月の姫
自らの国を出て
北へと向かう王子は、
とある小さな国に差し掛かった。
その国の人々は
一様に悲しみに沈み、
運命の過酷さを嘆いている。
不思議に思った王子は
通りがかった人に
声を掛けた。
「あなたがたはいったい
何をそれほどに嘆いているのですか?」
問われた中年の女性は
目に涙を浮かべて答える。
「今、この国じゃ
悪魔の手下が、
朽ちた砦に棲みついて、
お姫様を生贄に捧げよと
王様に求めているんだよ」
さもなくば
水は腐り
畑の土に塩が吹く。
最初は要求を拒んだ王様も
悪魔の手下の言葉の通りに
一つの村が滅んだとき、
その態度を翻した。
今日はいよいよ
お姫様が輿に乗せられ、
朽ちた砦に届けられる。
そうなればお姫様の命は
今日限りだろうと
女性は指で涙を拭った。
王子は怒りを顔に浮かべる。
「悪魔の手下に膝を折り
罪なき命を捧げるなど
許されるものではない!」
王子は女性に朽ちた砦の場所を聞くと
女性が止めるのも聞かず、
砦に向かって駆け出した。
王子の背を見送りながら
女性はつぶやく。
「この国の兵隊も
悪魔の手下には敵わなかった。
たった一人で行ったって
勝てるはずもないじゃないか」
砦ではまさに
輿に乗せられた姫が
王国の兵に置き去りにされ、
魔物の爪牙に晒されていた。
「ようやくお目通りが叶いましたな。
『月の姫』よ」
魔物は醜悪な笑みを浮かべ
真っ赤な舌を覗かせる。
この魔物こそが
悪魔の手下に違いない。
姫は怯えも絶望もない
強い意志を湛えた瞳で
魔物を見据える。
「なぜ私を求めたのですか?」
魔物は「カカカ」と笑い声を上げた。
「なんと気の強い。
たった独りで置き去りにされ
なお俺に問うとは、
さすがは『月の姫』ということか」
姫はそっと
自らの右手の甲に触れる。
そこには生まれながらに
三日月の痣があった。
魔物は機嫌の良さそうに
侮りの視線を向けた。
「あなたの運命を
ご存じないはずもありますまい。
『太陽の王子』に巡り合う前に
お命を頂かねば、
こちらとしては都合が悪い」
「ならば最初から
都を襲って私を殺せばよい」
姫はピシャリと
魔物の言葉の矛盾を質した。
クククと喉の奥で笑い
魔物は答える。
「無論、
そうして差し上げても
よかったのだが、
どうせなら
もっと面白いほうがよかろう?」
姫は表情を変えることなく
魔物を見つめている。
魔物は長く伸びた黒い爪を
姫の首に突きつけた。
「悪魔の恫喝に屈し
美しい姫を、
自らの子を、
王は差し出した。
そんな無能を
王と戴くことをよしとする、
そんな国民ばかりではあるまい?」
魔物の爪がわずかに姫の肌を裂き
赤い血が一筋流れる。
姫は不快そうに目を細めた。
「我が国を
分断する企てだとしたら
浅はかなこと。
この国はそれほどに
脆弱ではない。
それに、
私は望んでここに来たのだ。
陛下を難ずるは
筋違いというもの」
「皆がそう
割り切れたらよいがな」
魔物は確信をもって告げる。
「わずかな綻びを与えてやれば
人は勝手に自滅する。
それこそが我が主の望み。
愚かしく踊る人間どもの
狂騒こそが主を慰める」
姫はひどく冷淡な瞳で
魔物を見据えた。
「お前の主とやらを
喜ばせる理由は、ない!」
言葉の終わりを待たず
姫の手に研ぎ澄まされた短剣が現れ
魔物の喉を窺う。
魔物は驚きを示しつつ
後ろに下がってそれをかわした。
姫はなお
短剣を翻し
魔物を追う。
しかし姫の刃は
魔物を引き裂くこと叶わず、
姫はその手首を掴まれ、
痛みに顔をしかめた。
短剣が零れ落ち
地面に横たわる。
「よもや自身で
俺を討とうとは
浅はかに過ぎるぞ。
最期の足搔きとしても
見苦しい」
魔物は憐れみの目で
姫を見下す。
姫は何か
確信めいた笑みを浮かべ
魔物を見返した。
「足掻きではあるが
最期ではない」
魔物が姫の笑みの理由を
理解する前に、
背後から伸びた長剣の刃が
魔物の首を貫き、
魔物は口から青い血を吐いて
崩れ落ちる。
姫は飛び散った魔物の血を気にするふうもなく、
魔物の骸の向こうに立つ王子に
視線を向けた。
「ご助力に感謝いたします。
旅の方」
王子は剣を振るって血を払うと
驚いた表情で答える。
「私に気付いていらしたか」
姫は当然のようにうなずいた。
「私が魔物の注意を引けば
そちらが斬り伏せてくださるだろうと」
剣を鞘に納め
王子は姫に近付いた。
「何者かも分からぬ私を
信じたのですか?」
「他に選択肢が
ありませんでしたので」
淡々と答える姫に
王子は呆れたように笑った。
「なんと
無茶なお方だ」
王子はそう言って
姫に手を差し出す。
姫は形式的に礼を言って
王子の手を取った。
その瞬間――
「っ!」
弾かれたように
王子と姫は触れた手を引く。
王子の首元に刻まれた太陽の痣が
熱を持って輪郭を浮かび上がらせた。
姫の手の甲にある月の痣も
鋭い痛みと共に淡く光る。
驚きと共に
互いを見つめ
二人は同時に
つぶやいた。
「まさか」
「まさか、あなたは……」
予言に語られる
月と太陽は出会った。
定めのように、
運命のように。




