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騒動のあとには

 

 激しい歓声が聞こえてきた。

 歓声と言うよりも野次に近いかもしれない。男達の荒々しくも野太い声が、鼓膜を張り裂かんばかりに響いてくる。


 城壁に囲まれた鍛錬場の一角に、稽古の手を止めた一団の姿が見えた。鎧越しでさえ、盛り上がった筋肉が分かる背中がいくつも見え、それらの背中はどれも腕を振り回しながら、声を限りに叫んでいた。

 残念ながら、背中の向こうの光景を見ることは出来ない。

 他には鍛錬場に変わった様子はなく、アーサーとかいう騎士がアンドリューの試合を見たとしたら、あの人だかりの向こうに違いないだろう。


 わたしは周囲を見渡した。

 すぐにも彼らが見学しているものを確認するため輪の中へ分け入って行きたいが、当然のごとく近くに女の姿はない。

 男ばかりの、言わば神聖な場所とも言える鍛錬場に、女の身で無遠慮にも踏み込んで行く勇気は、さすがのわたしにもない。


「ワアッ」

「行け、行け、そこだあ!」


 一際大きな声が届いてきた。男達の肩に力が入っているのが、離れた場所からでも分かる。


 もう、いったいどうなっているの?

 あの中に、アンドリューやデレクが本当にいるのかしら? 気になるけれど、どうすることも出来ない。


 わたしは近づくことも出来ず、かと言って離れることも出来ないで、焦る内心を持て余し、やきもきしながら遠目に様子を窺っていた。


「ジュリア」

 不意に肩を叩かれ、息を飲んで振り返る。

 リシェルとケイン、それからアーサーまでもが息を乱して追いかけてきていた。

「ちょっとジュリア、どうしたのよ、いっ……たい」

 リシェルはハアハアと荒い息を吐いて、咎めるように詰問してきた。何の説明もなく彼女を置いてけぼりにしたわたしを、なんだか恨んでいるみたいだ。

 リシェルが怒るのも当然かもしれない。だって彼女はわたしの要請を受けて、わざわざケインを裁きに足を運んでくれたのだから。

「う、うん、あの……」

 きちんと説明してあげたいけど、部外者もいるので言い出しにくい。

「ブライアン殿の試合が気になるのでしょう?」

 その時部外者である筈のアーサーが、意外にも助け船を出してくれた。

「大丈夫ですよ。試合と言っても大がかりなものではありません。訓練の合間に楽しむ、言わば余興です。楽しんで盛り上げているだけですから」

「でも……」

 相手はデレクだ、酷い結果になる前にやめさせなきゃ。デレクがアンドリューに負けるとも、弟に大怪我を負わせるとも思えないけど、これがきっかけで兄弟の仲がおかしくなったら大変だ。

 何も知らないアーサーは、わたしを安心させるように微笑む。

「本当に心配ご無用ですから。皆、力のさじ加減は分かっています。それに相手は近衛騎士の方でしたからね、上手に手加減をしてくれてると思いますよ」

「ええっ?」

 デレクじゃなくて近衛騎士ですって?

 わたしはびっくりして、思わずアーサーの胸に飛びかかった。

「それ、本当なの?」

「え、ええ……、珍しく近衛の方から申し込まれていましたよ。いつもは申し込まれる立場の方々ですからね、わたしも驚きましたけど。ですが我ら騎士にとって自分より格上の相手に目をかけてもらった上、胸を貸していただけるのは大変光栄なこと。ブライアン殿も笑顔で喜ばれていましたよ」

 それは黒い微笑みだ。間違いない。

 近衛騎士と言えば最近アンドリューと諍いを起こした奴らが浮かぶ。まさかあの時の……、あの時の奴らだったりして。

「どうしよう」

 わたしの声にアーサーは首を傾げた。

「ねえ、何とか試合を見れないかしら」

 やめさせなくちゃ。アンドリューの細腕じゃ奴らにいたぶられるだけだわ。あの時の近衛騎士が相手なら、胸を貸すだとか好意的な理由で、アンドリューに試合を申し込むとは思えないもの。

「応援がしたいのですか? 構いませんよ。こちらです」

 何も知らないアーサーは、わたしを快く観戦へと連れて行ってくれるらしい。

「確かにご婦人が一人では勇気がいりますよね」

 アーサーの言葉に曖昧に頷いて、わたしは彼の背中に付き従った。すぐ後ろをリシェルとケインの二人も追いかけてきた。


 無理やりのように男達の集団の中を分け入って進んだ先に、広い空間が現れた。

 誰も邪魔が入らないその開けた場所には、二人の騎士が向かい合って立っている。

 体の大きな馬鹿でかい騎士と、身長ばかり伸びたような頼りない風貌の騎士。あの生っちょろい方がアンドリューに違いない。

 わたしはアーサーに連れられ、目の前で広がる対戦を視界に入れた。筋肉隆々の馬鹿でかい騎士は、やっと立っているように見える相手を、剣を構えたままじっと見ている。わたし達が来るまでに散々打ち合ったのだろう、二人の男達の鎧は薄汚れていた。


 土を踏みしめ、大男が切り込んでくる。アンドリューは防戦一方で、どんどん力で押さえ込まれ後退していった。

 もう、何してんのよ!

「おうい、何してんだ、若造」

「いけ、いけぇ」

 うるさい野次が鼓膜を潰す勢いで飛び込んでくる。その間も目の前の二人の試合は、どう見ても一方的なものとなり果てていた。

 近衛騎士の、胸を貸すなんて思ってもないだろう渾身の力を込めた剣先が、鋭くアンドリューを追いつめていく。笑ってアンドリューを叩きのめしている馬鹿男の、憎々しい顔がまるで見えるよう。

 なんてったってアンドリューは少年みたいな童顔の生意気な奴だもの、気持ちは分からなくもない。だけど、口で負けたからと言ってこんなやり方で報復に出るなんて、立場に比べてあまりにも懐が小さいじゃないの。

 大男はアンドリューの剣を、邪魔だと言わんばかりに容赦なく叩き弾いた。

 もう、駄目。見てらんないわ!


「いい加減にしなさいよ、この弱虫!」

 突然わたしが叫び声を上げたので、周りの男達がギョッとして押し黙る。

「何してるの、あんた? 勝算もないのに挑発に乗って、相変わらず無駄に負けず嫌いね」

 試合をしていた二人もポカンとして、こちらに視線を向けていた。それでもわたしの口は止まらない。アーサーやリシェル達が驚いて止めにやってくるが、それを無視して声を張り上げる。

「ちょ、ちょっとジュリア……」

「ーーいいこと、アンドリュー! コテンパンにのされる前にさっさと白旗を上げなさい。おとなしく負けを認めるのよ、弱虫さん!」 


 わたしの罵声に呆気にとられていた試合中の騎士の内の一人が、落ちた自分の剣をゆっくりと拾った。

 細身のその騎士は剣を手にしたまましばらくじっとしていたが、顔を上げると勢いよく足を踏み出す。

 相手が動いたことにもう一方が気づいて、慌てて体勢を立て直した時には、既に剣の先は顔面へと迫っていた。


「オォーッ」

「やれぇー!」


 静かだった男達の声も息を吹き返す。

 さっきまでが嘘のように細い騎士の動きがよくなっていた。大男は彼を舐めていて、しかも不意を突かれたとはいえ、今度は少しも自分の攻撃をさせてもらえない。

 アンドリューは長い足を器用に動かして、相手との距離を巧みに変え大男を翻弄する。そして焦る相手を苛立たせ、生まれた隙を的確に狙っていくのだ。力ではかなわないアンドリューなりの戦い方なのか。

 格下と馬鹿にしていた相手にいいようにあしらわれ、プライドやメンツが粉々にされた近衛騎士は、頭に血が登ったみたいで冷静に状況が判断出来ないようだった。

 おかげで益々攻撃が一本調子になってしまい、流れるような華麗な動きをするアンドリューに、どうも追いついていけないみたい。


 これはどういうこと?

 てか、それよりもーー


「そこよ、そこそこ、そのままドンと行って! ああ、もう何して……、そう、今よ、そのまま行って、いけ、いけいけ、いけえぇ!」


 わたしは男達と夢中になって、アンドリューの試合に見入った。ケインを除くアーサーやリシェルがすっかり引いたような様子を見せていたけど、全く気にならなかったのだ。




   ***




「ジュリア、来てたんだ」

 気がついたら、デレクが目の前で笑っていた。


 アンドリューの試合も終わってしまっていて、声を涸らして応援していたわたしも、なんだか酷く疲れてぐったりしている。

「ええ、あなたもいたの?」

 笑顔の彼にぼんやりとしたまま返事を返した。彼がいたことを意外とさえ感じている自分に少し驚いている。

 だってね、よく考えたら、アンドリューは夕べデレクに試合を申し込んでいたのよ。そのためにわたしはデレクとアンドリューの兄弟対決を心配してここに来たくらいなんだし……、それなのに彼の存在を忘れてしまっていたなんて、いくら何でもとぼけ過ぎでしょう。わたしってばどうしちゃったのかしら。

 頭の中では、たった今のアンドリューの姿ばかりが浮かんでは消えていく。ああ、もう、愛しのデレクが目の前にいるってえのに、なんであんな奴なんか。散れ、散れ散れ、散れってば、鬱陶しい!


「ジュリアの声援に、あいつは随分励まされたみたいだ」

「えっ?」

 デレクがわたしを優しい眼差しで見下ろしていた。それはどう見ても、情熱とか恋情とかそういった類のものではなく、まるで肉親を見守るような温かくて穏やかなもので……。

 そういうことなのだと、わたしはすんなりと彼の答えを受け入れることが出来たのだ。

 あの、わたしの拙い告白への答え。

 デレクはわたしを女としては愛していない。

 彼の愛情はあくまでも妹に向けるような、家族愛のようなものなのだとーー。


 不思議だ。ずっと、彼に恋をしていたのに何故だろう?

 これほどまでに衝撃的な事実を目の当たりにして、こんなにも落ち着いていられるなんて。自分の心境の変化に戸惑ってしまう。

 もしかして、わたしはこの結果をどこかで予測していたのかも。だからこそ、落ち込まずに済んでいるのかもしれない。


「ジュリア、こちらは?」

 リシェルがおずおずと声をかけてきた。彼女らしくない遠慮がちな態度に苦笑がこみ上げてくる。

「ああ、リシェル。彼はデレクよ、わたしの幼なじみ。デレク、こちらはリシェル・ブラネイア。わたしの友人なの」

「お初にお目にかかります。デレク・ブライアンと申します。ジュリアとアンドリューが大変お世話になっています」

「まあ、じゃあこちらが? 初めまして、リシェル・ブラネイアですわ」

 リシェルの片手に挨拶のキスを落とすデレクを、彼女はチラチラと盗み見ている。そう言えば、彼女の主エミリアナ殿下が、彼に興味を示していたんだっけ。リシェルが「噂通り素敵な人ね」とこっそり耳打ちしてきた。

「リシェル、何をしてる?」

 他の男と親密にしている婚約者を心配して、ケインが泡を食って近寄ってきた。この男はさっきの試合中、一人離れたところから高みの見物を決め込んでいたのだ。ふん、今更焦って来るなんて馬鹿みたい。こっちは何もかもお見通しなんですからね。


「兄さんーー!」 


 ギクッ!

 アンドリューの声がして、わたしの心臓が激しく動き始める。ど、どうしちゃったんだろ、わたしの心臓。変だわ。

「ジュリアに何の話をしてるんですか?」

 厳めしい顔をしてアンドリューは話しかけてきた。

 でも、微妙にわたしを避けている。朝と一緒で顔を見ようともしないのは、こっちも目を合わせるのが気まずいから別に気にしないけどね。

 わたしはデレクの陰にこそこそと隠れてやった。

 自分の不可思議な感情を持て余している。何故、わたしはアンドリューの顔を見れないのだろう? あいつの無礼な態度すら気にならなくなるなんて、意味が分からない。

「何って挨拶だよ、彼女のご友人に」

「そうですか……」

 デレクがそんなわたしをからかうように笑うから、アンドリューは余計にムッとしたらしい。


 いつの間にかわたし達の周りには誰もいなくなっていて、広い鍛錬場は閑散としていた。

 あれほどアンドリューの試合に興奮していた騎士達の姿もなくなっている。そろそろ夕刻が近づいているから、皆引き上げたのだろう。この場所に残っているのは今やわたし達と、帰りそびれたリシェル達だけだった。


「なかなか良い試合だったな。途中までは全くやる気を感じさせない、適当なものだったけどな」

 デレクはいつもと変わらず弟思いだ。こんな生意気な態度のアンドリューにもやっぱり甘い。それに対して、ぶすっとした声でアンドリューが答える。

「別に、それがわたしの実力ですから」

「意地を張るなよ。誰かの激で途端に変わったくせに、恥ずかしいのか?」

「あ、あれはカチンときましたから。恥ずかしい? いいえ全然、深い意味はありません」

 慌てたように言い訳をするアンドリューに、わたしもムッとしてデレクの後ろから声を出す。どうせわたしへの不満でしょ。

「やる気があるなら、もっと早くから出しておけばよかったのよ。そうすれば負けることもなかったのかもしれないわ」

 そう、結局アンドリューは近衛騎士に負けたのだ。途中まではすばしっこい足を使って優位に立っていられたけど、最後にはそれも虚しくスタミナが切れてしまった。貧相なアンドリューは巨体の大男に負けてしまった。所詮は体力的に敗退してしまったのだ。

「日頃の鍛錬がものを言うのよ。あんたはもっと鍛えて筋肉をつけなきゃね。逞しいデレクみたいに」

「何が、筋肉だ。ジュリアなんか」

 はいて捨てるようにアンドリューが言葉をぶつけてきた。

「何よ?」

 息巻くわたしにアンドリューは冷ややかな嘲笑を浮かべる。

「そうやって、見てくればかり気にして男を追い求めるから、だからその年まであなたは売れ残っているんじゃないですか」

「何ですってぇ?」

 わたしは湧き上がる怒りに身を任せ、デレクの背後から飛び出した。

 アンドリューから吐き出された酷い侮辱で、さっきまでの意味不明な気持ちなんかどこかへ吹っ飛んでいた。

 歪に頬をゆがめるアンドリューがはっきりと見える。気まずさなんか今のわたしには、ほんの僅かだって感じなかった。

 それどころか体が震えるほどの憤りでいっぱいだ。

 冗談じゃない! 断じてこいつの言うことは間違っている。

 わたしが追い求めていたのは見てくれだけの男じゃないもの。わたしは、わたしはデレクだけを追い求めていたのだ、ずっと……。

「わたしはね、わたしはずっとデレクを」

 だけど彼にはさっき、きっぱりと振られてしまった。少女の頃からの長い長い初恋に、とうとう終止符を打たれてしまったのだ。憧れの人の手ですっぱりと。

「デレクを、デレクだけをーー」

 溢れ出してきた涙のせいで言葉が続かない。こんな奴の前で泣くなんて悔しくて仕方ないのに。

「待って、ジュリア!」

 口籠もるわたしを、アンドリューが強い口調で呼び止めた。それから彼は何故かわたしから目を逸らし、側にいる他の面子へと目線を変える。

「兄さん、それから今ここにいる皆さん、どうかわたしの告白に立ち会ってください」

「えっ?」

 こく……はく?


「いいだろう」

 ケインがいつもの笑みを浮かべたまま頷いた。アンドリューが何を言う気なのか、まるで自分は分かっているとでも言いたげな鼻につく笑顔だ。

「何だろうか」

 デレクも訝しみつつも同意したらしく、穏やかな眼差しを弟に向けていた。リシェルやアーサーも固唾を飲んで成り行きを見守っている。

 わたし一人置いてけぼりだった。わたしにはアンドリューの告白が何なのか、全く想像も出来なかったのだ。


「ジュリア、ジュリア・グランドミル殿」

 アンドリューが硬い表情でわたしを睨みつけてくる。

 何よ、いきなり。もしかして改めて宣戦布告でも宣言してくる気なの? 馬鹿らしい。

「わたしがあなたの望む逞しい体を手に入れたら……」

 強張ったアンドリューの顔がどんどんと崩れていった。それと共に堅苦しかった口調も、柔らかい響きに変わっていく。

「あなたの心をわたしに下さいますか?」


 苦しげに目を細めた線の細い青年が、わたしの前で唇を震わせ跪いた。

 わたしは何も言えず、その様子を馬鹿みたいに見つめるだけしか出来なかったのである。




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