第十四話 ダザムの青春
あらすじを読み終えると、いよいよ調整が始まった。
所長は薬品棚から灰色の液体が入った瓶を取り出した。
「まずは記憶だ」
瓶を軽く振る。灰色の液体がとろりと揺れた。所長は瓶をコアへ向け、ゆっくりと傾ける。一滴の液体が、黒いコアへ吸い込まれていく。続いて、無色透明の液体を別の瓶から加えた。その瞬間、コアの内部で、光が一斉に瞬いた。
「……!」
青白い光が無数の粒へと分かれ、コアの中を駆け巡る。
粒は集まり、形を作る。人の姿。建物。草原。そして――映像。次々と形を変えながら、いくつもの光景が浮かんでは消えていく。
最初に映ったのは、小さな男の子だった。
まだ幼いダザム。
両親に囲まれ、笑っている。
父親に肩車をされ、母親に頭を撫でられている。
食卓を囲み、家族で笑い合う。
どの記憶にも、両親の愛情があふれていた。
光がまた粒へと戻る。
次に浮かんだのは、夕暮れの草原。
二人の少年が並んで立っている。
一人は、幼いダザム。そしてもう一人は――カイン。
二人は夕日に向かって剣を掲げている。『俺たちは、いつか立派な騎士になるんだ!』そんな声が聞こえた気がした。
再び光が弾ける。
今度は、王宮。
まだ少年だったダザムが、幼いリディア王女の前に跪いている。
小さな手を胸に当て、まっすぐに彼女を見つめている。『この命に代えても、リディア様をお守りします』その瞳には、迷いなど一つもなかった。
そして――光景が一気に変わった。
青年になったダザム。
女性と二人で歩いている。
ダザムはなにやら楽しそうに話している。ただ、どうやら恋人……ではないらしい。
次の瞬間、ダザムは花束を取り出し、その女性に告白した。
『ごめんなさい。ダザムさんは、いい人だと思うんですけど……』
「……あ、玉砕した」
また、光が弾けた。
頭を下げる別の女性。
『あなたのことは友達としてしか……』
困ったような顔を浮かべるまた別の女性。
『実は好きな人がいるの』
逃げるように走り去っていくまたまた別の女性。
『ごめんなさあぁぁぁぁい』
――次から次へとふられていく。そして、寂しそうなダザムの後姿から場面は切り替わる。
今度は、ダザムがその女性たちの告白を遠巻きに見つめている映像が浮かび上がった。
告白されているのは――カイン。カイン。カイン。全部、カイン。
「…………」
私は無言になった。
間違いない。……これは……トラウマだ。
やがて、コアの中で光の粒がゆっくりと落ち着いていく。
私は思わず、隣で横たわる巨大なガワを見た。王国最強とうたわれたダザム・ベアハート・ストロガノフ。その青春時代を見た私は……なんだか、彼にビールを一杯奢りたくなった。
所長は顎に手を当て、空中に浮かぶパラメーターをじっと眺めている。しばらくの間、何も言わない。やがて――。
「……ここだな」
所長の視線が、一つの項目で止まった。
【共感性:高】
所長がタブレットを操作すると、その項目だけが詳細表示に切り替わる。
【共感性:S(93)】
共感性。たしか、相手の気持ちを察する能力だったはずだ。
「高すぎる」
「……下げちゃうんですか?」
思わず聞いてしまう。
スパダリには、大切な能力のような気がする。アルベルトのときには、たしか上げたはずだ。それを下げてしまって、本当にスパダリとして成立するのだろうか。
「ああ、鈍感系スパダリだからな」
そう言って、所長はトレイから小さな瓶を取り出した。中に入っているのは、淡い紫色の液体。瓶を軽く振ると、とろり、とろりと少し粘度高めの液体が揺れる。所長は蓋を開けると、コアへ向けて瓶を傾けた。
――ぽた。
一滴目が落ちる。続いて、
――ぽた、ぽた。
紫色の液体が、青い光をまとったコアへ吸い込まれていく。
いつもなら、数滴ほどで調整は終わるはずだった。けれど――。
――ぽたぽたぽたぽた。
「……え?」
所長の手が止まらない。瓶を傾ける角度が、さらに深くなる。
――とぷっ。
今度は一滴どころではない。細い液体の流れが、コアへと注ぎ込まれていく。青い光が紫色に染まり、コアの中心で渦を巻き始めた。
……多い。
微調整とは言えないほど明らかに多い。それでも所長は平然と薬品を注ぎ続ける。やがて瓶を元に戻すと、空中の表示が切り替わった。
【共感性:S(93) → D(54)】
……一気に下がった。S(93)からD(54)。数字だけ見ても、とんでもない下がり方だ。……大丈夫なのかな。
そんな私の心配をよそに、所長は薬品棚へ手を伸ばした。そして、先ほどとは別の瓶を取り出す。
「代わりに、こいつを使う」
「なんですか、それ」
瓶の中では、淡い緑色の液体がゆっくりと揺れていた。
興味津々で瓶を見つめる私に所長がこちらへ瓶のラベルを向ける。
「『思いやり強化剤』だ」
「おもい……やり……。なんかスパダリらしいワードですね」
「あぁ、こいつで下げた共感性を補う。相手の気持ちは察するのが苦手。でも、相手を大切にすることには全力。そんなスパダリになるはずだ」
所長が瓶を傾ける。ぽたりと淡い緑色の液体が、コアへ落ちていく。けれど、他の薬品とは違い、なかなか吸収されなかった。緑色の液体はコアの表面でゆっくりと揺れたまま、そこに留まっている。3Dモニターの表示も変わらない。
【思いやり:A】
「……あれ?」
「もともとの思いやりが高いから、なかなか吸収されないんだ」
「へぇ……」
「こういう時は――」
所長は瓶を少し傾ける。そして、ほんの少量を回すようにコアへ垂らした。
――ぽた。
また少し傾ける。
――ぽた。
その動きを見ていると、なんとなく別のものが頭に浮かんだ。
……目玉焼きに醤油をかけてるみたい。
そんなことを考えている間にも、所長は慣れた手つきで少しずつ薬品を垂らしていく。すると、今度は緑色の液体がゆっくりとコアへ吸い込まれていった。
コアの内部で、緑色の光が瞬く。一つ、また一つとそれらは小さな光の粒となってコアの中へ広がっていく。
【思いやり:A → SS】
「おっ」
思わず声が漏れた。
けれど、まだすべてが吸収されたわけではない。コアの表面に残っていた緑色の液体が、ふわりと浮き上がった。やがて、それは細かな光の粒となって空中へ溶けていく。揮発した薬品は、春の草木を思わせる淡い光を放っていた。
柔らかく、そして優しく。まるで春の日差しの中に浮かぶ、小さな光のような。
「……綺麗」
私は思わず手を伸ばした。
指先が淡い光へ近づいていく。あと少しで触れられそうになった、そのとき。
「朝倉」
「はい?」
「それに触るなよ」
「え?」
所長は真顔で言った。
「……ニキビできるぞ」
「――!」
私は反射的に手を引っ込めた。
そして、二歩。いや、三歩。素早く後ずさる。
「えっ、怖っ! それ先に言ってくださいよ!」
「くっくっく……」
所長が、笑いを噛み殺すように肩を震わせた。
「冗談だよ」
「…………」
私はじっと所長を睨んだ。
「……所長って結構子供っぽいところありますよね」
「そうか?」
そう言いながら、所長は楽しそうに笑っていた。




