第7話
「それで……」
亮平が続きを話そうとした瞬間、私はすぐさま手を上げて制した。
「いや、勝手に話進めんな」
「……あぁ、ごめん」
しゅん、と肩を落とす亮平を見て、なんかこっちが悪いことしたみたいな空気になる。でもいや、悪くないよね? だって急に“未来”とか“運命”とか“死ぬ”とか言い出したのそっちだし。
私は深くため息を吐きながら、溶けかけたパフェをスプーンで軽く混ぜた。イチゴソースが白いアイスにぐちゃっと混ざって、ピンク色の渦になる。店内には相変わらずクリスマスソングが流れていて、窓の外では雪が静かに降り続いていた。
こんな平和な景色の中で、「未来ではキミは死ぬ」とか言われてる状況が意味わからなすぎる。
「一旦、話整理せん? なにを助けるって言った? そもそも」
「キミを」
「そうそう、その“キミ”っていうのもなんなん? ちゃんと名前で呼んでくれん?」
さっきからずっと気になっていた。普通に会話してるのに、そこだけ妙に他人行儀なのだ。“楓”っていつも呼び捨てにしてたくせに、わざわざ“キミ”って呼ぶから、なんか距離感がおかしく感じる。亮平は少しだけ困ったように目を伏せたあと、「ああ、そっか」と小さく呟いた。
「……そうだね。じゃ、楓。キミを助けたいんだ」
……いや、結局“キミ”って言っとるやん。
思わずツッコミそうになったけど、もうそこを突っ込むのも疲れてきた。
一体なんなんだ、この人。
話し方もそうだし、空気感もそうだし、昔知ってた亮平と微妙に違う。見た目は同じなのに、中身だけ少し遠いところに行ってしまったみたいな違和感があった。
「私を助けるって、具体的にどう助けるわけ」
私が聞き返すと、亮平は一瞬だけ真顔になった。
「楓は今、“なにかにぶつかった”って言ったろ?」
「うん」
朝の光景が頭の中によみがえる。
細い路地。信号。ビルの隙間から差し込んでいたオレンジ色の朝日。それから、突然耳をつんざくように鳴ったクラクション。
巨大な影。
身体が浮く感覚。
回転する景色。
そして、空。
青くて白くて、やけに綺麗だった空。
「それは夢なんかじゃなくて、実際に起こることなんだ。だから、それを助けたい」
亮平は静かにそう言った。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が妙にざわついた。
“夢じゃない”。
その一言は、今の私にとっては不思議なくらい重かった。
だって本当は、自分でもわからなくなっていたからだ。
あれが現実だったのか、夢だったのか。頭を打ったせいで見た幻覚なのか。それとも今こうしているこの時間の方が夢なのか。
起きてからずっと、世界が薄い膜一枚向こう側にあるみたいな感覚が続いている。なのに亮平は、それを当たり前みたいに「現実だ」と言い切った。それが少しだけ、怖かった。
でも同時に、ほんの少しだけ安心もした。
「夢じゃないって……信じてくれるんやな」
思わずそう聞き返すと、亮平は迷うことなく頷いた。
「そりゃ信じるさ。僕のいた世界じゃ、どんなことも不思議じゃないからね」
……その言葉を、どう受け止めればいいんだろう。
未来から来たとか、65歳だとか、運命が数学的概念だとか、話してる内容はめちゃくちゃなのに、亮平だけがずっと真面目だ。むしろ真面目すぎるくらいだった。だから余計に、冗談として笑い飛ばしづらい。普通なら「はいはいSF映画ね」で済む話なのに、亮平は最初からずっと、何か大切なことを伝えようとしているみたいな顔をしている。それが妙に引っかかる。
私はストローでカフェオレの氷をカラカラ鳴らしながら、ぼんやりテーブルを見つめた。
この会話、どこに向かってるんだろう。
なにが本当で、なにが嘘なのか。
どこまでが現実で、どこからがおかしいのか。
考えれば考えるほど頭の中がこんがらがって、変な酔い方をしてるみたいになる。
けど、一つだけ気になっていたことがあった。
「助けるって言うても、こうして私は生きとるやん」
亮平が顔を上げる。
「信じられへんけど、ここが“夢”の世界やないって言うんなら、もう私を助けんでもよくない?」
「どうしてそう思う?」
「だって今は12月やん。9月から3ヶ月も経っとる」
私はそう言いながら、自分のスマホをちらっと見た。
画面に表示された日付。
――12月24日。
何度見ても変わらない数字。
カレンダーを見た時の衝撃は、今でもまだ体の奥に残っている。
だって私は確かに、9月10日の朝を歩いていたのだ。半袖で暑くて、蝉が鳴いていて、学校に行くのがダルいなぁって思いながら。なのに気づけば世界は雪に覆われていて、テレビではクリスマス特集が流れていた。意味なんてわからない。わからないけど、もし本当に今が12月24日なら。もしこの世界が夢じゃなくて、現実だというのなら。――私はもう、死んでないことになる。
亮平は、「9月10日に死ぬ私」を助けたいと言った。なら、その9月をもう通り過ぎている今、助ける必要なんてないんじゃないか。
だって私は今こうして生きているんだから。
呼吸して、パフェを食べて、亮平と話している。だったら“未来”はもう変わったあとなんじゃないの?
私はそんな単純な疑問を、そのまま口にしたつもりだった。けれど亮平は、なぜかすぐには答えなかった。ただ静かに、まるで何かを確かめるみたいな目で私のことを見つめていた。
「9月10日は、まだ来てないぞ」
彼はまるで天気予報でも伝えるみたいな落ち着いた口調でそう言った。その言葉を聞いた瞬間、私は思わず瞬きを止めた。頭の中で何かが引っかかった感覚だけはあるのに、その“何か”がうまく噛み合わない。
だって私はずっと、今が「2014年の12月24日」なんだと思っていたのだ。
朝まで確かに存在していたはずの夏の景色から、突然雪が積もる冬の街へ放り込まれたのだから、時間が進んだのだと考えるのが自然だった。だから亮平の「まだ来てない」という言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「……え?」
間の抜けた声が漏れる。
亮平はそんな私を見ながら、静かにスマホを取り出した。そしてテーブル越しにその画面をこちらへ向ける。そこにはカレンダーアプリが開かれていて、白い背景の上に、やけにくっきりとした数字が並んでいた。
12月24日。
そして、その下に表示されている西暦。
2013。
「今日は、2013年12月24日。楓が事故に遭うのは、今から半年以上も先の話だ」
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
いや、真っ白というより、むしろ逆かもしれない。いろんな情報が一気に流れ込みすぎて、脳みそが処理を放棄した感じだった。視界に映る数字を理解しようとしても、思考がそこまで辿り着かない。
2013年。
その数字は、さっきまで私の頭の片隅にすら存在していなかった。
私は反射的に自分のスマホを開いた。指先が妙に震えて、ロック解除に少し手間取る。ようやくホーム画面が表示されてそこに書かれている日付を確認した瞬間、喉の奥がひゅっと縮こまった。
――2013年12月24日。
亮平のスマホと、まったく同じ日付。
「……うそ」
小さく呟いた声は、自分でも驚くくらい弱々しかった。
だって、おかしいでしょ。
ついさっきまで私は2014年9月10日の朝を生きていたはずなのだ。眠たい目をこすりながら制服に着替えて、冷めた目玉焼きを急いで口に押し込み、母さんに急かされながら家を飛び出して、スマホを忘れたことに気づいて、それで――。
そこで記憶が揺らぐ。
赤信号。
細い路地。
朝の光。
クラクション。
巨大な影。
身体が宙に浮く感覚。
そして、空。
青くて、やけに綺麗だった空。
そこまでを思い出した瞬間、胸の奥がざわりと波打った。
「キミはきっと、未来から来たんだよ。原因はわからないが、僕にとっては都合が良い」
亮平は静かにそう言った。
――都合が良い?
私はぽかんとしたまま、亮平の顔を見つめた。
どうしてそんなことを、そんな平然とした顔で言えるんだろう。
未来から来たとか、過去へ飛んだとか、普通なら冗談でも口にしないような話なのに、亮平だけが妙に落ち着いている。むしろ私の方が大袈裟に騒いでいるみたいな空気になっていて、それがなんだか悔しかった。
「……“都合が良い”って、なに?」
ようやくそれだけ聞き返すと、亮平は「まあまあ」とでも言うみたいに片手を軽く上げた。
「落ち着いて」
「……落ち着けるわけないやん」
思わず声が尖る。
落ち着ける人間なんているわけがない。だって私はほんの数時間前まで蝉の声を聞いていたのだ。じっとり汗ばむ夏の空気の中で、学校めんどくさいなぁとか、英語の小テスト嫌だなぁとか、そんな平凡なことを考えながら歩いていた。それなのに今は、窓の外で雪が降っていて、店の中ではクリスマスソングが流れている。そのうえ、「あなたは未来から来ました」なんて言われている。
頭がおかしくなりそうだった。
いや、もう半分くらいおかしくなってるのかもしれない。
私は無意識に、自分の頬をぎゅっとつねった。
痛い。
普通に痛い。
皮膚が引っ張られる感覚も、そのあとじわっと熱を持つ感じも、妙にリアルだった。
夢ならもっとぼんやりしているはずなのに。
「キミは今、間違いなくここにいる」
亮平は、私の動揺を落ち着かせるようにゆっくりと言葉を続けた。
「キミの食べてるイチゴパフェも、コーヒーに入れた角砂糖も、全部今ここにある。キミの身に起きてることが“何”なのかを、僕は説明できない。でも少なくとも僕は、キミが死ぬ日を知ってる。キミが亡くなる時間を知ってる」
私は何も返せなかった。
店内にはクリスマスソングが静かに流れていて、遠くで食器の触れ合う音が小さく響いている。その何気ない日常の音が、逆に現実感を強めていた。
「それは50年先の未来で、一つの歴史として残ってる。僕のいる世界では、キミはもう存在していないんだ」
存在していない。
その言葉が、胸の奥へゆっくり沈んでいく。
“死ぬ”という言葉よりも、むしろその後の“存在していない”という響きの方が、ずっと重たかった。
私は自分の指先を見つめた。ちゃんと動く。冷たいグラスに触れれば、その温度もわかる。ストロー越しに吸い込むカフェオレは甘くて、イチゴパフェは相変わらずしつこいくらいに甘い。
こんなにも“今”を感じているのに、未来では私は存在していないらしい。
その感覚がどうしても結びつかない。
亮平の話によれば、私はあの交差点で死んだのだという。
スマホを忘れて家に戻ろうとして、赤信号を無視して、路地から飛び出してきたトラックに轢かれて。
――死んだ。
その説明を聞いた瞬間、身体の奥がぞわりと震えた。
思い出せる。
完全じゃないけど、確かに記憶がある。
耳をつんざくようなクラクション。
視界の端から迫ってきた巨大な影。
逃げる暇もないまま身体に叩きつけられた、とてつもない衝撃。
地面が消えて、自分の身体が宙に放り投げられる感覚。
ぐるりと回転する景色。
そして、空。
あまりにも綺麗で、妙に静かだった空。
……あれがトラックだった。
そう言われると、不思議なくらい納得できてしまう。
だってあれは間違いなく人間じゃなかった。自転車でもバイクでもない。もっと重たくて、硬くて、どうしようもない“質量”だった。
ただ、私はその姿をちゃんと覚えていない。
黒かったのか、白かったのか。
どんな形をしていたのか。
それを正確には思い出せない。
衝撃だけが強すぎて、その前後の記憶がぼやけているのだ。
でも、一つだけ確かなことがある。
今ここにある感覚だけは、異様なくらい鮮明だということ。
イチゴパフェの甘ったるい香り。
溶けかけたアイスの冷たさ。
ストロベリーソースの酸味。
クルミ入りポッキーを噛んだ時の香ばしさ。
全部、夢とは思えないほどリアルだった。
それに――。
私はぼんやりと亮平の顔を見つめた。
少し跳ねたクセ毛。
右側だけ寝癖みたいにハネる髪。
真面目な顔をすると、ほんの少しだけ眉間にシワが寄る癖。
「あぁ、そういえばこんな髪質やったな」
そんなことを、不意に思い出してしまう。
昔から変わっていない部分を見つけるたびに、この目の前にいる亮平が“本物”みたいに感じられる。
見た目は昔と変わらないのに、中身だけが遠い場所へ行ってしまったような違和感もある。でも、その違和感すら妙に現実的で、余計に混乱した。
もしこれが夢なら、どうしてこんな細かいところまでリアルなんだろう。
どうして私は、亮平の髪の質感まで思い出せるんだろう。
窓の外では雪が静かに降り続いていた。
白い粒が街灯の光に照らされながら、ゆっくり、ゆっくり落ちていく。
私はその景色を見つめながら、自分の中で何かが少しずつ崩れていく音を聞いていた。




