第十七話 迫る! ライブ本番!
初テストの日から、私たちは二週間後のライブに向けて、『ダザム・ベアハート・ストロガノフ』の調整に励んだ。
所長は先日のケガもあり、大事を取って、テストには参加しなかった。
代わりに名乗りを上げたのは熊さん。
スパダリ課内の女子社員からブーイングを受けながらも綺麗な衣装を身にまとった熊さんはその役目を立派にやり遂げた。
ただ――大柄な熊さんとダザムが抱き合う姿は……
オブラートに包んで言っても……ドスコイって感じだった。
そして、ダザムがスパダリ界の大エースというのはどうやら本当らしい。
本来、スパダリは物語の相手役であり、主人公になることは少ない。それなのに、ダザムはスパダリでありながら、OTOGIの看板級の主人公として認められていた。
社内のあちこちに『ウーホホ』のポスターが張られだし、屋上からは垂れ幕が下がる。
電車の中の広告にもダザムは登場し、出勤するたびに身が引き締まる気がした。
そして、二週間はあっという間に過ぎ、私たちはライブ当日を迎えることとなる。
◇
ライブ当日、スパダリ課はほぼほぼモニター室へと集まっていた。
我らがスパダリ界のエースの活躍を見守るためではなく、不測の事態に備えるためだ。
室内には、壁一面に並ぶモニターの光が明滅していた。
社員たちはそれぞれ担当の画面に張り付き、ダザムのパラメーターを監視している。体温、心拍数、血圧といったバイタル情報に加え、感情の変化やストレス反応まで、わずかな数値の変動も見逃さないよう目を光らせていた。
別のモニターには、物語の進行状況がリアルタイムで表示されている。
シーンの切り替わり、登場人物の位置、背景の変化。想定外の展開が起きた際にすぐ対応できるよう、各場面の進行予定と照らし合わせながら、細かな確認が続いていた。
もちろん、監視対象はダザムだけではない。リディアをはじめとする登場人物の状態、モブの配置や行動、森の木々一本一本に至るまで、物語を構成するあらゆる要素がチェックされていた。背景に不自然な乱れがないか、モブが予定外の動きをしていないか、必要なタイミングで必要な演出が発生するか。問題が見つかれば、すぐに修正できるよう担当者が待機している。
万が一に備えた確認作業は、ライブ開始直前まで続いていた。
誰もが自分の担当画面から目を離さない。モニター室には、キーボードを叩く音と機器の作動音だけが響いていた。そこにいる全員が、ダザムの活躍を楽しみにしている。だからこそ、万が一の事態も見逃すまいと、誰もが真剣な表情でモニターに向き合っていた。
私はまだ新人ということもあり、重要な役割は任されていなかった。他の社員のサポートが主な仕事だ。
つまり、私自身が何かの判断を迫られることはない。そう思っていた私は、ライブ当日くらいは気楽に楽しめるだろうと考えていた。
……そのはずだったのに。
「ふー、ふー、ふー」
「どうしたの、奈々ちゃん。鼻息が荒いよ」
「熊さん。き、緊張してしまって……」
「まぁまぁ、お祭りみたいなもんだと思って」
「でもですよ。電車の中の広告は段々増えていくし、今朝だって通勤途中に学生が『ねえねえ。今日、ウーホホ見る?』『うん、ライブめっちゃ楽しみ』って言ってたんです。緊張しますよ。それにですよ。今朝、靴ひもが切れたんです。不吉ですよね。絶対なんかありますよ。あっ、そういえば黒猫が前を横切ったし、やたらとカラスと目が合った気もしたし、ダンゴムシだって――」
「ストップ、ストップ。落ち着いて。早口すぎて後半何言ってるか全然聞き取れなかったよ」
「嫌な予感がするんです。――ハッ! 熊さん。私、重大なことに気づいてしまいました。今日は7月20日ですよね。つまりは720。この数字から54を引いてみてください。なんと666。666ですよ。わかりますか? 悪魔の数字になるんです。キャー!!」
「……54はどっから出てきた数字なの」
「とにかく不吉で不安なんです。これはきっとなにかありますよっ!怖いよー!」
「――いい加減にしろ」
パスン。
頭に軽い衝撃が走った。
思わず頭を押さえ、振り返る。そこには、丸めた書類を片手に、呆れ顔で私を見下ろす神楽坂所長が立っていた。
「もうすぐ始まるぞ。バカなこと言ってないで気を引き締めておけ」
所長はそれだけ言うと、私の前の席にどっかりと腰を下ろした。
いつも通りの所長だ。
あれだけ騒いでいたのが嘘みたいに、すっと気持ちが落ち着いていく。
目の前には、壁一面のモニター。今日のライブを待つ社員たち。そして、いつもと変わらない所長の背中。
……大丈夫。
根拠なんてない。それでも、不思議とそう思えた。
ふと、モニターの隅に目をやる。
時刻は、17時59分。ライブ開始まで、あと一分。
さっきまで騒いでいた社員たちも、いつの間にか口を閉ざしていた。モニター室に響くのは、機器の作動音だけ。
私はごくりと唾を飲み込んだ。
――いよいよ、始まる。
『ダザム・ベアハート・ストロガノフ』の物語が。




