
「はーい…」
強がってはいたが、夜の眠気があったので毛布を被ると眠りに落ちた。
母親も、娘の寝顔を見つめて毛布を被る。
「手を上げろ! 抵抗するな!」
男の叫びが耳元に聞こえ、ハッとなった。
「頭を下げろ! 抵抗するな!」
通路をAKを構えた数人のアジア人が駆け回る。
肌色が濃く、中央アジア辺りの奴らしい――と今では考えている。
「女! 跪け! このガキは人質だ!」
「やめなさい!」
男に髪を掴まれ、通路に引き摺り出された。
「やめて! 痛い!」
「うるせぇ黙ってろガキが!」
脳天を襲う激しい痛みが継続し、涙がずるずるとこぼれる。
「畜生、めんどくせぇ仕事だぜ」
「何言ってんだ! 給料良いんだぜ。 それに銃振り回すだけだと思えばいい!」
男達は口を開けて哄笑し、反抗的な者にAKを向けて黙らせた。
その内人数が減って、その二人だけが客室に残る。
考えるに、その頃コントロールを掌握したのだろう。
「これからは遊覧飛行だ。 燃料もたんまりあるから大丈夫だろ」
「そりゃいい! もう身代金は伝えてあるのか?」
「ああ、色々な所にな! ハハハ!」
その頃は英語しか分からなかったから、何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
ただ、今この痛みよりもマズいことになるのは分かってた。
「娘を離しなさい!」
「黙れ!」
ママが男に殴られ、シートに倒れ伏す。
「言う通りにしてやるよ、オラッ!」
その隣りのシートにあたしを渾身の力で投げ、体が叩き付けられた。
「痛ッ!」
「大丈夫!?」
柔らかいとは言えないシートに衝突した背中が、ズキズキと滲むような痛みを発する。
「うー… 痛いよぉ…」
「大丈夫だからね… ちょっとの辛抱だから我慢して…」
痛む背中をママが擦り、励ましの言葉をくれた。
その励ましが無かったら、あたしは死んでいたかもしれない。
「お前ら! 逆らえばここで死んでもらう! おとなしくしてれば、お前らの祖国に無事で帰れるんだからな!」
AK-47を振りかざし、そんな言葉を叫んでいた。
英語を扱っていたということは、このような事に慣れていたのだろう。
数時間、テロリストと人質を乗せて旅客機は飛び続けた。
後で調べると、近く遠くを戦闘機が追跡していたという。
「我々は数百人の人質を抱えている。 その中には貴国の市民も含まれているぞ」
部下らしき男が古い中国製のビデオカメラを構え、身代金の要求を撮っていた。
露骨に回りを映して、それが嘘でない事を伝えている。
「ママぁ、お腹減った…」
「我慢して、後でたくさん食べさせてあげるから…」
毛布を被ったが、もう眠くはなかった。
「彼らを助けたいなら100万ドルを用意することだ… 切れ」
撮影を終え、テロリストが巡回を再開する。
「よう女、もう強がりはやめたのか?」
ママの顔がキッと変わり男を睨み据えた。
「あんた達に従う気持ちはこれっぽっちもありません!」
「ほう、これでもか!?」
AKの銃口を首に当て、勝ち誇ったような気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「クソッタレの脳筋め… そんなもの撃ったら、乗客の全員があんたを殺しにかかるわよ、グズ」
「ね、寝呆けたこと!」
忘れもしない、私の人生が変わってしまった瞬間。
テロリストのこめかみに破裂せんばかりに膨張した血管が浮き出て、銃声が響いた。
一瞬の騒音の後、機内はこれまで以上に静寂に包まれた。
幼い目の前には虫の息になった母親がいる。
そして、人間として異常なまでの憤怒が心を満たした。
それが復讐心というモノ。
「なんだガキ! なんだその目は! お前も殺すぞ!」
静かな客室には、僅かな衣擦れとテロリストの叫びしか聞こえない。
「ダメよ… ディアナ…」
母親の最期の喘ぎが、そのように聞こえた。
目の前の敵に躍りかかり、渾身の力で引き摺り倒す。
「こんのクソガキがァ!」
男が咆哮し、立ち上がろうとするが、必死に押え、AKを奪った。
「何やってんだ!」
傍観を決め込んでいた仲間も、マズいと気付いて参戦しようと近付く。
「銃が! 返せ!」
もがく獣を抑えてグリップを探り、銃口を口に当て…
「止めろォォ!!!」
再び銃声が響き、男の後頭部が消し飛んだ。
「よくもサイードを!」
男達が叫びこっちに銃を構える。
急いでAKを構え直し、そいつらに向け、引き金を引いた。
「クリア!」
機尾の方から兵士達が現れ、客室に侵入したのはハイジャックから四時間後。
「What a fuck!? 何なんだこいつぁ!?」
一番最初に入って来た兵士が、驚愕の叫びを上げる。
「どうしたジャック… なんだと?」
テロリストが血を流して倒れ、女性の死体に少女が縋っていた。
異常なのはその少女の回りには旅客が居らず、遠巻きに観察していた。
「これはどういう事です?」
ジャックが客の老人に問い掛ける。
「…あの子が… 奴等を皆殺しにした…」
青ざめた顔で、悪魔を見たような顔で少女を見つめていた。
少女の手には、AKが握られていた。
決して離さないかのように、しっかり握っていた。
「おい、どうする気だ?」
ジャックは無言でM4を仲間に押し付け、少女の元に歩く。
息絶えたテロリストが横たわり、血が川のように溜った通路を通った。
「君が、お前が、殺ったのか?」
To Be Continued…




