月の試練
何もない
仄明るい闇の中に
姫は浮かんでいる。
上下も前後も
何も分からぬ奇妙な浮遊感に
姫は顔をしかめた。
確かなものは何もない、
よく知った感覚。
『微笑むこともせぬ
愛想のないお姫様よ』
『女が知識をひけらかして
何になろう』
遠くから声が聞こえる。
城の影で囁かれる
よく聞いた声。
『忌々しくも王族ゆえに
政への余計な口出しにも
いちいち取り合わねばならぬ』
『姫の役割を
弁えてもらわねば。
姫は王家の花よ。
美しく飾られておればよいのだ』
文官はひそひそと声を潜め、
武官は不快そうに顔をしかめる。
『悪魔を討つなど
女のすることではない。
帰ってきたとて
嫁ぎ先があるかどうか』
『そもそも帰って来られるか。
悪魔に殺されなどしたら
我が国の名に傷がつくぞ』
文官は忌々しげに吐き捨てた。
『いっそ
事故か何かで
死んでくれたら』
『ほんに
その通り』
声は徐々に遠くなり、
闇の中に溶けて消える。
姫は小さくため息を吐く。
今さら事実を突きつけられたとて
傷付くほどの繊細さはとうにない。
吐いた息が渦を巻き、
闇を凝集させる。
周囲よりも一段濃くなった闇は
やがて姫そっくりの姿を形作った。
姫に似た何かは
胸に手を当て
ぽろぽろと涙を流す。
『どうして誰も
分かってくれないの?
国を憂い
未来を良くするために
私は私に
できる限りのことを
しようとしてるだけ。
それは
間違っていること?
私は
間違っているの?』
姫は小さく笑った。
「理解されねば
己の道を貫けぬか?
他者に否定されれば
揺らぐ程度の決意であったか?
そうだとしたら
お前は間違っているのであろうよ」
姫は己の姿をした闇をにらみつける。
「為すべきを為した後、
何を残す必要があろう。
名も
想いも
何も要らぬ。
ただ世界が
以前より少し
良くなっていればそれでよい」
月の痣が光を放ち
周囲を蒼く照らし始める。
姫の顔をした闇は
その光に照らされ
溶けるように姿を消した。
光はいよいよ強まり
闇を払っていく。
世界が蒼白く染められ
闇が欠片も残らぬほどに
吹き散らされたとき、
哄笑のような声が
響き渡る。
『献身の光が闇を払う。
だが心せよ。
光が世に溢れるとき
世界は無明の闇を忘れる。
光が当たり前に
降り注ぐものと信じる。
悪魔を滅ぼして後こそが
光が意味を失う時と知れ』
その言葉の終わりと共に
姫の意識さえもが蒼白く溶け、
輪郭を失っていった。




