おまじないの秘密
「ジュリア」
デレクはわたしの姿に気がつくと、ホッとしたように笑顔になった。
日に焼けた浅黒い肌からこぼれる白い歯。わたしの大好きな、大好きだった人の笑顔。彼はあの頃と少しも変わっていなかった。
「よかった、来てくれて。このまま寂しく一人で、帰らにゃならんかと思ってた」
「見送りぐらいさせてもらうわよ。そこまで人でなしじゃないのよ、わたしは」
憎まれ口を叩くわたしの頭をコツンと突いて、デレクは眉を下げる。
「はは、そうか……」
彼は馬の背に固定した荷を再度確認して、眩しげに城を振り返った。
「世話になった。君の主や友人方にも直接礼が言いたかったんだが……」
背中を向けるデレクの後ろ姿を盗み見ながら、わたしは彼に答えを返す。
「任せてよ。わたしがあなたの代わりにきちんと伝えておくから……」
とうとうデレクが帰る日がやって来た。
ハーディアで彼が過ごしたのは、結局数日のことだった。
その間色々なことがあった。本当に色々とありすぎてめぐるましい日々だった。わたしだけを見ても、信じられないほどの心境の変化があったのだ。
「アンドリューは……」
デレクが口にした名前に心臓が飛び跳ねる。そう、これがわたしに生じた一番の変化だ。
「あいつはやっぱり来ないな」
「そ、そうよね。たった一人の兄弟なのに。み、水くさいわよね」
アンドリューが来ないことは知っていた。あいつは今、ラウルフレッド殿下の脱走を阻止するべく、隊長より側に張り付いて見張るよう命じられている最中だ。
だから、わたしは安心してデレクを見送りに来れたってわけ。アンドリューが絶対にこの場に現れないと知っていたから、だからこそ、わたしはデレクに会いに来ることが出来たのだ。
何故かって?
今のわたしはアンドリューと面と向かい合う勇気がないからよ、仕方ないじゃない。
とにかく気まずいったらないの。全く、何だってアンドリューはわたしにあんなことを言ったんだろう。あれだけわたしを馬鹿にしていたくせに、口やかましく忠告ばかりしていたくせに。それなのに……。
あなたの心をわたしにくださいませんかーーなんて。
ハッ、馬鹿だわたし、また思い出してしまったじゃないの。
頭の隅に追いやっていた記憶が蘇り、ブツブツと自分を罵っていたわたしにデレクの落ち着いた声が聞こえてくる。
「ジュリア、水くさいと言うのとは違うぞ。俺達は兄弟だから、口には出さなくてもある程度は分かりあえるんだ。こんなふうに改まって別れを惜しまなくても、言いたいことは伝わっているからいいんだよ。俺はあいつと、昨夜既に別れの挨拶は済ませたと思っている」
「そ……、そんなものなの?」
「ああ、そんなもんだよ。何しろ、俺はとっくに分かっていたからな。あいつの本音にずっと昔から」
「どういう意味よ?」
デレクはわたしの目を覗き込んできた。真っ直ぐの視線が痛いくらい突き刺さる。
「あいつは昔から一途なんだ。一途に君を想っている」
衝撃の一言だった。どうしようもないくらい顔が歪んでしまう。もう、忘れようとしているのに酷いわよ、デレク。
「う、嘘よ。む……、昔っていつのことよ。酷いわデレク、わたしをからかうなんて」
気が動転してまともに会話が続けられない。何故アンドリューのことなんか言い出すのだろう。せっかく余計なことは忘れて、ただデレクとのお別れだけに集中したいと思って来たのに。
「嘘じゃない。あいつがハーディアに仕官したのだって、君のあとを追いかけていったからだよ。俺には分かる」
「嘘、嘘だわ……」
アンドリューはいつも生意気で、鬱陶しい存在で。デレクのあとばかりついて来て、いつもいつもわたしの邪魔ばかりして……。
「う、そ……」
あれは、デレクのじゃなく、わたしのあとだったって言うの? まさか、そんなことって、そんなことってあるの……?
「ジュリア、この前の返事だが……」
混乱して頭を振り回すわたしを、デレクが穏やかに見つめていた。
「えっ?」
この前のって、あの……?
「申し訳ない、俺は君の気持ちに応えることが出来ない。俺がそもそもこの地に君達を訪ねて来たのは、報告したいことがあったからなんだ」
「報告?」
「ああ、俺は今度、けっーー」
「兄さん!」
その時、耳慣れた声が割り込んできた。
「余計なことは言わなくてもいいですから、さっさと挨拶を済ませて彼女を解放してあげてください。こちらは仕事中なのです」
額に汗を浮かせたアンドリューが大声を出して駆け寄ってきて、わたしとデレクの間に割って入ってきたのだった。
***
「じゃあな、アンドリュー」
「……はい、お気をつけて」
「ジュリアも」
「ま、また来てね。いつでも歓迎するわ」
馬上のデレクはふっと笑ってわたし達を見下ろすと、軽く手を上げ風のように去って行った。
デレクを乗せた馬があっという間に小さくなる。わたしとアンドリューは呆然としたまま、彼が見えなくなるまで見送っていた。
やわらかい風が頬を撫でていく。舞い上がる土と青々と茂る草の匂いに、体が包まれる。
デレクが城からいなくなって、まるで時が止まったかのような錯覚に陥っていたけど、ちゃんと周りの時間は動いていた。単純にわたしとアンドリューの二人だけが、この場にじっとしているだけだったのだ。
いつまでこうしている気だろう。わたしはすぐ前に立つ背中に目をやった。吹きすさぶ風が、腰まで届く長い薄茶色の髪を攫って通り抜ける。女のようだと称されたアンドリューの長い髪。ふわふわと風に遊ぶ彼の長い髪。
その姿に、のどかな風景とは対照的な意志の強さを感じてしまった。
わたしには、もう顔も見せてはくれないつもり?
あの告白以来、彼を避けていた自分を棚上げして怒りを覚える。わたしはとんでもない自分勝手な女だ。
「殿下はどうしたの? あんたは確か、隊長より大層な命令を受けていたと思うんだけど、お役目を放って、こんなところで油を売っててもいいの?」
怒りに任せてアンドリューを攻撃してやった。わたしから話しかけるのも随分久しぶりのことだった。
頭が傾いて、整った鼻筋が僅かにこちらを向く。
「その殿下を探しに来たのです。ここにはおられないようだから、他をあたらないと」
アンドリューは独り言のように呟いて、踵を返し立ち去ろうとした。わたしは背中を向けたまま方向転換を始めた彼に、負けじと強引についていく。
「なあに、あんた。隊長より命令されたのに殿下を見逃したってこと? 何してるのよ、本当に情けないわね」
わたしの遠慮のない言い回しにアンドリューの体が固まった。彼はブルブルと小刻みに肩を振るわせながら、低い声で呻き出す。
「あなたにそんなことを言う資格があるのですか? つい先日、殿下がいなくなったのをこれ幸いと勝手に仕事を抜け出し、その日はとうとう殿下の元へと戻られなかったあなたに、そんなことを言う資格があるとは、わたしには思えません」
「なっ!?」
きつい口調だった。通常通りと言えば通常通りのことだったけど。
と、それよりも、今のはあの日のことじゃない?
わたしは顔を背けたままのアンドリューを睨みつける。
あの日のことだ、間違いない。あの、リシェルと二人でケインに文句を言いに行き、そのあとアンドリューを探しに鍛錬場へ行った日のこと。
そりゃあ確かに、ケインを懲らしめようとして、彼が何より恐い婚約者を援軍にして、あのいけ好かない騎士のとこへ行ったのはアレだったかもしれないけど。だけどアンドリューが近衛の奴と試合をしたり、わたしに変な告白をしてきたりするから、だからわたしも頭が吹っ飛んじゃって、自分の状況とかそもそも仕事中だったこととかもすっかり忘れてしまったんじゃないの。
確かに、誰の断りも受けずさっさと寝所に戻ったのは、処罰を受けても当然の失態だったけど、でも、あれもこれも要はアンドリューを心配した末のことで、言いかえれば、全部アンドリューのせいと言うことになるんじゃない?
「だって、あれはあんたが……」
「あなたの、ご自分には都合のよい物の考え方には、本当に恐れ入りますよ。よもや、侍女長殿にこってり絞られたことを、少しも覚えていらっしゃらないとは驚きですね」
何て言い種なの、しかも余所見して嫌みを言うってどうなのよ。
「あんたねえ、こっちを向きなさいよ!」
頭にきたわ。なんでこいつはこうも皮肉屋なのか。
わたしは顔を隠すように逃げて行くアンドリューを捕まえて、奴の前に回り込む。
「あんたはいつもいつもーー」
「は、はな……せ」
アンドリューの長い髪の毛がふわりと鼻先を掠めた。
男のくせに腹立ちを覚えるほどの白い肌が、熟れた果実のように真っ赤に染まって、わたしの前に現れた。
「離してください……」
潤んだ瞳を細めて、目の前の青年が悔しげに唇を噛み締める。
「う、うん……」
わたしは呆けたように気の抜けた声を出して、アンドリューから手を離した。
そのまま、目を逸らすことなく彼を見続けるわたしに、苛立ったような非難が飛んでくる。
「何故僕を見るんですか? どんなに最低だとなじってみせても、結局あなたを振り切れない僕がそんなに面白いからですか?」
アンドリューは赤い顔を片手で覆い、怒りを滲ませ言葉を吐き出した。
「な、違うわよ」
「じゃあ、何故なんですか?」
彼からの怒りに反論も出来ず、わたしは黙りこくってしまう。
何故って……、綺麗だと思ったから。
白い肌を朱に染めて恥じらうアンドリューも。色素の薄い茶色の髪の毛を揺らして、唇を噛むアンドリューも。
髪の間から覗く赤くなった細い首筋も、伸びるだけ伸びた手足を持て余しているように見える、若木のようにしなやかな細い体も。
全部全部、わたしの理想とは全く違うアンドリューを、わたしは何故か美しいと思ってしまって目を離すことが出来なかったのだ。
「あなたの気持ちは分かっています。僕など、男と認めることさえ出来ないんでしょう? 分かってますよ、それくらい。いい機会ですから言っときますけどね。僕はあなたが思うほど、女々しくも情けなくもありませんから。だから安心してください。振られたあとまでしつこくつきまとうような、そんな格好の悪いことは絶対に致しませんから」
「えっ?」
どういう意味?
「僕の精一杯の告白にあなたは何も応えてはくれなかった。それどころか脱兎のごとく逃げていった。どんな言葉ももらえず、惨めに残された者の気持ちがお分かりか?」
違う、あれは驚いてしまって……、もう、訳も分からなくなってしまって、どうしたらいいか分からなくて……。
「もう、済んだことですよ」
アンドリューは顔を隠したまま、素早く立ち去ろうと向きを変えた。
「それではごきげんよう、グランドミル殿」
捨て台詞のように言葉を投げつけて、奴はわたしの前から退場しようとしていた。多分、一生。
ちょっと……、ちょっと言い逃げする気? 冗談じゃない。
「待ちなさいよ。この自虐男!」
わたしの罵声で、アンドリューが凍りついたように立ち止まる。
「今、何と……?」
わたしは鼻息も荒く宣言してやった。
「待ちなさいと言ったのよ、女々しくも情けない自虐男さん」
「な、な、なん……」
羞恥に頬を紅潮させるアンドリューが、顔から手を離してわたしを睨みつけてきた。やっとこっちを素直に向く気になったらしい。わたしはさっきから、あんたのその目が見たくて仕方なかったんだからね。
「だってそうでしょう? こそこそと逃げるようにわたしの前からいなくなる男のどこが、情けなくないのよ。どこが女々しくないってえのよ、冗談じゃないわ」
「あなたと言う人はなんてデリカシーのない人なんだ。馬鹿みたいだよ、こんな人を僕は何年も……」
「何年も何よ」
顔が熱かった。熱くて熱くて発火しそうだった。
「何年も好きだったんですよ。文句ありますか!」
アンドリューが吠えるように叫び声を上げる。今にも泣きそうな充血した目で、恨めしげにわたしを責め立ててくる。そして、その目は同時にとても驚いていた。
「ーーどうして、あなたの顔は赤いのですか?」
「……どうしてだと思う?」
わたしの顔は、多分アンドリューが現れた時から赤かった筈だけれど、目を逸らしていたこいつは今まで気づかなかったのだ。
「分かり……ません」
アンドリューは苦しげに息を吐いた。彼の熱い呼吸が額にかかり、わたしの息づかいまで乱していく。
「あなたは、兄のような逞しい男が好きで……、僕のことは貧相だといつも馬鹿にしていた……」
「ええ、酷い女よね。いくら気心がしれてるからって、今まで本当にごめんなさい」
過去の自分を振り返ると後悔でいっぱいだ。本当になんてわたしは大馬鹿だったんだろう。自分がどれだけの者だったと言うのだろうか。こんな鼻持ちならない女、わたしが男だったら絶対に好きにはならない。
「僕がどんなに苦労して体を作る努力をしていたか、何もご存知ないでしょう? どんなに鍛えても少しも変化が表れない自分自身に嫌気がさして、何度髪を切ろうと思ったか」
「髪?」
「ええ」
言うなりアンドリューは、長い自らの髪の毛に手を伸ばした。子供の頃から伸ばし続けているその髪には、何か切れない秘密でもあったと言うのだろうか。
「覚えてる、ジュリア?」
アンドリューの口調が変わった。
少年の頃のように甘さを含んだ声になっている。
「僕が兄さんみたいになりたいって言った時のこと」
「えっと……」
驚いたことにアンドリューの顔がすぐ目の前まで迫っていて、柄にもなくわたしはドキドキしてしまった。急に雰囲気を変えた幼なじみに、どうしようもなく混乱している。
おかしいじゃない。さっきまでわたしが主導権を握っていた筈なのに、この展開はどういうこと?
「ほら、ずっと昔のことだよ。僕がまだ、君がよく言う『鼻たれ坊主』だった頃のことさ。乳母のヤルダに聞いた、おまじないがあるって言ったことがあったよね。そう言えば、あの時君は興味もなさそうに口を曲げていたっけ」
「ああ、そのこと?」
覚えてるわよ。あの日はわたし、デレクばかり見ていて、彼がアンドリューの話なんかを気にしたことが凄く忌々しかったんだわ。あの日に限らず、わたしはいつもアンドリューを疎んじていた。
「うん、君はいつも兄さんばかり見ていたよね、昔から。僕はどう見ても二人のお邪魔虫だった。だから僕は少しでも兄さんに追いつきたくて、あのおまじないを実行することにしたんだ」
「えっ、おまじないを?」
「そう、夢が叶うおまじないだよ」
気がつけばアンドリューは、わたしを取り囲むように腕を伸ばしている。いつの間にか城の外壁に追いつめられてしまって、逃げ場がない。
「ちょ、ちょっと……」
近づき過ぎじゃない? あんたさっきまで泣きそうな顔でわたしを拒絶していたわよね。気取って堅苦しい物言いで、わたしを幼なじみから赤の他人へと貶めようとしていたじゃない。それなのに……。
「僕はまだ兄さんのようにはなれてないかもしれない。けど、だけどーー」
アンドリューの髪と同じ薄茶色の瞳に、どんどんと熱が籠もっていく。彼の頬よりも赤い唇にわたしは釘付けになってしまった。
「だけどこれからも兄さんに近づけるよう頑張るから、だからいつか……、いつか僕だけのジュリアになってくれる?」
はにかんだように笑うアンドリューに、わたしの心臓は一瞬で爆発してしまった。
な、なんなの……? なんなのこれ、これって、これって……。
「ジュリア?」
アンドリューが柔らかく微笑んでわたしを見ている。まるで天界の天使様のように煌びやかな笑顔で、彼が笑うと花が綻ぶように開いた口元から、甘い香りがしてくるみたいだった。
キラキラと無駄に輝く瞳と、しっとりと濡れた唇。「ジュリア」とわたしを呼ぶかすれた声。
天使?
いや、違う。断じて違う。これは天使なんかじゃない。
このわたしを骨抜きにしてしまうような、甚大な破壊力を持つ危ない笑顔の正体は、天使と言うより悪魔。ううん、小悪魔のそれだった。
「ジュリア、返事をして……」
「あ、えっと……」
わたしは小悪魔とかしたかつての生真面目騎士に、何の対策も打てず、意外と逞しく感じるその腕の中で、ただただ甘い夢を見させられてるだけだった。
***
「おまじないって何よ?」
わたしの面倒臭そうな問いかけに、幼いアンドリューは目を輝かせて振り向く。
「うん、あのねーー」
女の子みたいに綺麗な顔で、彼は得意になって打ち明けてきた。
「髪を切らずに伸ばせって、そうすれば夢は叶うんだよ」
完結しました!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
最後、気持ち悪いくらいベタベタの展開で申し訳ございません。色々とツッコミ所も多かったことと思いますが、作者としては脱線することもなく、なんとか形になりまして満足しています。
完結マークが入れられて今は本当に、とても嬉しいです。
さて、この話はご存知のように「気まぐれプリンス」のスピンオフでございます。
しかし、この話が生まれたのは去年ぐらいでして、実は「気まぐれプリンス」を完結させた時に浮かんだスピンオフは別にありました。
その話もいつか書きたいと思っていて、小さな伏線はチラホラと今までの話に入れ込んだりしています。この話には入っていません、多分(汗)。
いつになるかは分かりませんが、いつか投稿することがありましたら、また覗いていただけますと幸せです。
それでは、この度は本当にありがとうございました!!




