第二話 ようこそ、スパダリ課へ
八階の会議室はお祭り騒ぎだった。あちこちで歓声が上がる。
「やった! 第一希望だ!」
「同じ課じゃん!」
「よろしくな!」
配属先の決まった同期たちが笑顔で言葉を交わしている。けれど、その声はまるで遠くから聞こえてくるようで、私はまだ呆然としていた。
――スパダリ課。スパダリ課。すっぱだか。スパゲティドリア。スーパードリルカー
意味の分からない言葉が頭の中をぐるぐる回っている。気付けば人の流れに押されるように会議室を出ていた。廊下を歩き、エレベーターへ向かう。いつの間にか扉が開き、いつの間にか乗り込んでいた。まるで自分で歩いている感覚がない。
エレベーターが下降を始める。どうやら配属先ごとに途中の階で降りていくらしい。
「じゃ、お先」
勇者課に配属された同期がそう言って降りていく。閉まりかけた扉の向こうで、彼女は嬉しそうに笑っていた。
チン。
再び扉が開く。今度は別の同期が降りる。さらに一人。また一人。階を移動するたびに人数は減っていった。そのたびにエレベーターの中が少しずつ広くなる。
気が付いた時には、私だけになっていた。しんと静まり返った箱の中で、機械音だけが響いている。何となく顔を上げる。エレベーターの壁面の一つは鏡張りになっていた。空間を広く見せるためのものだろうか。あるいは身だしなみを整えるためかもしれない。
そこに、一人の女が映っていた。口を半開きにして、焦点の合わない目で抜け殻のように立っている。ひどく間抜けな顔だった。私はその女をしばらく見つめる。すると向こうもこちらを見ていた。
――ひょっとして……あれ、わたし?
鏡の中の間抜けな女は苦笑いを浮かべた。
チン。
エレベーターの扉がゆっくりと開いていく。
◇
OTOGI本社の三階。
廊下には、これから物語へと旅立つキャラクターたちのポスターが等間隔で並んでいる。勇者、聖女、魔王、悪役令嬢。憧れの顔ぶれを横目に見ながら、私は指定された部屋番号を探した。
307号室。ようやく見つけたその扉の前で、私は足を止めた。扉には、達筆な筆文字でこう書かれていた。
『スパダリ課』
文字の下には、やけに主張の強いピンク色のハートマークが、ドンと添えられている。
なんとなく想像していた勇者課にありそうな重厚な扉とは明らかに違った。そう、スパダリ課。課。勇者の名前じゃない。部署名だ。
その瞬間、ぼんやりとした記憶がよみがえる。
入社前に何度も読み返したOTOGIの会社案内。勇者課や魔王課ばかり見ていたせいで、ほとんど記憶に残っていないけれど、たしか組織図の片隅にそんな名前の部署があった気がする。いや、あった。間違いなくあった。それなのに……何をしている部署なのかは全く思い出せない。
私は扉の前で立ち尽くす。その向こうからは、何やら騒がしい音が聞こえてきていた。
複数人の話し声。ばたばたと行き交う足音。時折混じる何かの叫び声。
――本当にここで合ってるよね
もう一度扉の前のプレートを確認する。
『スパダリ課』
やっぱり合っていた。課のプレートに着けるには不似合いなピンク色のハートと中の喧騒のせいで逃げ出したい気持ちが湧き上がってくる。勇者課じゃない。その事実はまだ受け入れられていない。できることなら、今からでも「あ、ごめん。間違いだった。」と言ってほしい。けれど。
私は小さく息を吐く。
ここまで来たのだ。たとえ勇者課じゃなくても。たとえ何をする部署か分からなくても。今日からここが私の職場になる。
私は自分の両頬をぺちんと叩いた。
「よし」
小さく呟く。
勇者ならどうする。知らない場所だからと逃げたりはしない。第一歩くらい、自分で踏み出すはずだ。
私は背筋を伸ばし、ドアノブへ手を伸ばした。意を決して扉を開ける。
「失礼しま――」
扉を開いた途端、音の洪水が私に襲い掛かってきた。
「だからそれじゃダメだって!」
「誰か第七世界線のデータ持ってませんか!?」
「あぁー、もう。皇太子がまたプロポーズしてる!」
「パラメーターが愛情150、積極性が300になってますぅ!」
「またかぁ! 誰だやったのは」
怒鳴り声、叫び声、机を叩く音、何かが落下する音が飛び交う。
外にいた時はただ騒がしいとしか思わなかった。けれど中は別世界だ。人が走り回り、書類が飛び、誰かが頭を抱えている。そして、その横で誰かがガッツポーズをしている。
私は開いた扉を持ったまま立ち尽くした。
なんだか思っていたところと違う。物語のキャラクターを作る部署ならもっとこう。重厚で、厳かで、知的な雰囲気を想像していた。世界を救う主人公を作る部署。大きなモニターに真剣な会議。センスの光る知的な議論。そんな光景だ。だが、目の前に広がっているのは学園祭前日の実行委員会を十倍騒がしくしたような光景だった。しかし、いつまでも突っ立っているわけにもいかない。
私は意を決して一歩前に出る。
「あ、朝倉奈々です! 本日付で配属になりました! よろしくお願いします!」
精一杯声を張り上げた。が。誰も反応しなかった。
「皇太子の積極性30に下げました!」
「それじゃモジモジして終わっちまうぞ!」
「あの!」
「『ざまぁ』足りてない! どうなってる!?」
「え!? 注文書通りです」
「『ざまぁ』は注文書の倍入れるんだよぉ! どうせ後から足りないって文句出るんだから」
「あのー!」
聞こえていない。本当に聞こえていない。私は気まずそうに口を閉じた。
こんな時、勇者ならどうするだろうか。……いや、物語の勇者でも入口で三回も挨拶を無視されたことはないはずだ。私は意を決して本日二度目となる勇気を振り絞ることにした。
息を大きく吸い込み、おなかに力を入れる。
「あのぉぉーーっ!!」
私の『会心の一撃』が決まった。
ぴたり。
部署中の動きが止まる。……止まりすぎた。机に身を乗り出していた人も、走り回っていた人も、ホワイトボードに何かを書き殴っていた人も。全員が一斉にこちらを振り向いた。二十人近い視線が突き刺さる。
――き、気まずい。
さっきまで誰も私のことなんて見ていなかったのに、急に見られすぎた。私は引きつりそうになる顔を必死に押さえながら頭を下げた。
「朝倉奈々です! 本日付でスパダリ課へ配属になりました! よろしくお願いします!」
一瞬の静寂。
そして、部署の奥にいた大柄な男性がぽんと手を叩いた。
「ああ、新入社員か」
男性は納得したように頷くと、部屋の奥へ向かって声を張り上げる。
「所長ー!」
返事はない。部屋の奥。大きな窓の前に、一人の人物が立っていた。部署中の視線が私へ向いている中、その人だけは背中を向けたまま手元の資料に集中している。腰まで届きそうな長い黒髪。白いシャツの背中へ流れ落ちるその髪は、窓から差し込む光を受けて艶やかに輝いていて、思わず見惚れてしまうほど綺麗だった。
男性はさらに大きな声を出す。
「所長ー! 今日配属になるって新入社員が来ました!」
そこではじめてこちらに気付いたように、手元の資料から顔を上げる。そしてゆっくりと振り返った。
思わず息を呑む。
整った顔立ちだった。いや、整っているなんて言葉では足りない。長い睫毛に切れ長の目。すっと通った鼻筋。白い肌。スラリとした肢体。すべてが絵画の中から出てきたみたいに整っている。
――ちょ、超ド級の美人。
それが最初の感想だった。
その人は、惚けたように立ち尽くす私を見るとふっと口元を緩めた。それは天女のように柔らかな微笑みだった。けれど同時に、凛と咲く一輪の花のような近寄りがたさも感じさせた。そして、その美しい唇が静かに開く。
「はじめまして。所長の神楽坂玄房だ。」
……ん? 今なんて言った? はるのぶ? それにこの声……
私は瞬きをする。もう一度その顔を見る。やっぱり綺麗だ。でも、よく見れば確かに肩幅が広いし、手も大きい。声だって低い。どうしてさっきまで気付かなかったんだろう。私の脳内で、今まで積み上げてきた『美人なお姉さん像』が音を立てて崩れていく。所長は間違いなく男性だった。なのに。……なのに。その事実に気付いた瞬間、胸の奥から言葉にならない感情が込み上げてくる。
なんだろう。
悔しい。
理由は分からないけれど、とても悔しい。
私が一人で勝手に打ちのめされている間に、所長は優雅な仕草でこちらへ手を差し出した。
「ようこそ、『スパダリ課』へ。」




