第十話 スパダリとラーメン
ラーメンから、白い湯気がふわりと立ち上る。
その向こうで、所長が意味ありげに笑った。
「スパダリとラーメンの一番大きな共通点。それはスペックの足し算ではなく、満足度の総量で評価されることだ」
「満足度の総量……ですか?」
「そうだ。ラーメンを考えてみろ」
所長はラーメンのどんぶりを指差す。
「ラーメンは、スープ、麺、タレ、油、トッピング。いろんな要素でできている」
「はい」
「だが、チャーシューが百点でも、麺が二十点、スープが二十点なら、それだけで名店にはならない」
「……たしかに」
「客はチャーシューだけを食べに来ているわけじゃない。麺だけを食べているわけでもない」
所長は箸を置き、真面目な顔で続ける。
「全部を合わせた一杯のラーメンを食べているんだ」
「なるほど……」
「そう、そしてそれはスパダリも同じだ」
所長が、ぐっと身を乗り出してくる。
その顔は真剣そのものだ。
「顔、年収、身長、仕事の能力、性格。人はそういった要素を個別に見ることができる。だが、最後に評価するのは――」
そこで、所長の視線がまっすぐ私に向いた。
「『この人と一緒にいると幸せかどうか』だ」
私は、何も言えなかった。
……なるほど。確かに、その通りかもしれない。
妙に説得力があった。
「だから、顔が百点でも相手を不安にさせる男はスパダリとは呼べない。年収が一億あっても、相手を尊重しない男も同じだ」
「……たしかに」
「つまり、ラーメンもスパダリも総合芸術なんだ」
「総合芸術……」
なんか、ラーメンの話をしていたはずなのに急に壮大な話になったぞ。
「そして、もう一つ重要なのが、欠点が少ないことより、長所が調和していることだ」
「調和?」
「例えば、豚骨スープに超極細麺。そこへ大量の味噌とバターを入れ、さらに煮干しとバジルをこれでもかと効かせる」
「……すごい組み合わせですね」
「それぞれ単体なら悪くない。だが、全部を一つに入れれば美味しくなるとは限らない」
「たしかに」
「スパダリも同じだ」
所長は、人差し指を一本立てた。
「仕事は完璧。顔もいい。金もある。だが、人の話をまったく聞かない」
「それは……嫌ですね」
「だろう? バランスが大事だ」
所長は満足そうに頷く。
「むしろ、仕事はほどほどにできる。気遣いができる。一緒にいると安心する。そういう男のほうが、相手にとっては魅力的だったりする」
「……なんかわかります」
「ラーメンで言えば、ものすごく突出したところはない。だが、なぜか何度も食べたくなる」
「それ、すごく重要ですよ」
思わず身を乗り出してしまった。
私は力強く頷く。
すると所長は、どこか嬉しそうに笑った。
「それから、人によって正解が違うという点も同じだ」
「豚骨派とか醤油派とか?」
「そうだ。味噌しか認めない者もいる」
「いますねぇ」
「スパダリも同じだ。王子様系が好きな者もいれば、包容力のある男が好きな者もいる。俺様系、クール系、世話焼き系……好みは人それぞれだ。ラーメンに究極の一杯が存在しないように、スパダリにも絶対王者はいない」
「その人にとって最高の一杯がある、ってことですね」
「そういうことだ」
所長は頷いた。
……確かに。
どんなに優れていても、一緒にいて疲れるなら意味がない。
ラーメンだって、好きなものを全部乗せれば美味しくなるわけじゃない。
それぞれの良さが合わさって、初めて「また食べたい」と思える味になる。
そう考えると――やっぱり、ラーメンとスパダリってちょっと似ているのかもしれない。
「……所長」
「なんだ?」
「……ラーメン伸びちゃいますよ」
「――あっ、しまった」
所長は慌てて箸を取った。
そのタイミングでチャーハンと餃子が運ばれてくる。
「お待ちどう」
「わ、来た来た♪」
「さ、気を取り直して食べようか」
「ごちそうさまでした」
「――なっ!? だからいつ食べたんだよ!」
……美味しかった。やっぱり、ここの店は当たりだ。
◇
食事を終え、所長に駅まで送ってもらった。
電車に乗り込む。
窓の外では、街の明かりが流れていた。
ビルの明かり。車のヘッドライト。遠くに見えるマンションの窓。
その一つ一つをぼんやり眺めながら、私は今日のことを思い返していた。
テスト室で見たアルベルト。
物語の世界へ続く門をくぐり、歩いていった後ろ姿。
あの先で、彼はローゼリアと出会い、彼女を守るのだろう。
そして、彼が言った言葉がふと頭をよぎった。
『たとえ世界を敵に回したとしても、僕は君を守る』
勇者は世界を守る。
スパダリは世界を敵に回してでも、たった一人の大切な人を守る。
全然違う……はずなのに。なぜだろう。
うまく言葉にはできないけれど。勇者とスパダリ。この二つはどこか似ているような気がする。
――ん!? 待って。それじゃ勇者もラーメンに似てるってこと?
いやいや、何を考えてるんだ、私。
私はブンブンと首を振った。
電車がトンネルに入る。
窓に映った自分の顔を見ながら、私は小さく息を吐いた。
ずっと憧れていた勇者課には入れなかった。それは今でも少し残念だ。でも――。
――スパダリ課で頑張ってみようかな。
いつの間にかそんなふうに思っていた自分が、なんだか少しだけおかしくて。
私は窓に映る自分に向かって小さく笑った。
こうして私の、『スパダリ課』での仕事が始まった。
第一章 スパダリってなぁに ー 完 ー
二章に続きます。




