第十五話 ダザム、通ります。
その後も調整を続け、最後は今までよりも大きめの愛情形成因子を封入した徐放性カプセルを投入した。カプセルがコアへと吸い込まれ、気泡を放ちながら桃色の光がゆっくりと脈打ち始める。
私はその光が落ち着くまで、じっと見つめる。
やがて、所長は顔を上げた。
「これで完璧だ」
黒いコアがダザムの胸へ近づき、そのまま吸い込まれていく。一瞬、ダザムの肉体が震えた。
「さて、拒絶反応はないかな」
そう言って、所長がダザムの顔を覗き込む。
私はアルベルトの時を思い出し、一瞬身構えた。
……いや、あの時は美形と美形。今回は違う。美形と――『ほぼタウロス』だ。
そう思い直し、何でもない顔を装う。
「ふぅ、画面見すぎたせいだな。少し目がチカチカする」
所長は顔を上げ、目頭を指先で押さえたあと、ネクタイを軽く緩め、先ほどよりもさらに身を寄せた。
かき上げた長い髪が肩からさらりと流れ、そのままの姿勢で、じっとダザムを見つめている。
その髪の隙間から、伏せられた長い睫毛と、僅かに細められた瞳が覗いていた。白い照明の柔らかな光を受けた睫毛が白い頬に淡い影を落とし、黒髪の向こうに覗く瞳は、吸い込まれそうなほど静かな輝きを湛えていた。
よほど集中しているのだろう。わずかに開いた唇から、静かな吐息がこぼれていた。
――がっ、ぐっ。大丈夫。まだ耐えれる。頑張れ、わたし。
私はなんとか、目を逸らさずにいた。……いたのだが。
その瞬間、私の脳が勝手に動き始めた。
記憶のインデックスがゆっくりと紐解かれていく。
大学時代の友人の部屋。
何気なく本棚を眺めていた私。
そして――友人が「違うの。これは違うから。お姉ちゃんのだから」と妙に慌てて隠そうとしていた少しエチチな本。その表紙がなぜか、今この瞬間になって鮮明に蘇ってきた。
……え、なんでこんな記憶。
表紙の構図。髪をかき上げる美形。そのすぐそばにいる、巨大で屈強な男。そして、その美形が巨大な男の顔を至近距離から覗き込んでいる。
…………待って、これ。
今、目の前で起きている構図と――完全に一致している。
タイトルは、確か――『魔獣先輩と生徒会長』
顔が猛烈に熱くなる。
――ダメだ。もう……限界だ。
「――ぐはっ」
私は慌てて顔を伏せる。
まずい。今、絶対に変な声が出た。
所長の気配がこちらへ向く。
「朝倉。どうした、急に」
「……なんでもないです、別に」
私は俯いたまま答えた。
顔を上げられない。今、所長の顔を見たらさっきの記憶が、また脳内に浮かんでしまう。
「……そうか?」
「はい……」
なんとか、それだけ返す。私はただひたすら、床を見つめていた。
◇
ダザムの確認を終えると、所長はタブレットを片手に調整室を出た。私もその後に続く。所長がスパダリ課のフロアを見渡し――。
「テスト室、空いて――」
そこまで言ったところで、ぴたりと止まった。
「…………」
私も所長の視線を追う。
「……え?」
思わず声が漏れた。さっきまで並んでいたはずのデスクと椅子が、すべて両端の壁際へ寄せられ、フロアを分断するように広々としたスペースができていた。
……なんで?
「もう手配してます。ダザムを運ぶ動線も確保済みです」
「…………」
所長が無言でフロアを見渡す。
よく見ると、課の人たちは誰一人として仕事をしていない。パソコンの電源は落とされ、資料はきれいに片づけられている。その全員が、それぞれの場所で準備万端の顔をしていた。台車を用意している人。メジャーを持ち、通路の幅を確認している人。そして、誘導灯を持ち廊下へ飛び出す人。
……仕事は?
私は呆然とフロアを見回した。
ついさっきまで、みんな普通に仕事をしていたはずなのに。
所長が額に手を当てた。
「……お前たち」
その声に、課の全員が一斉に振り返った。
「「「はい!」」」
「……まぁいい。では先に準備してくる。ダザムのことよろしく頼む。」
そう言い残し、所長はテスト室へと向かって颯爽と歩いて行った。
残された私たちは、ダザムを台車に乗せようとした。
しかし――それだけで、すでに一仕事だった。
「せーのっ!」
「ふんっ!」
「よいしょぉ!」
何人がかりで持ち上げたのか、もう覚えていない。
ようやく台車に乗せたところで、今度はスパダリ課の扉が立ちはだかった。
ダザムを乗せた台車を押していく。何度押しても、ゴン、ゴンという音とともにはじき返される。
ダザムの肩幅が広すぎるせいだ。
「……通らないですね」
「横向きにしよう」
熊さんの指示で、台車の上に寝かせたダザムの体を、みんなで慎重に横向きにする。
「もう少し右!」
「はい!」
「いや、そっちじゃない! 頭!」
「頭こっちですか!?」
「そうそう!」
全員で声を掛け合いながら、なんとか扉を通り抜ける。
……たった一枚の扉を通るだけなのに、ものすごく大変だった。
廊下に出てからも、苦労は続いた。
台車を押していると、じわじわと腕が悲鳴を上げてくる。
「くっ……重い」
思わず熊さんを見る。
「熊さん。ガワを軽くするって、できないんですか?」
「ああ、それね。そういう話も出たことはあるんだけどね」
「あるんですね」
「うん。でも、『ガワ』の工場長が――『てやんでぃ。軽くしたら、動いた時の質感がかわっちまうんでぃ』って却下されたんだよ」
「そういうもんなんですか!?」
「さぁ、僕にはわからないけどねー。あ……そこ段差あるから気を付けてね、奈々ちゃん」
「せーのっ、ふんっ」
――この業界、職人気質が多いらしい。
◇
その後、なんとかモニター室までたどり着く。
私は肩で息をしながら、実演室へ続くガラス扉を開けた。白い部屋の中央には、いつものように大きな黒い円が広がっている。
「ここまで来れば、あとは――」
熊さんが台車を押し、ダザムを乗せたまま黒い円の上へと運んでいく。台車の車輪が黒い円の中央に差しかかった、そのとき。
――ブン。
低く響く音が、部屋の中に広がった。
「……?」
次の瞬間。
ダザムの体が、ゆっくりと動き始めた。
誰も触れていないのに、巨大な体が台車の上から起き上がっていく。
「え……?」
私は思わず息を呑んだ。
ダザムはゆっくりと立ち上がり、黒い円の中央へ向かって、歩き始めた。
ずしん。ずしん。
巨大な足が床を踏みしめるたび、重い音が実演室に響く。私たちは誰も声を発さず、その背中を見つめていた。ダザムは黒い円の中央へたどり着くと、そこで静かに立ち止まった。すると――。
――コツ、コツ。
静かな実演室に、硬質な足音が響く。
「……?」
私は音のしたほうへ顔を向けた。
白い部屋の向こうから、一人の女性がこちらへ歩いてくる。
思わず息を呑んだ。
――目が……離せない。息がとまるくらい美人すぎる。
腰まで届くエメラルド色の髪が、歩くたびにさらさらと揺れている。光を受けるたび、その一筋一筋が宝石のように淡く輝いていた。白磁のように滑らかな肌。整った鼻筋。薄く紅を差した唇。そして、こちらをまっすぐ見つめる瞳は湖の底を思わせるような深い蒼をたずさえている。その瞳の上には長い睫毛が影を落とし、僅かに目を伏せるだけで、どこか気品のある憂いさえ漂わせる。
その身には、淡い水色を基調としたドレスを纏っていた。胸元から腰にかけては細かな銀糸の刺繍が施され、裾には薄いレースが幾重にも重なっている。動くたびに布がふわりと揺れ、その下から覗く細い足には、白いヒールが光っていた。
肩には透けるような白いショール。首元には小さな宝石のネックレス。その中央で揺れる青い宝石が、彼女の瞳と同じ色に輝いている。頭には細身の銀のティアラ。
華美すぎない。けれど、一目見ただけで分かる。
この人は、普通の令嬢ではない。――王族だ。
女性はダザムの前まで歩いてくると、ふっと足を止めた。
そして、ほんの少しだけ口元を緩める。
「こっちは、もう準備できている」
女性――いや。リディア王女に扮した神楽坂所長が、優雅にドレスの裾をつまんだ。
リディア王女がダザムへ向き直る。その蒼い瞳が、静かに細められた。
「さぁ、始めようか」
◇
所長とダザムを残し、私たちはモニター室へと移動した。
熊さんがタブレット端末と操作盤をケーブルで接続する。
カチッ。
接続が完了した瞬間、ガラスの壁に淡い光が浮かび上がった。光はゆっくりと広がり、次々と形を変えていく。文字や図形、いくつものグラフが整然と並び、調整室で確認したダザムのパラメータがガラスいっぱいに表示された。
私はその画面を眺めていた。
「じゃあ、テスト背景いきます」
熊さんが操作盤に手を伸ばす。
そして、実演室の黒い円、その内側から――淡い光が立ち上がった。
最初は、床の上に薄く漂う霧のようだった。白とも青ともつかない光が、ゆらゆらと揺れながら黒い円の中を満たしていく。
やがて光の中に、小さな粒が浮かび始めた。無数の光の粒が舞い上がり、空中でゆっくりと形を変えていく。一本の線が伸び、木になり、その先端が次々と分かれ、枝になった。枝からさらに細い枝が分かれ、その先に無数の葉が生まれていく。一本だった木が、二本になり、三本になり――いつの間にか、黒い円の中に木々が立ち並んでいた。
地面には土の色が広がり、落ち葉が重なっていく。木々の隙間から差し込む光が生まれ、葉の一枚一枚が風に揺れ始める。遠くには、さらに深い森が続いている。
さっきまで何もなかったはずの黒い円の中に、少しずつ世界が形作られていく。
最後に、どこからともなく鳥の鳴き声が響いた。
――気づけばそこには、深い森が広がっていた。
「……わぁ」
最後にガラスの上部にでかでかと文字が浮かび上がる。
――あれ?そういえばこの物語のタイトル聞いてなかった。
私はその文字を目で追った。
【物語タイトル】
『ウホホーホ・ウーホホ ~ 近距離恋愛はすれ違い!? 『俺が二人を応援せねば』王国最強騎士の恋のキューピッドは、エイムがガバガバで自分のハートに矢が刺さる ~』
「…………」
……サブタイトル長っ。ほぼタウロスじゃなくてゴリラだったのね、ダザム。
熊さんがマイクを握る。
「よしっ。テスト開始」
――ブォォォーーーンッ!
低い駆動音が実演室に響き渡った。
まるで、劇場の開幕ブザーのように。




