第三話 わたしのスパダリ論
挨拶が終わり、スパダリ課には喧騒が戻っていた。
私は所長のデスクの前に立っていた。目の前の美丈夫は机に両肘を置き、目の前で手を組んでいる。
なんか就活してた頃を思い出すなー、あの頃は勇者課に――なんて思っていると所長が口を開いた。
「さぁ、君のスパダリ論を語ってくれ」
正直困った。私はスパダリの意味さえ知らない。
しばらく考えた後、頭に一つの言葉が浮かぶ。
「……す……す……」
「す?」
「……すぱげてぃどりあ」
所長の笑顔が固まる。お茶を飲みながら横目でこちらを窺っていた先輩が噴き出した。
わかってる。自分でもよくわかっている。絶対に違うって。
「……な、なるほど、初心者ってことか。いいだろう」
所長は咳ばらいをし、立ち上がる。そして、横にある『目標100万PV』『あきらめたらそこで物語は終了ですよ』などと書かれたホワイトボードをおもむろに叩いた。ホワイトボードはグルンと半回転し、まっさらな裏面のホワイトボードが表へと変わる。
所長はホワイトボードへさらさらと何かを書き込んだ。
「スパダリ……それは『スーパーダーリン』の略語だ。」
そ、そうだったのか。良かった。スパゲティドリアじゃなくて。それにしてもスーパーダーリン。正式な名称を聞いても全くイメージがわいてこない。
所長の説明は続く。
「スーパーダーリン。つまりは『理想の恋人・配偶者として非常に高い完成度を持つ男性』である。ここが重要だ。」
ほほぅ。なんだか掴んできた気がする。
「それは優秀ってことですか?」
「惜しい。そこが初心者が陥りやすいポイントだ。イケメン=スパダリではない。そして、金持ち=スパダリでもない。さらに、仕事ができる=スパダリでもない。もちろんそれらはスパダリを構成する要素ではある。だが、真に素晴らしいスパダリとは『能力の高い男性』ではなく、『ダーリンとして優秀な男性』なのだ。」
どう違うのかわからなくなってきた。
私が黙り込んでいるのを見て、所長は少しだけ首を傾げた。
「……ん? まだピンと来てないか?」
「すみません。なんとなくは分かるんですけど……」
正直に答えると、所長は「ああ」と小さく頷いた。そして、何かを思いついたようにホワイトボードへ向き直る。
「じゃあ、具体例で考えてみよう」
そう言って、マーカーのキャップを外す。ポンッ、と乾いた音が部屋に響いた。所長は少し考えるようにペン先を止め、それから白い板の上にゆっくりと文字を書き始めた。
「例えば――」
さらさらと、黒い線が走る。
私はその背中を見つめながら、何が書かれるのだろうと身構えた。
「こういう男性がいたとしよう」
所長はそう言って、書き終えた文字をこちらへ向ける。
【 年収3000万円。超一流企業勤務。東大卒。身長190cm。イケメン。スポーツ万能 】
おぉ……これはすごい。
「これらの条件を満たすのなら間違いなく、その男はハイスペック男子。すなわち優秀であると言えるだろう。しかしな」
所長が身をかがめ、口元に手をやり、声のトーンを下げる。怖い話のオチを言う前のような独特のタメが入る。私はつられて身を乗り出してしまう。
「その男が、『俺の女なんだから俺の言うことを聞け』などと言い出したらどうだろう」
「ひえぇぇーー」
しまった。つい怪談を聞かされた時みたいな反応をしてしまった。
「能力は高い。だが、スパダリとは限らない。なぜなら、スパダリの評価対象は、本人のスペックだけではないからだ。」
私は腕を組む。
うーん。言いたいことは何となく分かる。たぶん。
でも、まだ上手く言葉にできない。勇者だったら簡単なのに。勇気。強い。仲間を思う心。そんな感じで分かりやすい。だけどスパダリは違うらしい。イケメンでもダメ。金持ちでもダメ。頭が良くてもダメ。だんだん分からなくなってきた。
「じゃあ、何があればスパダリなんですか?」
私の問いに、所長は満足そうに頷いた。その質問を待っていたと言わんばかりに。
「では、何が評価されるのか。それは――その人が、相手に何を与えられるかである。どれだけ高い能力を持っていても、それを自分のためにしか使わないのであれば、ただのハイスペックな男性だ。スパダリとは違う。スパダリの本質はそこだ。自分がどれだけ優れているかではなく、相手にどれだけ『幸福・安心・尊重』を与えられるか。これこそが、スパダリをスパダリたらしめる重要な要素なのである。」
――幸福。安心。尊重。
私はその三つの言葉を頭の中で繰り返した。
どれもゲームのステータス画面には載っていないものばかりだった。でも――。
「なんか……勇者みたい」
気づいたら呟いていた。
「ほう?」
所長の眉が僅かに上がる。
私は慌てて言葉を続けた。
「いえ、その……世界を救うとかじゃなくて」
どう説明すればいいんだろう。少し考えてから言葉を探す。
「勇者って、強いから勇者じゃないじゃないですか。誰かを助けたいと思うから勇者なんです。たぶん。」
所長の口元がわずかに緩んだ。
「面白い見方だな」
それが褒められたのかどうかは分からなかった。けれど、スパダリというものがほんの少しだけ分かった気がした。
その時。
「所長」
後ろから声がかかる。振り返ると、先ほど『ざまぁは注文書の倍入れるんだよぉ!』と叫んでいた男性社員が立っていた。手には一枚のタブレット端末を持っている。
「ガワ、完成したそうです」
所長が目を細める。
「ほう」
「最終チェックも終わっています。いつでもコア投入可能です」
「ちょうどいい」
『ガワ』。『コア』。実物は見たことはないけど、どちらも研修で習った内容だ。ガワがキャラクターの肉体でコアが人格や記憶の核となる部分だったはず。
「朝倉」
「は、はい」
所長はゆっくり振り返った。白いシャツの裾が揺れ。長い黒髪がさらりと肩を流れる。そして、そのまま私の肩へぽんと手を置いた。
「百聞は一見に如かずと言う。実際に見てもらおう」
「何を……ですか?」
所長の笑みが深くなる。
「スパダリが生まれる瞬間を、だ」




