第二十六話 帰り道
私たちは王宮を離れ、森の中に突き刺さった巨大な銛のもとへ戻ってきた。
所長は足が痛むのか、息を整えながら、もたれるように銛へと寄りかかっている。そして、荒い息のまま、左手の端末を開いた。 画面が薄暗く光り出す。
「位置に着いた。戻してくれ」
声は平静を装っていたが、疲労までは隠し切れていない。
数秒後、端末からオペレーターの返答が流れる。
『了解しました』
その一言を聞いて、ほっと安堵の息をついていると、いつの間にか滑車のハンドルを掴んでいた所長が私に振り向いていた。
「朝倉。何をしてるんだ。掴んでないと置いてかれるぞ」
「えぇっ? 待ってください」
慌てて駆け寄り、自分のハンドルを掴む。
その瞬間、ロープが爆発的な勢いで引かれた。
「ひゃあああああっ!?」
ロープに引かれ、私たちの体が一気に宙へと持ち上がる。同時に、地面に突き刺さっていた巨大な銛が、轟音とともに引き抜かれ、土砂が舞い上がり、周囲の木々が激しく揺れた。
眼下に広がる森が、あっという間に遠ざかっていく。
見上げれば、空の一角に私たちが入ってきた穴がぽっかりと開いていた。私たちはそこへ向かって、来た時以上の猛スピードで突っ込んでいく。
「ま、待って! 速い! 速すぎますってぇぇぇ!」
風が顔面に叩きつけられ、声が後方へ吹き飛ばされる。
――せめて……せめて帰りくらいは、ゆっくりとこの世界の余韻に浸りたかったのに。
そんな私の願いもむなしく、穴はみるみる近づいてきた。
景色が一瞬で流れ去り、私たちは上空に開いた穴へと飛び込んだ。視界が暗転し、目の前に広がったのは、星々が瞬く宇宙のような空間。無数の光が尾を引き、視界の端へと流れていく。
だけど、そんな光景を楽しむ余裕などない。私は移動している間も、ひたすら叫び続けていた。
「落ちる! 落ちちゃうぅぅぅ!」
「うるさい。朝倉」
所長の呆れた声が耳元で響く。
その直後、ハンドルを握る手にかかっていた負担がふっと軽くなった。
見ると、所長が片腕で私の体を支えていた。まるで、抱きかかえるように。
……いや、助かるけど! でも、これじゃお姫様みたいで……。
顔が熱くなる。私はごまかすように、必死にハンドルへしがみついた。
やがて、暗闇の向こうに小さな光が見えてくる。
光はみるみる大きくなり、私たちを包み込もうとしていた。
◇
光が近づくと、見慣れたテスト室の光景が目に飛び込んできた。
ロープはバリスタに近づくにつれて徐々に速度を落とし、やがて私たちの体もゆっくりと引き寄せられていく。
その先では、課のみんなが扉に張り付いていた。
いや、張り付いているというより、押し合いへし合い、扉に顔を寄せている。前列の人たちは鼻がくっつきそうなほど身を乗り出し、その後ろからも何人もの顔が覗いていた。
やがてロープが止まり、所長と私はテスト室の床に降り立った。
「おかえりなさいー! しょちょぉぉおお! 大丈夫ですかぁ!?」
待ち構えていたスパダリ課のみんなが、一斉に駆け寄ってきた。
所長の周りに人が集まり、次々と声をかけ、肩を貸す。
その光景を眺めながら、私はようやく実感した。
――本当に、帰ってきたんだ。
そんな実感に浸っていると、背後から声をかけられる。
「奈々ちゃん、おつかれさま」
振り向くと、熊さんが立っていた。
「あ、熊さん。ライブは? ライブはどうなったんですか?」
「うーん……なんというか……」
熊さんは、どこか歯切れの悪い返事をした。
「えぇ、なんですか!? まさか、ダザムに何か?」
「いやいや、ダザムはあの後大活躍。ただ、ちょっとネットが――」
そう言って、熊さんがモニターを指さした。
そこには、ライブ配信のコメントや視聴者の反応が、画面を埋め尽くす勢いで流れていた。
次から次へと表示される文字列。
「なんか、ダザム途中変じゃなかった?」
「姫を守るところで泣いた」
「あの巨体で照れてるの反則」
「最後、告白の返事どうなったんだよ!」
「続きは!? 続きはいつ!?」
「原作とはちょっと違うけど、ダザムはやっぱりダザムだったな」
「伏線だらけの予感。考察勢あとは頼んだ」
勢いよく流れていくコメントに、画面の端にある反応数まで目まぐるしく変化している。
「見ての通りの大反響。こんなの今まで見たこともないよ。ダザムの異常も伏線だと思われたみたい。だけど……はぁ、これからどうしよう。作者さんにも説明しなきゃだし、あとで修正するのも大変だよ」
熊さんは頭を抱えていたけど、コメントを見た私はなんだか嬉しかった。
原作からズレたことばかり気にしていたけれど、視聴者が見ていたのは、筋書きどおりに動くダザムだけではなかった。 姫を守ろうとする姿。告白に照れる姿。視聴者は、そんなダザムの姿をちゃんと見てくれていた。
そこで、所長が言っていた言葉を思い出す。
「ダザムの中身も、今までの行動も、リディア姫はちゃんと見ている。視聴者だって同じだ。きっと大丈夫だ」
所長を見ると、所長はいつもの涼しい顔をしている。
私は少しだけ、所長の言葉の意味を理解できた気がした。
――はぁ、それにしても、もっと活躍したかったなぁ……。
私は、ぼんやりと天井を見上げた。
煌びやかな鎧をまとい、魔法を放ち、剣を振るう。
敵の攻撃を華麗にかわし、必殺の一撃を叩き込む。仲間たちから歓声が上がり、誰かが「さすが朝倉!」なんて言ってくれたりして。
……いい。実にいい。
そんな自分の姿を想像していると、自然と頬が緩んできた。
「……えへ。えへへ」
思わず、だらしない笑みがこぼれる。
そのとき、ふと視線を横に向けた。
ガラスの向こうに、自分の姿が映っている。
全身黒タイツのようなスーツに、顔だけがぽっかりと出た格好。
…………。
――忘れてた!
改めて見ても、やっぱりだっせぇぇえーー!




