第二十五話 決着
ふと視線を落とすと、所長が先ほどまでいた場所に、紫の液体が入った銃が転がっていた。
「どうして!? わたしのことなんか――」
「なんか……なんて……言うな」
「でも……」
言い返そうとした私を遮るように、所長が口を開いた。
「それより……ダザムとリディアはどうなった」
「――あ!」
はっとして顔を上げる。
私は慌てて庭園の向こうへと目を向け、バルコニーを見上げた。
◇
バルコニーに立つリディアは、胸の前で両手を組み、祈りを捧げていた。
――どうか、民に平穏を。どうか、大切な人が無事でありますように。
祈りを遮るように、轟音が響き渡った。
帝国軍の砲撃だ。
遠くで見張り塔が崩れ落ちる。激しい衝撃音に、リディアの肩がびくりと跳ねた。恐怖に体が震え、組んだ両手に力がこもる。
そのとき、再び轟音が響いた。
視線を上げると、砲弾が王宮へ向かって飛んでくるのが見えた。
逃げる間もない。
リディアはぎゅっと目をつむった。
「ダザムッ!」
愛しい人の名を叫ぶ。
しかし――いつまでたっても、砲弾が炸裂する衝撃は訪れなかった。
恐る恐る目を開ける。
そこには、砲弾を素手で受け止めるダザムの姿があった。
大きな背中が、リディアの前に立ちはだかっている。
――ああ、来てくれた。
安堵に胸がいっぱいになる。
いつもと変わらない、何よりも頼もしい背中。そして、なぜか、そのお尻には注射器が一本、突き刺さっていた。
「ダザム! 来てくれたのね」
足元に目を落とすと、バルコニーの床には大きな亀裂が走っていた。砲弾の衝撃は、ここにまで及んでいたのだ。
それでも、ダザムはまるで気にする様子もなく、受け止めた砲弾をぽいっと投げ捨てた。
そして、何事もなかったかのようにリディアへと振り向く。
「もう大丈夫。わたしがいるから」
……わたし?
リディアは思わず目をぱちくりさせた。
いつもと何かが違う。目の前にいるのは間違いなくダザムなのに、どこか違和感がある。
けれど――どれほど遠く離れていても、私が困っていると必ず駆けつけてくれる、少し鈍感で、それでも誰よりも誠実でまっすぐな人。
そんなダザムの姿を見ていると、いつの間にかリディアの頬は緩んでいた。
タタタッ。
リディアはダザムのもとへ駆け寄ると、その大きな体を正面から抱きしめた。胸に顔を埋める。鎧越しに伝わる温もりに、張り詰めていた心がほどけていく。
――この人は、きっと何を言っても気づいてくれない。
今までだって、何度も気持ちを伝えようとしてきた。それなのに、ダザムはいつも鈍感で、リディアの想いに気づく気配すらなかった。
だったら、もう少しだけ大胆になってもいいのではないだろうか。
リディアはぎゅっと彼の体を抱きしめた。
「わたしは、わたしはあなたのことが好き。ずっとずっと――」
そこまで口にしたとき、ふと違和感を覚えた。
抱きしめたダザムの体が、わなわなと震えている。
……え?
不思議に思って顔を上げると、ちょうどダザムと目が合った。
その顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。耳まで真っ赤だ。
あの王国最強の男が。どんな魔物を前にしても怯まず、砲弾すら素手で受け止めるダザムが。
今、目の前で明らかに動揺していた。
困ったように視線をさまよわせ、何かを言おうとしては口を閉じる。
いつもなら、リディアがどれほど想いを匂わせても、まるで伝わらなかったのに。
今のダザムは、どう見ても照れている。
――あれ?なんか、いつもと違う。
リディアが戸惑っていると、ダザムは赤くなった顔を彼女からそらし、もじもじと視線をさまよわせた。
「姫がそんな風に思っていたなんて、今まで気づかなかった。わたしも姫のことが――」
パキッ。
不意に、乾いた音が響いた。ダザムの背後で、バルコニーの手すりに亀裂が走る。先ほどの砲撃で、すでに限界を迎えていたのだ。
ダザムが振り返るよりも早く、手すりが音を立てて折れた。
「……え?」
大きな体が、ぐらりと傾く。
次の瞬間、ダザムの足元から、バルコニーの床が消えた。
「ダザム!?」
リディアが手を伸ばす。
しかし、その指先が届くことはなかった。
王国最強の騎士は、告白の返事を言いかけたまま――真っ逆さまに落ちていった。
◇
城壁の上からのぞくと、崩れたバルコニーの瓦礫とともに、ダザムは地面へと落下していた。その巨体は、ぴくりとも動かない。
隣で、痛む肩を押さえながら二人を見守っていた所長が、ハッと顔を上げた。
「朝倉っ! 今だっ!」
「はいっ!」
私は瓦礫の散らばる城壁を駆け抜け、落ちていた銃を拾い上げた。
そして、倒れたままのダザムに照準を合わせる。
――バシュン
放たれた注射器は狙いたがわず、ダザムの尻に突き刺さる。
「いてっ!」
針の痛みでダザムが目を覚まし、あたりをキョロキョロと見渡した。
所長が左手の端末に向かって声を上げる。
「パラメーターどうだ?」
『共感性93。81。74……』
私は祈るように手を組んだ。
『65。……59。ギリギリD+まで下がりました』
「よし。不純物は?」
――そうだ。不純物が残っていたら、また同じことが起きるんじゃ……。
『新しい共感性低下剤に押し出されて、不純物、剥離しました』
報告を聞いて、私はホッと胸をなでおろした。
所長を見ると、同じように力が抜けたのかその場に座り込んでいた。
「ふぅ。これでなんとかなったか」
「でも、原作からだいぶズレて……」
「多少ズレるのはライブの醍醐味なんだが、さすがにこれはな……」
そう言って、所長はダザムを見る。
「だが、それでも彼ならなんとかしてくれる。リディア姫だって、言葉遣いが変わったくらいじゃ気持ちは変わらなかっただろ? ダザムの中身も、今までの行動も、リディア姫はちゃんと見ている。視聴者だって同じだ。きっと大丈夫だ」
ダザムを信じて疑わない所長の横顔は、どこか誇らしげだった。その表情を見ているうちに、私もほんの少し大丈夫だと思えた。
私は左手の端末に目を落とした。
画面の中では、ダザムが立ち上がり、頭をかいていた。
『なんだ。夢か』
そう呟いた彼は、ふと顔を上げた。バルコニーにいるリディア姫の無事を確認すると、今度は前線へ向かって走り出す。
――あ! 鈍感系に戻ってる。ふふ。ほんと忙しい人。
「さ、俺たちも帰ろうか」
所長は私に右手を差し出した。
私はその手を取って立ち上がる。
私たちは別の世界の人間だ。この世界に、いつまでも留まっているわけにはいかない。
名残惜しさを感じながら、私は最後にもう一度、周囲を見渡した。
私にはたった一つ、心残りがあったからだ。
――どこかに食べ物、落ちてないかな。




