邪忍クロト
それから帝国を攻める準備が始まった。
「帝国には、トリスデンの町から進攻することになります。ですが、彼の地は高い崖に囲まれた地形。魔導士が陛下一人だけの我が軍では、厳しい戦いが予想されます」
エルザが地図を見ながら皆に説明した。
「それについてはこちらをご覧ください」
レンスキー神父がまた別の地図を広げた。
「これは一千年前、太古の魔法技術がまだ盛んだった頃の、北回り航路の地図です。注目すべきはここ、フィンデガルドとトリスデンにあるこの印。印同士の間に線が引かれています」
皆が地図を見ると、見慣れない印がそこには描かれていた。王冠のマークだった。
「我がセルリア王国で調べたところ、これは『王の道』の印でした」
「王の道?」
「そうです少年王。かつてこの大陸と周りの島々は、王の道と呼ばれる魔法の道で繋がれていました。この王の道を使い、人々は自由に行き来をしたと言われています。ただ、いつの頃からかこの王の道は使われなくなりました」
「それはどうして?」
「様々な説があります。何か重大な事故があった。王の道を支える魔法力が無くなった。反乱軍による使用を恐れて王の道を使えなくした……」
「王の道はまだ使えるのか」
「そこです、少年王よ」
レンスキー神父は白くなったあごひげを整えながら言った。
「我が王国の研究では、いくつかの王の道が使用可能な状態であると判明しました。このフィンデガルドと大陸を結ぶ王の道も、その一つです」
「では、この王の道を利用すれば陸側から進攻出来るし、船を使わないでも補給が可能ということか……」
「その通りです。軍資金は我がセルリア王国の方でも用意いたします。少年王には早急に戦いの準備をお願いします」
「そのことだが、セルリア王国はこの戦いに参戦はしないのか?」
「そのことですが……」
レンスキー神父は神に仕える身でありながら、セルリア王国の宰相も努めている。
「セルリア王国は、現時点では戦いに参加はできません。これは帝国との間に交わした条約のため。今はそれを破る理由がありません。ですので、今は水面下の協力になります」
「都合の良い話ですね。我らに戦うだけ戦わせて、自分たちは高みの見物ですか」
エルザが横から口を挟む。
「いや、決してそのようなことは……」
「だってそうでしょう。まずはセルリア王国から戦端を開くべきでは……」
「いや、それは今すぐには出来ません」
エルザとレンスキーの口論がいつまでも続いていた……
これは夢か……
おぼろげな意識の中、アステルは眠りから覚めようと気力を振り絞った。
無理やり薄っすらと目を開けると、夢に見た少女の顔……ではなく、目の前にはアステルを気絶させた男がいた。
「お前は……あ、痛い」
アステルは殴られた側頭部を押さえた。そこだけでなく、顔もヒリヒリする。
「まったく、むちゃな王様だ。その『蜘蛛の糸』は、自力じゃぁひっぺがすことはできないはず。それを無理やり取っちまうんだから」
男は呆れて言った。
「……他の者はいないのか。もしかして私だけ?」
「そうだ。何人か捕まえることはできたんだが、援軍がいっぱい来ちまったんで、王様だけ捕まえてトンズラしたのさ」
「そうか、よかった」
アステルは、ほっと胸をなでおろした。
「それで、私をどうしようというのだ」
「それは、オレの雇い主に決めてもらわなきゃな。ついてこい」
男はアステルを連れて、館の中を移動した。
「ああ、あと俺の名はレリックだ、よろしくな、少年王」
レリックはそのいかつい体に似合わず饒舌な男で、盛んにフィンデガルド軍のことを褒めてくれた。
「……あんなに強い騎兵隊は俺も初めてだ。王様、あんたは良い部下を持ったな」
「それはどうも」
アステルは苦笑した。そんな強い騎兵隊を率いていた自分が、今では惨めな捕虜となっている。捕虜とは言え、鎧兜と武器は剥ぎ取られたが体は自由だ。
「私を拘束しないでもいいのか」
アステルの体に拘束具はついていない。仮に魔法を使えば、ここからの脱出も十分可能だ。
「雇い主からの命令だ。王族はこういう時ジタバタしない。優雅に振る舞うのだと。ま、お互いの信頼関係ってやつだ」
「フッ、わからんぞ」
とは言ったものの、アステルはレリックの雇い主に興味が出てきたので、おとなしく付いて行くことにした。
「入りますよ」
一声かけると、レリックは扉を開け、アステルを部屋へ入るように促す。
そこにいたのはシュタインボルトのしもべ、クロトだった。
「おいクロト、傭兵侯はどこだ」
レリックの問いに、
「閣下はいないよ」
と、クロトはボソッと言った。
「傭兵侯を呼べと、ちゃんと伝えておいただろ」
だがクロトはレリックの問いには答えず、アステルの方を向いて、
「あんたが少年王か」
と、値踏みするようにアステルを見た。
アステルはクロトの視線から敵意を感じ、グッと拳を握りしめた。
「おい、聞いてんのかクロト!」
レリックがイライラしながら怒鳴った。
「お前、わざと傭兵侯を呼ばなかったな。一体何のつもりだ」
「閣下に会わせる前に、ボクが少年王を試すのさ」
クロトの言葉を聞いて、レリックが可笑しそうに笑った。
「試すだって、この皇帝の犬が。いや、元犬か。お前みたいな邪忍の暗殺者が試すなんてできるのか。闇討ちしか能のないお前がな」
「何ならアンタから相手をしてもいいんだよ」
一触即発なクロトとレリック。
アステルは二人の間に割って入った。
「私に用があるというなら相手をしてやろう」
「……ついてきな」
クロトはアステルをとある場所に案内した。
「ここは……」
中央に平たい地面。
その周囲を客席が囲んでいる。
「ここは闘技場。大昔の建物さ」
クロトは両手を広げた。
「奴隷たちが戦いを繰り広げ、その光景を観客たちが日頃の憂さ晴らしのために見ていた。最も観客は、そこのクソ親父しかいないけどね」
クロトは笑いながらレリックを指さした。
「さあ、少年王。これを取りな」
クロトはそう言うと、一振りの剣をアステルに向かって放り投げた。
むき出しの刀身がキラリと光る。一般的な長剣だ。
「さあ、勝負と行こうじゃないか」
クロトは左手に長剣を持っているが、構えているでもなく地面に引きずっている。アステルは長剣を拾うと、クロトと向かい合った。
アステルは長剣を中段に構えた。
クロトは相変わらず長剣を引きずっている。
クロトは長剣を引きずりながら、アステルに向かって突っ込んでくる。
掛け声とともに、片腕で長剣を下から上へ振り上げるクロト。
アステルは長剣で受け止める。
「くっ!」
一撃の重さによろけるアステル。
クロトは反動を利用して長剣を頭の上まで持ってくると、今度は両腕を使って長剣を振り下ろす。
その重い一撃を長剣で受け止めるアステル。
「ハハハ、どうしたどうした」
クロトは連続で長剣を打ち込んでくる。
一撃一撃を長剣で振り払うアステル。
「どうした少年王。防戦一方だな」
クロトの息は乱れていない。まだだいぶ余裕がありそうだ。
一方のアステルは肩で息をしている。
「今度はこうだ!」
クロトはアステルに接近すると、長剣を振り下ろすのではなく、突き出してきた。
サッと避けるアステル。再び突きを仕掛けてくるクロト。アステルは長剣を使ってそれを防ぐ。二突き、三突きとクロトの剣を防いだものの、アステルの体は少しずつ切り刻まれていく。
たまらず後方に飛びのき、アステルはクロトとの距離を取る。肩で息をするアステル。
と、顔に痛みが走る。血が、すーっと流れ落ちるのを感じる。わずかに剣の切っ先が頬を掠めたらしい。
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