クロト狂乱
「おい、やめないか!」
見かねてレリックが二人の間に割って入る。
「お前、こんなことして傭兵侯が黙っていると思うのか」
それを聞いて、
「分かってますよ。殺さなきゃいいんでしょ。ちょっと痛めつけてやるだけですよ」
と、不機嫌そうに言うクロト。
「王様、あんたもやられっぱなしで悔しくないのか。何で魔法を使わないんだ」
と、レリックはアステルに小言を言った。
アステルはしゃがみ込むと、長剣を静かに置いた。そのままじっと長剣を見つめる。
「クロトに私を殺す意思がないことはわかっていた。だから、この戦いには魔法を使わないと決めたのだ」
アステルは立ち上がると、真っ直ぐにクロトを見た。
「むやみに魔法を使うのは、王家の者として許されないことだ」
クロトはハッ、と驚いた表情をすると、クルッと二人に対して背を向けてしまった。
レリックは、やれやれとため息をついた。
「王家のプライドは俺にはよくわからんし、クロトがなぜ王様を襲ったのかもわからん。が、クロトの意思を見抜いたことは褒めてやるよ」
レリックはアステルに行くぞ、とうながす。
アステルはうなずくと、闘技場の出口に向かって歩き出した。
クロトはまだ背を向けている。
あっ、と思った瞬間、クロトはその場でクルッと背面飛びをすると、アステルの後頭部に左足をぶち当てた。
とっさの判断で、アステルは自ら前方に向かって体を回転させ、蹴りの衝撃を弱める。
視界が反転し、アステルは地面を転がる。
クロトは執拗にアステルと地面で組み合い、後ろに回り、右腕をアステルの首に回し締め付けてきた。
「おい、クロト、やめろ」
レリックが慌てて駆け寄ってくる。
「来るな!来れば首の骨を折るぞ」
クロトの声に、レリックはピタッと動きを止める。
首を絞め続けるクロト。
アステルは目の前が霞んでくるのを感じていた。
今度は右腕に左腕を合わせ、グイグイと力を込めてアステルの首を絞めるクロト。
と、首を絞める力が弱まった。
「何しているんだあいつ?」
レリックがそーっと地面の上で組み合っている二人に近づく。
クロトがアステルの頬から流れる血をジッと見ている。
そして、クロトはその血を自らの舌で舐めあげた。
「ゲッ!おい、クロト!お前、そういうことは止めた方がいい」
レリックはそうクロトに忠告する。
クロトは一瞬横目でレリックを見たが、再びアステルの血を舐めあげた。しかも今度はチロチロと舌を小刻みに上下させた。——そのざらっとした感触は、無意識にアステルの中の、魔法を発動させるトリガーを作動させた!
蜘蛛の糸を取ったのと同じように、アステルの身の回りに風の刃が降り注いだ。
クロトが離れたのが分かる。
アステルは頭を振り、何とか起き上がった。視線の先にはクロトがうずくまっている。両手で顔を覆っている。おそらく顔が傷つかないようにガードしたのだろう。
クロトは顔を上げた。両腕には無数の傷があるが、顔は傷一つない。それでもクロトは両手で顔を触ると、顔に傷がないか確認している。やがてホッ、とした表情でクロトは立ち上がった。
「悪あがきを……」
クロトがつぶやいたと同時に、アステルは右手をクロトに向けた。
――フッ、と風の刃がクロトの頬をかすめる。
僅かではあるが、その風はクロトの肌を傷つけた。
僅かにクロトの顔に血がにじむ。
クロトは黙って手で傷口を触る。そして手についた血を無言で見つめている。
「魔法を使う気はなかったのだが、お前のその奇矯な行いに少々腹を立てた……すまない、つい」
アステルはペコリと頭を下げた。
「…………」
クロトは何も言わない。
アステルが顔を上げると、ギョッ、とした。
クロトの端正な顔が怒りのあまり美しくも歪んでいる。
クロトの体から殺気が立ち上っているのが分かる。
先ほどとは、殺気の濃さが違う。
「これは……こちらも本格的に魔法を使わなければいけないな」
アステルは下腹部に力を込め、構える。
両者、一触即発の状態。
「やめないか!」
その声で、場の殺気が消えた。
クロトが怯えている。
アステルがその声の方向を見ると、レリックと、威圧感たっぷりの長髪・長身の男が立っていた。
「これはどういうことだ」
アステルとクロトが対峙しているのを見て、長髪・長身の男――言わずと知れた、シュタインボルト――が低いがよく通る声で言った。
クロトはさっと身をかがめ平伏する。
「申し訳ございません、閣下!」
クロトの第一声は誤りの言葉だった。
「言いつけ通り、少年王の力量を計っていたのです。しかし、少々やりすぎました」
「ふむ」
シュタインボルトは、あごひげに手を添えながらクロトの言葉を聞いていた。
「確かに少年王の力量を計ってこいとは言ったが、それは戦場での働きを見ろ、ということ。こんな決闘を許可したつもりはない」
「はい、申し訳ございません」
クロトがまたしても平身低頭する。
クロトは平伏している姿勢から顔を横に向け、チラッとアステルを見た。
ハッと動きが止まる。
アステルがクロトのことを見ていたからだ。
一瞬、二人の視線が交差する。
だがクロトは、すぐに顔を下に向けてしまった。
恥ずかしそうに身を震わせていたクロトであったが、
「閣下、申し訳ございませんでした!」
と言うと、その場から姿を消した。
「あいつ、一体何がしたかったんだ」
レリックが呆れてつぶやく。
その横で、シュタインボルトは無言のままだった。
「先程は申し訳なかったな」
シュタインボルトはアステルに頭を下げた。
「いえ、少々びっくりはしましたが、何とか……」
アステルも何と言っていいか、言葉を濁す。
「ところであなたは……」
アステルが言うと、
「これは失礼した。自己紹介がまだだったな。余の名前はシュタインボルト。今はただの旅人だ」
シュタインボルトは微笑んだ。
「シュタインボルトですって!あなたは皇帝軍の総司令官では!」
アステルは、そこで言葉を切った。明らかに警戒している。
「まあ、そんなに警戒することはない。余は確かに皇帝軍の総司令官として戦ったが、今ではその座を追われた身。だから、今はただの旅人なのだ。……レリック!」
シュタインボルトはレリックに話を振る。
「そうだぞ、王様。俺たちラドガッド兵が雇われているって事は、もう皇帝とは切れたってことだ」
「……そうですか。にわかには信じがたい話ですが……」
アステルはまだ警戒を解いていない。
「まあ疑うのはしょうがない。ところで今回の戦い、『王の道』を使うとはいささかびっくりした。まさかフィンデガルドに古代の魔法知識があるとは……」
強引に話を進めるシュタインボルト。
アステルは黙って何も言わない。
シュタインボルトは続けて、
「少年王、君は実に興味深い。君は魔法を使えるね。今まで魔法を使える王族・貴族たちは、自らの力を誇示するためだけに、攻撃魔法ばかりを主に使用してきた。だが、君は違う。風の魔法を味方全体のために使用した。命令に即反応する瞬発力、騎兵に必要な機動力、敵のアウトレンジから攻撃できる射程力。弓矢の威力を増して敵を倒す殺傷力。……君の軍は強い」
「……」
アステルは、相変わらず無言だ。
「君は……」
シュタインボルトは一呼吸置くと、
「この世を変える可能性を持っている」
と、言った。
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