第六話 一致団結!スパダリ課!
「テスト室あいてるか」
所長の声に全員の動きが止まる。
「テスト室空きあります。すぐ行けますよ」
「そうか。じゃあ、手が空いてるものだけでいい。準備ができ次第来てくれ」
「「「はーい」」」
所長はスタスタと部屋を出る。扉の閉まった瞬間、全員の動きが一斉に慌ただしくなった。
「衣装の予算申請、明日に回します!」
「おう」
「『積極性』の変更許可取りも明日でいいですか」
「ま、大丈夫だろ」
『では、社内で協議をかけたのち、明日折り返しご連絡させていただきます』
書類をまとめ、データのバックアップを取る。中には電話を切り上げるものまでいた。気づけば、全員が仕事を切り上げるために動いている。
「さ、行こうか奈々ちゃん」
あまりの手際の良さにあっけにとられていると、馴れ馴れしく大柄の男性が声をかけてきた。名前は確か……。
「……えーと……」
「熊本です。人数多いからすぐには覚えられないよね。熊さんでいいよ」
そういって、ニカッと笑う。
「あのー、みんな行くんですか?」
思わず周囲を見回す。
ついさっきまで「手が空いてるものだけでいい」と言っていたはずなのに、気が付けば部署の全員が立ち上がろうとしている。ここまで二分とかかっていない。
「そうだね。他の課は知らんけど。うちはなるべくね」
――ここだけ?
そんなことを思っている間にも、課員たちは次々と部署の外へ出ていく。
なかには書類を抱えたままの人やタブレット端末を片手に持った人。なぜかペンを耳に挟んだままの人まで。どう見ても仕事が途中の人達まで席を立ちだした。
……なるべくとは。
「ちょ、ちょっと待ってください。さっきまでみんな忙しそうだったじゃないですか」
「いいからいいから。ほら、行こう」
熊本さんに促され、私は慌てて歩き出した。
部署を出ると、廊下にはすでに長い列ができていた。
「今回のは王子系なんだよな?」
「しかも、注文書かなり細かかったらしいですよ」
「コアの調整、所長がやったんだろ?」
「へー、あれ私がやりたかったなー」
みんな、やけに楽しそうだ。
仕事を途中で放り出してまで行くくらいだから、嫌々付き合っているわけではないのはわかるけど。
それにしても、遠足にでも向かうような浮き足立った雰囲気だ。
「何がそんなに楽しみなんですか?」
私が尋ねると、熊本さんはニカッと笑った。
「そりゃ楽しみだよ」
「テストが?」
「テストというより――」
熊本さんが言葉を続けようとしたその時。
「着いたぞ」
前を歩いていた誰かの声が聞こえる。
顔を上げると、いつの間にか私たちは一つの扉の前まで来ていた。
扉の横には、小さなプレートが取り付けられている。
『テスト室』
熊本さんは今度はニカッではなく、にやりと笑った。
「まあ、中に入れば分かるよ」
……こわっ。教えてよー。
私は先輩たちの後についてテスト室の中へ入った。
中へ入って、思わず足を止める。
――広っ。
部署の会議室などとは比べものにならないほど広い空間だった。
部屋は二つに分かれている。
私たちがいる部屋と、その向こうにあるもう一つの部屋。その間は壁一面を覆う大きなガラスで仕切られていた。そして、二つの部屋を直接行き来するための扉が一つだけ設置されている。
「こっちがモニター室」
私たちが入った側には、壁際にいくつものモニターが並んでいる。中央には長机があり、その前には椅子が整然と並べられていた。二十人近いスパダリ課の社員が一度に入ってきても、まったく窮屈そうではない。そして、その正面。壁一面に大きなガラスが設置されていた。
「で、あっちが実演室」
熊本さんの指の先を目で追う。
ガラスの向こう側にも、もう一つ部屋がある。そちらはモニター室とは違い、余計なものがほとんど置かれていない。広々とした白い空間だった。ただ、実演室の照明はまだ十分に点いていなかった。
天井の照明がいくつかだけ淡く灯っているため、部屋全体が薄ぼんやりと浮かび上がっている。白い壁や床は見えるものの、部屋の奥には淡い影が落ちていた。
熊本さんが、モニター室の壁際に設置された操作盤へ歩いていく。
「じゃあ、つけるぞ」
そう言って、いくつか並んだスイッチの一つを押した。
カチッ。
次の瞬間、実演室の天井に設置された照明が、一斉に灯る。
ぱっと白い光が広がり、それまで薄ぼんやりとしか見えていなかった部屋の全貌が明らかになった。
実演室の中央。
真っ白な床に、大きな黒い円が描かれていた。まるで舞台の中心を示す印のような、くっきりとした黒い円。その中に、二人の人物が立っていた。
一人は、先ほど調整室で見た金髪の王子。白い礼装を身にまとい、金糸の刺繍が照明の光を受けて輝いている。
そして、その少し離れた場所にはもう一人。すらりとした女性がこちらへ背を向けて立っていた。
淡い色のドレス。
腰まで流れる長い栗色の髪。
その後ろ姿だけでも、どこか気品が感じられる。
おそらく――王子の相手役なのだろう。
私はガラス越しに、二人の姿をじっと見つめた。
熊本さんは操作盤の前に立つと、手に持っていたタブレット端末を取り出した。
「さてと」
端末の側面から細いケーブルを引き出し、操作盤の接続端子へ差し込む。カチリ、と小さな音がした。
熊本さんがタブレットを操作する。すると、目の前の大きなガラスに淡い光が浮かび上がった。
「うわっ」
思わず声が漏れる。
透明だったはずのガラスの表面に、次々と文字や図形が表示されていく。
【対象キャラクター:アルベルト・フォン・ローゼンベルク】
【年齢:二十四歳】
【役割:王太子】
【容姿:最高水準】
【知性:S】
【財力:S】
【社会的地位:S】
【共感性:B+】
【献身性:A+】
【ヒロイン優先度:最優先】
その隣には、さらに別の情報が表示される。
心拍数。感情波形。人格安定率。コア定着率。
そして、現在の心理状態。
【緊張:低】
【警戒:低】
【好意:未形成】
【愛情形成因子:正常放出中】
「これ、全部リアルタイムで分かるんですか?」
「そういうこと」
熊本さんはタブレットから目を離さない。
「テスト中はキャラクターの状態を常に確認する。何か異常があれば、すぐにテストを中止して再調整だね」
ガラスの表示はさらに増えていく。
王子の全身を模した立体図。
胸部で安定しているコアの位置。
人格情報の稼働状況。
さらには注文書に記載された条件まで。
【ヒロインが泣いている場合:無理に理由を聞かない】
【ヒロインの意思を尊重する】
【他者の前では冷静な態度を維持】
【ヒロインに対してのみ、段階的に心を開く】
私は思わずガラスを見つめた。
まるで、一人の人間の頭の中を外から覗いているようだ。
「すごい……」
「まだ驚くのは早いぞ」
熊本さんがにやりと笑い、タブレットの画面をさらに操作した。
すると、実演室の中央に描かれていた黒い円が、ぼんやりと光り始めた。
「テスト環境、展開します」
熊本さんが機械的な声を真似るように言う。
「――え?」
黒い円の内側から、淡い光が立ち上がる。
最初は薄い霧のようだった。けれど、その光は次第に形を持ち始める。
何もなかった空間に石畳が浮かび上がり、続いて壁、窓、そして、大きなシャンデリア。
光の粒が集まり、次々と形を作っていく。
「え……ええっ?」
私は思わずガラスへ顔を近づけた。
さっきまで真っ白だった実演室の中央に、まるで別の場所が生まれ始めている。
高い天井。豪華な装飾。壁を飾る大きな肖像画。二人の周囲に華やかな空間が広がっていく。
「背景生成?」
「正解」
熊本さんは楽しそうに答えた。
「物語の世界を再現して、その中でテストするんだ」
光が消える。
そして、その跡に残ったのは、白い実演室の中に作り出された一つの豪華な王宮の広間だった。
黒い円の中だけが、完全に別世界になっている。
その中央で、金髪の王子と一人の令嬢が向かい合っていた。
――いよいよ、始まるんだ。
私は思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
物語の世界が、今まさに目の前で再現されている。
すると最後に、ガラスの上部へ、これまでとは比べものにならないほど大きな文字が浮かび上がった。
私は何気なく、その文字を目で追う。
【物語タイトル】
『興奮すると鼻血が止まらない私が第三王子に溺愛されすぎて失血死しそうなんですけど』
「…………」
さっきまで感じていた緊張感が、一瞬にしてどこかへ消えてしまった。
そんな私の横で、熊本さんは何事もなかったかのように操作盤の脇に設置されたマイクを手に取る。
「さぁ――」
熊本さんが、楽しそうに笑った。
その視線の先では、ガラスの向こうにいる王子と令嬢が静かに向かい合っている。
「テスト開始!」
ブォンッ!
低い駆動音とともに、実演室の黒い円が淡く光り始めた。




