0002 私の彼女
私も女。その子も女。私達は女の子同士のカップルだ。
彼女の名前は小春。
冬と名前についてイメージ通り無愛想な私とは違って、小春は春の陽気のように明るく朗らかで社交的だ。
そんな私と小春が初めて出会ったのも春の季節だった。
高校二年生に進級したての4月、所属するバスケ部のマネージャーとして新入生の小春がやってきて――。
一目見た瞬間、私の胸はおかしな音を鳴らした。
年下の可愛い女の子、私にとってはそれだけに留まらない。
可憐な容姿に引き込まれて。溶かされて。自分が自分じゃなくなってしまいそうで。
その原因を作った女の子は、緊張のせいか言葉を詰まらせながらの自己紹介を行う。
ピンク色の唇をたどたどしく動かす姿は、桜の花びらが舞っているのかと思った。
体育館の中だからそんなはずがなく。
とにかくそれくらい、私の心は大きく揺さぶられた。
え? 私、女の子が好きなの?
にわかには信じがたい感情を受け入れられず、戸惑いながら自問した。
けれど返ってくる答え、もとい熱のこもった己の感情はとことん正直で――。
うん。私、小春が好きなんだ。
疑惑を確信に変えるのにそう時は要さず。
紛れもない一目惚れを受け入れて。
浮ついた感情とは無縁だった私に訪れた、初めての恋。
溺れて、欲して、満ちるのを望んだ。
けれどもそこからすぐに特別な進展があったわけではない。
私と小春はあくまで部活の先輩と後輩の関係だ。それ以上でも以下でもなく。
小春はいい子だった。
誰にでも平等に優しく、分け隔てなく天真爛漫なその笑顔を振りまく。
一方で私は悪い子だから――。
小春がいつか不平等になって、その笑顔を私だけに注いでほしいと願う。
私だけのものになってほしい。
それは叶わぬ願いだと自覚していた。
だって私は女、あの子も女。
恋愛というのは男女間で紡ぐのが一般的だ。
じゃあせめて親友に。
なんて思ったりもしたけど、意に沿わなくて、それどころか嫌悪感すらして。
そんな考えすぐ捨てた。
友愛を育んだところで何になるのか。
距離は近くなるが、私の望む関係性からはむしろ遠くなる。
どうすればいいのだろう、と。
思えば私はこの時も悩んでいた。
揺るがぬ想いが籠った胸をはち切れそうにさせ、けれど拒絶される未来しか浮かばず。
理想の形は明確だけど、勇気も希望もなくて一歩も踏み出せない。
もどかしく苦しい日々は数カ月続いた。
そうしていると――。
なんと、春が向こうからやってくる。
今でも思う。私は前世でどれだけ良い行いをしたのだろうか?
少なくとも今世ではあまりいい子じゃない。
だって、みんなから評判の可愛い女の子を自分だけのものにしたいと願ったりして。
そんなの自分勝手で傲慢だ。
けれど、気持ちに嘘偽りは全くなかった。
正直者だから神様が叶えてくれたのかな……?
熱い夏の日のことだった。
練習後、私はいつもシュートの自主練を行う。
そこまでバスケにお熱な人はいないから、その時間は広い体育館にひとり。
遊びの計画を立てながらそそくさとロッカールームに下がるチームメイトを尻目に、私はボールを投げ込む。
なにかに夢中になりたくて、中学の頃始めたのがバスケだ。
当初は殊勝な考えも持ち合わせていたから、夢中になるため人より多く練習した。
今思えば、目的と手段が成り立ってない。普通は逆で、接続助詞も違う。
人より多く練習するから、夢中と言えるのだ。
殊勝と言っても浅知恵だから、そんな単純なことにも気づけなかった
結果、夢中にするはずだったそれは、惰性が紡ぐルーティンとなった。
今やチームメイト同様バスケにそこまでの熱はないが、他にやりたいことも特段ないので、意味もなく続けている。
一緒にいい?
その言葉を聞いたことは未だかつてなかった。
大勢の中の一人ならいいが、二人きりにはなりたくない人間。
私は自分の他者評価をそう分析する。
だから昨日もひとり。一昨日もひとり。
73日前、なんて適当な数字を入れても答えはひとりだ。ずっとひとりなんだから。
だけど、その日は違った。
「あの、見ていてもいいですか?」
運動部には似つかわしくない、か細い声を耳が拾った。
声の主は背後にいる。まさか、と思いながら振り返る。
そのまさかだった。発したのは、他でもない私が恋心を向ける相手、小春。
胸の鼓動が跳ね上がる。体の表面が火を噴いたように熱くなる。
「い、いいけど……」
急だったから、喜びよりも驚きが思考を埋め尽くす。
だけど断る理由もなかったので、そう承諾して。
後は会話も無しにゴールへ視線を向ける。
――というよりは。
視線を逃した、と表現する方が適切かもしれない。
だってふたり。広い体育館に、ふたりきり。
そんな中で君を見続けていると、鼓動も火照りも限界を超えちゃうと思うから。
ボールを持って腕を上げ、ゴールめがけて投げる。
体育館の固く冷たいフロアが今日は羽毛布団のようにフワフワで。
浮ついてるってこういうことを言うのだろう。いつもと感じが違う。
悪い気分はしなかったが、練習環境には最悪だ。
体のありとあらゆる部位がおぼつかなく、心臓の鼓動だけが迷惑な主張を続ける。
二本目投げて、三本目も投げて。
こんな調子だからもちろん恐ろしいくらいに決まらない。
ゴールネットがゆらゆらと揺れている、ように感じる。
実際は揺れてないだろう。だってさっきからゴールを決めるどころかリングにすら当たってないのだから。揺れているのは私の視界の方だ。
ばつが悪くなって俯く。フロアに汗が滴り落ちた。
君を見なくても、君に見られているだけで限界だ。
隣に立つ小春にチラリと視線をやった。
口を開き、『今日はもう終わりにしましょう』と言おうとした……が。
出かかった言葉は、喉の奥で固まった。
――そんな目、するんだ。
ようやく交わされた視線の向こう側、もとい小春の目は、熱を帯びていた。
大きく外れたシュートの結果などお構いなしとばかりの、熱い目。
ドキリと、心の鼓動が飛び上がる。だってそんな表情初めてみたから。
この子の視線の先は、ボールでもなく、ゴールでもなく、私。
他の人なんていないから、当然私。
そして私はその視線を受け止め、独り占めする。
かねてより私だけに注いでほしいと願った笑顔ではなかったけど――。
溢れんばかりのなにかを示す熱い目は、紛れもなく私だけのものだった。
小春は唇を動かす。季節外れの桜が舞った。
「好きです。付き合ってください」
新風を吹き付けるように。
いつも雪のように白い肌は、耳たぶまで真っ赤に。
「ごめんなさい! 今の、聞かなかったことにしてください!」
続けてほとんど間を置かないうちに駆け出し、外へと飛び出す。
まさに一瞬のうちの出来事。
理解が追いつかない私は、じっくりと言葉を反芻し、胸に落とす。
トクントクンと、浸透して――。
心が躍った。聞かなかったことになんてできるか。
だってそれは、私が言いたくて仕方なかったけど勇気が出ず、胸の奥で熱く密かにくすぶらせていた言葉なんだから。
かなり遅れを取ったけど、逃げた小春を追いかけた。
高価なバスケットシューズを土まみれにしながら、小さな背中を追いかける。
小春は足が遅かった。私は足が速かった。
逆じゃなくてよかった。おかげで今がある。
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