第百三十七話
俺は元大工だ。
釘を木の上に打付けるのは、誰よりも得意だったさ。同じ大工だった父ヨセフは、それこそ俺が幼い頃から、釘打ちの練習を何度も何度もしてくれたものだ。木槌の振り下ろし方も、力任せでは駄目だということも。手首で軽く放り投げるようにしてやれば、梃子の原理で彼らは勢いを増してくれる。
"よいか息子よ。ここの木目に沿うように、この釘を垂直に打ち込んでみろ"
するとあっという間に、釘は吸い込まれるように木の中へめり込んでいった。この感触は、まるで世界を支配するような感覚だ。右手の木槌から伝わる波動と、木材を支える左手に伝わる鼓動。俺は大工だ。物を作る職人だ。建設的に、そして堅実的に、この木槌と木材と釘だけで、人に安らぎを与える事ができたはずなんだ。
「釘を打ちこめ!」
大工をやっていて何種類もの釘を見てきた自負があるというのに、彼らローマ兵の取りだした五寸釘は、鉄製で恐ろしく残虐性に満ち溢れた長い釘だ。きっと先を鋭くさせる為に、何度も何度も職人が荒削りに尖らせたであろう。それがチクリと俺の掌の上で踊り、微かな出血で痛みを与えてくると、今度はローマ兵が木槌で思いっきり垂直に振り下ろしてきた。
「うがああああああああああああああああああああああ!!」
まるで猛獣の牙で噛まれたような痛みが、掌の中指の骨を何度も粉々にしていく。痛い!なんという痛みだ!痛いなんてものじゃない!己の慟哭が他人に感じられるほど、その激しい痛みが恐ろしく突き刺してくる。二度、三度と打ちつける度に、右手の神経は全て釘の中へ握りこまれて、吸い込まれていくようであった。そしてついに釘の先が手の甲を貫いて、十字架の奥まで達すると、彼らは釘の先を木槌で丸めた。
「次!左手に釘を打ちこめ!」
間髪入れずに、今度は左手にも同じような苦痛が迸ってきた。あごの辺りから耳元へと、異様なけだるい汗が吹き出しながら、左手の骨を鉄の釘が貫通していった。そして打ちつけられる度に、自分の左手は生気を失って、まるで別人の物のよう。打ち終わる頃には、その痛みだけで上半身に奇妙な震えが走り始める。
「よし!今度は両足だ」
先ほどの痛みを体験した身体は、まるでその痛みから無意識に逃れるように、ローマ兵からの拘束に抵抗している。自分では従おうと思っていてもだ。もはや身体が怖気ついているので、恐怖が止まらない。力任せに両足首を交差させられると、両手首と同じ要領で縄で両方を縛り付ける。そして今度はさらに凶暴な十二寸釘を、カッシウスが自慢げに持ち出した。まるで冥府ヘデスを守護するケルベロスの牙の様だ。さすがに一人では無理なようで、俺の両足首はローマ兵三人掛かりで抑えつけられ、そしてカッシウス木槌を得意げに振り下ろした。
「うああああああああああああああああああああああ!!」
木が粉々に折れるような音がした後、自分の断末魔が耳鳴りのように辺りに広がった。恐ろしいほどの正確さで、カッシウスは俺の両足首に釘を何度も打ち付けていく。その度に、バキバキ、バキバキと砕ける骨の音が振動で伝わってきた。痛みを越えた痛み。吹きだしていく大量の血。足元の方で、ズン、ズンっと釘が十字架へと入りこんでくる度に、俺はその激しい痛みに顔を歪ませるしかない。もはやその苦痛で自由になれるのは、俺の首から上だけなのだから。
「十字架を立たせろ!」
ローマ兵達は効率良く、そして淡々と作業を始めていった。先ずはカッシウスが十字架を立たせる土台作りを始めると、他のローマ兵達が、長い縄を両腕と十字架に絡め始めた。次に、俺の腹部をグイっと押しながら、その腰辺りを強く縄で縛り始める。これは磔刑にさせられてから、バランスを崩して磔から肉体が外れない為の策だ。ようやくカッシウスが土台作りを終えると、十字架の足元をローマ兵二人掛かりでバランスを取るように抑えている。
「十字架の足元を土台に入れるんだ!」
カッシウスの合図と共に、二人はバランスの良い位置を探りながら、十字架の根元を抑えながらな土台へと入れていった。同時に両腕に巻かれた縄は、別のローマ兵二人に前から引っ張られ、ゆっくりと、ゆっくりと地面から身体を宙に浮かされていく。しかし呑気に、高い視線を楽しめるようような状況ではない。彼らが縄を引っ張る度に、両手両足の釘から激痛が全身を襲っていく。恐らく十字架が空いちょうに立たされ、土台の中へすっぽり入った時には、自分の体の重さを全て両手の釘だけで支えなければいけないのだ。
「いい感じだ!そのまま十字架を立たせろ!」
「はい!」
「向きに気をつけろ、真正面だ!」
「はい!」
カッシウスの指示通りに、ローマ兵達は向きを気にしながら、時折こちらをチラチラと覗きこんでくる。磔刑された俺に興味があるのではなく、あくまでも十字架の向きだけだ。この期に及んで、この俺を磔刑の身から救い出そうなんて思っている輩はいないのだから、そこには慈悲も情けも無い。その証拠に、民衆の後ろの方には、あのサドカイ派の大司祭カヤパ達が見えるではないか。ロバの上に跨りながらこの俺を嘲笑している様子。
「フン、ナザレの大工め。ようやく堪忍したか?」
「それでもカヤパ様、あの男はこちらを睨んでおりますぞ」
「この期に及んで、あれほど痛めつけられたというのに、まだ抵抗する気だというのか!?」
金に目がくらんだサドカイ派の連中め!人の信仰心をローマ硬貨に変えた偽善者め!今この場で貴様らを八つ裂きに出来なくとも、いつか!いつか貴様らに仕返しをしてやる!いいか?貴様はこの俺を磔刑にさせた張本人だ!世界に愛と平和をもたらす為に生れたこの俺を!貴様らは今の時代だけを見て、己の欲望だけに囚われたまま、この俺に死を与えようとしているのだ!
「いいぞ!そのまま下ろせ!」
ようやくローマ兵は十字架のバランスを探し始め土台へと下ろした。
「うがああああああああああああああああああああ!!」
痛みはさらに激痛を越え、その勢いたるは、先ほど忘れかけていた両手両足首の痛みを思い起こさせる。手首だけではなく、今度は身体を支える両肩にもやってきた。関節が焼けるように熱くなり、ギリギリと上腕骨と肩甲骨が軋み始めた。まるで炎に突っ込まれたような痛さだ。この身体を唯一支えるのは、両肩両手首、そして脆弱な腰に巻かれた紐だけ。だが腹部はその締めつけで、グイッとめり込んで呼吸困難を引き起こし始める。
「カッシウス!属州民をこの三人の磔刑者から離れさせろ!!」
「はい!ロンギヌス隊長!」
カッシウスは俺の足元で自分の長い槍を持ち替え、ユダヤ属州民へ槍の先を向けた。当然近くで俺に投石をしようとしている者達に、カッシウスの槍は抑制となっていった。暫く痛みは消える事はないが、慣れ始めた時に、強盗の罪で牢に捕まっていたディスマスとゲスタスも磔刑にさせられている。俺の右隣がゲスタスで、左隣がディスマス。二人とも俺と同じように、両手両足首を釘で刺され、十字架の磔にさせられているが、俺と違うところといえば、頭には荊の冠も無ければ、ユダヤの王などと愚弄した"INRI"の罪状文も掲げられていない。俺は死してもなお、民衆からユダヤの王を自称したとして嘲笑されるのだ。するとカヤパがロバから降りて、俺の足元まで近付いてきた。
「どうした!?ナザレの大工よ。貴様は奇跡を起こせるそうではないか?その奇跡とやらで、その磔刑からここまで降りてみよ!」
ああ、哀れなカヤパよ。この状態においても、なお、俺に知恵比べをしようとするのか?
「貴様はユダヤの王と名乗った!ユダヤの王は救世主なのだ!ならばなぜ?磔刑を外さないのだ!?」
なんという。自分が己の欲望に負けた事を棚に上げ、俺を罪人として扱うために、狂言まで見せようというのか?愚かなカヤパめ。哀れなカヤパめ。
「お前を赦そう、カヤパ......」
「!?」
いいや、もっと叫んでやろう。この哀れな男の為に、俺は全身の力を振り絞り、そして奴らの罪が購われることを祈ろうではないか!
「おい!聞こえるか!?スーパーゼウス!」
「キーーー!ナザレの大工!何を言い始めるザマス!?」
「うるへーカヤパ!黙って聞きやがれ!」
そして大工のあんちゃんは、再び天空にでっかいシャウトをかましたのです。
「いいか?スーパーゼウス!こいつらを赦してやってくれ!頼むぜ~!」
続く




