0003 君がいる日常
ヘアゴムはまだ手首にいた。
「おーい美冬生きてる?」とチームメイトに茶化され、ハッと我に返る。
「うん。生きてる」
空返事をして髪型はそのままに着替えを始める。
いつもの習慣を忘れるくらい、頭の中はバレンタインの悩みに侵食された。
どうすればいいのだろう?
男女のカップルならこんな悩みはなくて済む。
2月14日に女の子が男の子にチョコレートを贈り、3月14日は男の子がそのお返しをすればいい。決まり切った作法があるから、それに準ずるだけだ。
けれど私達カップルはどちらも女の子。
その場合、贈る側と貰う側ってどう決めればいいのだろう?
うーん、と。
思案しすぎてまた着替えの手が止まった。
答えを導けなくて迷う。
誰かに尋ねようにもそんな相手いないから、戸惑う。
私と小春が付き合っていることは大っぴらにしていない。
愛は辺り構わずむき出しにするよりも、相互の内だけに秘めた共有物にしたいから。
私だけ。小春だけ。
二人だけで噛みしめて飲み込んで、その方が感じられる甘さも格段だ。
だけどその分、今追い込まれている。
強いて挙げるならば、私が2月14日に貰う側を務めるべきなのかな?
性格や身体能力を鑑みると、私の方がなんとなく男っぽい。
だけど――。そんな理由で決めるのは嫌だ。
だって私は小春の彼氏役をやっているのではない。れっきとした彼女。
女の子として、女の子の小春と付き合っているのだ。
悩みの種は植わったままで。
おかげで今日は全く練習に集中できなかった。
だけど私は部内でかなり上手い方だから、多少実力を出せなかったところで変に目立ったりはしない。そういうときに騙し騙しプレーできる技術を身に着けているから、いつも通りの動きができるのだ。
現にチームメイトからは「今日も調子いいね」なんて声をかけられた。
よくもまあ簡単に騙されてくれるなと思うと同時に、ほっとする。
この悩みに気付いている者なんて誰もいない。
誰にも気付かれたくないからそれでいい。
練習を終え、この日も私はシュートの自主練を行う。
だけどひとりじゃない。
告白をプレゼントされたあの日以降、小春が付き添って一緒にいてくれるのだ。
「黙々と自主練に打ち込む姿がかっこよかったから」
以前小春に告白の理由を尋ねたことがある。
するとそのような答えが返ってきた。
なんでも入部当初から影に隠れて覗いていたらしい。
とどのつまり、目的も情熱も見失っていたこの自主練が、惚れてくれるきっかけとなったわけだ。そして今ではデートを兼ねた時間となっている。
なにがどう転ぶかわからないものだな。惰性も捨てたものじゃない。
自主練後は二人一緒に帰路につく。
電車の方向が同じだから、帰宅すらもデートを兼ねた時間にできるのだ。
暗い中、ポニーテールをほどいた黒髪を揺らしながら、小春の隣を歩く。
ときおり向こうの華奢な肩が、私の腕に当たったりして――。
それだけじゃ足りなくて、もっと触れたくて、どちらからともなく手を繋いだ。
冷たかった手が、じわじわと温もりに満ちてゆく。
小春の手はすべすべしていて気持ちいい。
たぶん私の手も、小春にそう思ってもらえている、はず。
乾燥対策として、今年の冬から寝る前にハンドクリームを塗るようにしたのだ。
ベタベタして嫌いだったけど、そんなの些細な我慢で済む。
カサカサになったあかぎれの手を君に握らせたくないからね。
駅までの道のりは徒歩十五分ほど。人通りは極めて少ない。
私達が住むここは、日本海に面した漁港町だ。
海だけじゃなく山もあるし川もあるが、その代償にお洒落なカフェや雑貨屋はない。
加えて地下鉄もないしタクシーもほとんど見かけない。
車を30分走らせた距離に全国展開するショッピングモールはあるけれど、交通の便が悪いから親の運転する車に乗ってない限り行こうなんて思わない。
そんな時間がゆっくり流れるような田舎町は退屈この上なかったが、今では誰と日々を送るかでガラリと変わることを知っている。
代わり映えがないと辟易していたこの通学路だって、小春との思い出と結び付けるとよく印象に残るものだ。
遠くに見える山の木々がまだ青々としていた頃、私達は初めて手を繋いだ。
沿道まで枝を伸ばした柿の実に赤みが差した頃、小春が余所余所しい敬語を取っ払ってくれた。
潮風が冷たく感じ始めた頃、美冬の私を『みーちゃん』とあだ名で呼んでくれ、距離がグッと近づいた。
今は冬。葉の落ち尽くした木々が寂しさを醸し出す季節。
けれどもうすぐ春がやって来て、あらゆる花々が街を賑やかに彩る。
その次は夏、そして秋も訪れて、また冬になって――。
回る季節とは対照的に、私達はどこまでも進んでゆきたい。
再び山の木々が青々となる頃、私達はどこにいるだろうか?
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