試合ですって?!
「ちょっと待ちなさいよ」
わたしは殿下の居室を退くアンドリューのあとを追いかけ、さりげなく部屋から抜け出ると通路で捕まえた。
「昨日のアレ、どういう意味よ」
大きな声で呼び止めたのに、アンドリューは振り向かない。肩を怒らせた後ろ姿が、わたしを拒絶しているみたいだった。
「どういう意味とは?」
顔すら向けてこないで質問を返す態度に、こっちとしてもカチンとしてくる。
「あんたねぇーー」
わたしは歯ぎしりしながら必死に怒りを抑え込んで、アンドリューの堅い背中を睨みつけた。
奴の態度は、昨日からずっとこんな感じだった。
同じ主に仕えているというのに、視線さえ合うことはない。ラウルフレッド殿下を始め侍女仲間や騎士達でさえ、わたし達の間に漂う不穏な気配を敏感に感じ取っている。
それなのにこの男は、普段あれほど行儀に口うるさいくせに、態度を改めようとしないのだ。
「だから昨日のアレよ。デレクに手合わせしてくれとか言ってたでしょう」
「何かおかしいですか? 久しぶりに会った兄に成長を見てもらいたいだけですが」
アンドリューは他人行儀でよそよそしい雰囲気のまま、「用事がそれだけなら失礼します」と有無を言わせず立ち去っていった。
「ちょ、ちょっとまだ用事はーー」
虚しく消えていく声に返ってくる答えはない。
結局わたしは、それ以上何も出来ずに、足早に去って行く背中を見送るだけとなってしまった。このとりつく島のない態度は何なの?
***
昨日のことだ。
わたしとデレクの間に無理やり割り込んできた生意気な年下騎士は、あのあと、言いたいことを言い切って満足したのか、突然逃げ出すように目の前から走り去って行った。
現れた時も強烈な登場なら、いなくなる時も周囲を荒らしていく、まるで嵐か何かのような退場の仕方だった。
いきなりやって来た挙げ句、暴言を撒き散らし勝手にいなくなる。暴言とは言い過ぎなのかもしれないけど、こちらに与えてくるダメージは、生半可ではなかったのだから構わない。
わたしはあいつの皮肉混じりの毒舌に慣れているので別にいいけど、長いこと会わずにいたデレクはショックだったようだ。
酷く落ち込むデレクとは結局、アンドリューからさほど時を経ずに、お互いの寝床へと、すごすごと戻らずにはいられなかったのである。
そっ、盛り上がっていた気分はむちゃくちゃに踏み潰され、それどころじゃなくなってしまった。言いたいことの半分ぐらいしか言えなくて、彼からは何も聞き出せなかった。
あのね、せっかく作ったチャンスだったのよ? 最悪だと思わない?
だけど、あんなに意気消沈したデレクに、あれ以上何も言えるわけないじゃない。
これじゃ決死の思いでした告白も、彼の記憶から消えてしまってるかもしれない。
もう、何だってこんなふうになってしまったんだろう。何もかもぶち壊し。おまけにアンドリューとデレクの仲までおかしくなっちゃって、訳が分からないわよ。
だけどこれ、どう考えてもアンドリューが悪いわよね。何が原因か知らないけど、思えば最初から変だったわ。
あいつってばわたしとデレクの仲を邪魔するだけじゃ飽きたらず、って、今はそれはいいか……。
とにかく、相手の言い分すら聞かないでいきなり攻撃してきたんだから、どう考えてもあいつが悪いわよ。しかも昨日のことは、デレクじゃなくてわたしが悪かったのよ。明らかに言いがかりでしょ。
だけど、よくよく考えたら、わたしの何が悪かったって言うのかしらね。
だってさ、あいつはわたしの親でも、兄弟でも、何でもないのよ? 何で責められなきゃいけないわけ? 誰だって自由に恋愛する権利はある筈なのに、他人の権利に横から口出すなんておかしいじゃない。
そうよ、あいつに非難される言われはどこにもないわ! そうでしょう?
「ーー分かった」
目の前でうんざりしたように男が呻いた。
「分かったって何が?」
わたしはその男、頭を抱えて黙り込むケイン・アナベルを上目遣いで追い詰める。
「や、やめてくれ、ジュリア殿。分かったと言っただろう。君の憤懣やるかたない思いはようく伝わった。いやはや全く君の言う通り、この件はどうみてもブライアン殿が悪いな。ああ、議論の余地はない」
「へえ〜、あなたでもそう思うの、へえ〜。ところが実はね、この件にはもう一人、とんでもない悪人が紛れ込んでいたのだけど、それについてはどう思う?」
「もう一人の、悪……人?」
ケインはそわそわと、せわしなく視線を動かし始めた。落ち着きもなくあらぬ方ばかり目で追う彼に、わたしはもう一歩足を進めて近づく。
「ええ、そうよ。どちらかと言えば、そちらの方が罪が重いわね。その件であなたに、是非とも聞きたいことがあったの。ねえ、ケイン様、わたしとデレクが落ち合う約束をしたこと、アンドリューにも教えたでしょう?」
「うっ」
「裏で画策してわたし達の仲を引っ掻き回したの、あなたよね?」
「な、何のことだか……」
「とぼけないで、もうバレてるんだから!」
わたしは大声を出して啖呵を切った。
「アンドリューに告げ口が出来るのは、デレクを呼び出したあなたにしか出来ないの。ご丁寧に待ち合わせの場所までご指定してくれたあ・な・た、にしかね。じゃなきゃ有り得ないでしょ。あんな時間に、しかもあんな場所に、どうして都合よくアンドリューが現れるのよ。それはね、誰かに聞いたからに決まってるじゃないの」
「い、いや、それはあくまでも君の想像だろう……? 僕はよくは……」
「んまあ、しらを切る気? 往生際が悪いわよ」
ケインの鼻先に人差し指を突き立ててやると、黒髪の騎士はしばらくもごもごと何やら呟いていたが、やがて観念したようにため息をつく。
それから彼は媚びるような笑みを浮かべ、誠意の欠片も感じさせない、浮ついた視線を向けてきた。
「参ったな……」
「参ったじゃないわ、ふざけないでよ」
どうしてやろう、こいつ。リシェルの大事な人だけど、我慢出来そうにないわ。
「ちょっと、ケイン。ジュリアの言ったこと本当なの? あなたったら信じられない人ね」
その時、わたしの隣で一部始終を見守っていたリシェルが、耐えきれなくなったのか口を挟んできた。
そっ、わたしのプランに抜かりはない訳よ。こんな口達者な奴の前に一人でのこのこやって来る訳ないじゃない。こっちが丸め込まれておしまいなんて冗談じゃないもの。
「いやだって、そうでもしないとフェアでないだろう? それにその方がおもしろーー」
「ケイン!」
顔を赤くして絶叫する彼女に、わたしは「酷いと思わない?」と耳元で吹き込んで更なる怒りを煽ってやる。すると彼女はこちらの思惑通り、反省の影が薄い目前の騎士へ、息継ぎなしのお説教を繰り出して、こってりと油をしぼってくれたのだった。
今日のお昼過ぎ、つまりほんの少し前のことだ。例によって例のごとく、我が主ラウルフレッド殿下の逃走が発覚した。
昼食後の皆が気を緩ませた一瞬の隙をかいくぐり、殿下はしゃあしゃあと姿をくらませたらしい。毎度のことながらその才能たるや、本当に目を見張るものがある。この特技が将来にいかせればいいけど、公務を抜け出す国王なんて国に取っては有り難くない存在かもしれない。
が、しかし、わたしには幸いした。
殿下の出奔に気づいた本日の護衛騎士が、右往左往して行方を捜し始めたのを尻目に、わたしはリシェルの元へと急いだ。
そして、彼女が主のエミリアナ王女殿下より許しを得て王女の居室を出て来るやいなや、二人してケインのいる詰め所までいそいそとやって来たって訳だ。
何故、リシェルという強力な援軍を引き連れ、ケインの元へと来たのかと言うと。
それは甘い囁きで恋に悩む純真な乙女ーーわたしのことだーーの心を操り、いいように弄んでこちらをすっかりその気にさせた挙げ句、敵である要注意人物にまで情報を売りつけた二枚舌男に、正義の鉄槌をくだすためだったのである。
リシェルのお陰で当初の目的は果たされた。
彼女に言い負かされ、情けない姿を曝している男を見ていると、塞ぎ込んでいた気分が晴れ晴れとしてくるよう。
仕方ないわね、この辺で許してやるとするか。
ぎゃあぎゃあと騒がしい恋人達のせいで、すっかり寛いでいたわたしは、詰め所の前に植えられた木々の向こうから、一人の青年騎士が近づいて来るのに気づいた。
あら、誰かしら?
現れたのはすらりとした若い騎士だった。
「ケインさん、それに侍女長殿」
彼はかしましいリシェルとケインに目を丸くして、疑問を顔に浮かべている。
「あ、アーサー。いいところに来た。助けてくれ」
ケインは男に気がつくとホッとしたように手を伸ばした。金髪で涼しげな目元が印象的な青年は、わたし達を胡散臭く見つめてケインの手をつれなくやり過ごす。
「こんなところで、あなた方は何をされているのです?」
おおかた詰め所前で派手な喧嘩をしている二人に呆れたのだろう。無理もない、痴話喧嘩にしか見えないもの。
アーサーと呼ばれた若い騎士は、目を据わらせたかと思うと冷ややかな声を投げつけてきた。
「あまり大声で騒がれては悪目立ちしてしまいますよ。気をつけないとエミリアナ殿下のご評判にまで、波及してしまうかも。何しろあのお人柄ですし」
まっ、この青年てば、主を客観的に見ることが出来るらしい。エミリアナ殿下の王女という枠を超えたぶっ飛んだご気性は、決して悪いわけではないけれど、よくも思われていない。
「そ、そうだったわね。少しみっともなかったわ」
冷静に忠告をしてくる騎士の助言を受け、リシェルは慌ててケインから離れ口を閉ざした。
あら、一瞬で頭に血がのぼった彼女を黙らせるなんて、優男のくせになかなかやるじゃない、この子。見たところ、ケインなんかよりよっぽどしっかりしているのが窺える。
彼はわたしに気がついて軽く頭を下げてきた。濡れた頬が太陽の光を弾き、汗をかいているのが分かる。
多分今し方まで、訓練にでも励んでいたのだろう。詰め所でのんびりしていたケインとは大違いだ。
「アーサーは初めてだったな、リシェルのご友人、ジュリア・グランドミル殿だ」
ケインがわたしを青年に紹介した。
「ラウルフレッド王太子殿下の侍女殿だぞ」
会釈を返すわたしに、アーサーは驚いたような顔を見せる。
「王太子殿下の……?」
「え、ええ……?」
何かおかしいことでもあるのかしら。
「今……」
彼はぼんやりとした口調で言葉を続けた。
「鍛錬場で試合をしていたのは、確かラウルフレッド殿下の護衛騎士だったような……。アンドリュー・ブライアン、とか言ってたな」
「ええっ、それ本当ぅ?」
昨日の今日で、もう試合をしているって言うの? 大変だわ!
アーサーの一言に度肝を抜かれたわたしは、呆然とこちらを見つめるリシェル達を放り出したまま、一人その場を走り出していた。




