傭兵侯シュタインボルト
ここトリスデンの町は、帝国の最北端に位置する海沿いの町。大陸の北回り航路の一中継地点として、それなりの規模を誇る港町だ。
今、この町は戦争の話で持ちきりだった。フィンデガルド軍が攻めてくるというのだ。
……町を治める領主はコモデ伯爵である。女性ながら歴戦の戦士で、皇帝の直臣である。
「伯爵様、フィンデガルド王国が攻めてくるというのは本当ですか」
「間違いない。フィンデガルドの少年王が帝国に対して、正式に宣戦布告してきたのだ。敵は海から来るわ。港の防御を強化して」
コモデは部下に手慣れた様子で命令する。
「近郊の領主たちに使者を出して。すぐに参陣しろとな。代理は一切認めないわ。本人が来るのよ。魔法が使える本人よ」
「騎兵だと?騎兵はノーよ。魔法の格好の標的になるだけ。その代わり歩兵を沢山用意して。魔導士を守る歩兵が必要なのよ」
「何?鎧なんて高価な物はいらない。兜があればいいわ。何でもいいから歩兵を集めて。傭兵でも市民でも浮浪者でも何でもいいのよ。頭数が揃っていればいいの。攻撃は魔導士がするのだから」
忙しく戦いの準備をしているコモデに、部下の一人が駆け寄ってきた。
「伯爵様、お客様です」
「なあに、こんな忙しい時に。一体誰!」
「それが、かの有名なシュタインボルト様です」
「ええ!あの傭兵候がこんな辺境に?わっ、わかったわ、すぐ行くから」
「あ、いえ、もうこちらに来ております」
「あら嫌だ!お化粧もろくにしていないのに困るわ」
慌てて奥に引きこもろうとするコモデの足が、ピタッと止まった。
召使に案内されたシュタインボルトが、戦支度でごった返す港の様子を見ながらこちらに歩いてくる。
コモデはシュタインボルトをウットリと見つめた。
その髪の色は黒。背は高く、痩せ型で眼光鋭いが、意外に饒舌。えこひいきをせず、話をしてみると理路整然と言葉が出てくるが、こちらのレベルに合わせて優しく語りかけてくれる。
コモデは以前、王宮でシュタインボルトに会った事があるが、その丁寧な物腰を未だに覚えており、それ以来シュタインボルトのファンを自任している。
「シュタインボルト様〜。よくぞこのような辺境までおいでくださいました〜」
部下に戦の準備を任せると、コモデは挨拶もそこそこに、シュタインボルトを港に案内した。
「閣下、これをご覧ください。この海岸一帯に、錬金術士の手による魔反射の防塁を築きましたのよ。敵が上陸しようものなら、この防塁で食い止めますの。さらに……」
と、今度は崖の上に案内した。
「この崖に城壁を築きましたの。そこに、巨大な魔法力増幅装置を錬金術士に造らせました。ここで魔導士が呪文を唱えると、その魔法力が増し、海上の船を焼き尽くしてしまいますわ」
コモデは、丸くて平べったい形をした透明なレンズを誇らしげに触った。
「仮に船から上陸して防塁を突破して来たとしても、この城壁に遮られ、攻めあぐんでいる所を魔法で撃退しまのよ。どうです、閣下」
「なるほど、海からの攻撃には完璧に対応できる訳か。素晴らしい防御です、コモデ殿。惜しみなく財を投入し、鉄壁の守りを固めましたな」
「きゃ~、傭兵侯に褒められましたわ〜」
舞いあがるコモデ伯爵。
「敵がまともに海から来れば、だがな。優れた武将は、時として誰も思いつかない方法で奇襲攻撃を仕掛けてくる。果たして少年王はどう出るか……」
コモデに聞こえないようにつぶやくシュタインボルト。
「ところで、ここへはどういう御用で?」
コモデが尋ねると、シュタインボルトは恥ずかしそうに笑った。
「実は傷心旅行でここに来たのだが……」
「あら、傷心旅行なんて!それはどういうことでしょう」
シュタインボルトの意外な言葉に戸惑うコモデ。
「傷心旅行とは、年若い乙女のようなことを言ってしまったが、皇帝陛下は余から戦いを取り上げてしまった。それで、傷心旅行だ」
「ははあ、噂は聞いております。総司令官を解任された件ですか」
「ウム、それで領地に謹慎していたのだが、かつての思い出の地を巡るのも悪くないと思い、ここに来たのだ。来てみれば、フィンデガルドが攻めてくるというではないか。これは僥倖!面白い物が見られるかも知れんな」
「閣下、残念ですが面白くはなりませんわ。こちらには魔法部隊がいるのですから」
コモデは誇らしげに答えた。
「魔法部隊か……確かに十年前のアジャンシールの戦いで、歩兵の方陣に守られた魔導士によって、騎兵隊が全滅したことがある。また八年前のクレイトンの戦いでは、砦に立てこもった、たった一人の魔導士が攻め寄せる敵を退けた。魔導士最強説の恰好の戦例だ」
淀みなく過去の戦例を話すシュタインボルト。
「そうです!方陣で守れば、あらゆる方向の攻撃から魔導士を守ることが出来ます。フィンデガルドには、魔導士は確か……」
「そう、魔法を使える者は少年王ただ一人」
シュタインボルトは右の人差し指をピンと突き出した。
「その軍は騎兵を中心に編成され、少年王の意のままに、変幻自在に陣形を変え敵に襲い掛かるという」
ここでシュタインボルトは一呼吸おいた。
「不思議なことに、少年王が魔法を使ったという記録は報告されていない。戦いになれば、真っ先に魔法を使うところだが……」
「これは驚きましたわ。閣下はとてもお詳しい」
「まあ、これだけの備えがあれば恐れるに足らない。だが、用心した方がよい。過信すればやられるぞ。そうだ、余の傭兵部隊を貸してやろう。ラドガッド兵二百人だ」
「ラドガッド傭兵ですか……あの、斧槍の使い手たちですよね。せっかくのお心遣いですが、遠慮させていただきます。魔法を使えない者たちは必要ありませんから。……閣下、名残は惜しいですが、私は準備があるのでこれで失礼いたします」
コモデ伯爵はうやうやしく礼をすると、戦支度に戻っていった。
「多少浮かれたところはあったが、さすがは皇帝陛下が一目置く魔導士。余の手助けはいらないということか」
コモデと別れたシュタインボルトは、海岸線に沿って歩いた。海からは心地よい風が吹いてくる。
海は穏やかで、未だに敵影はない。
「クロト!」
「はっ!ここに控えておりますれば」
シュタインボルトの呼び出しに音もなく現れる黒い影。
頭から黒い衣服を身にまとい、片膝を地面に着いた姿勢でかしずいている。
その姿は、邪忍――人々に恐れられる影の暗殺者――の出で立ちに相違ない。
「クロトよ、話は聞いたな」
「はい、おおよそは」
クロトが顔を上げた。
その顔は、目はうるみ、口びるはぽってりと肉づきよく、頬はほのかにピンクにそまり、鼻は細い。見たところ、十代半ばと思われる。
「閣下の気持ちはわかっております。少年王……興味がお有りのようで」
「ウム、このまま戦いから身を引き、余の後継者としてお前を育てるのも良いと思っていた。しかし余は武人。心のどこかで、戦いを求めているのかもしれん」
「少年王のこと、閣下は事あるごとに褒めておられました。ここは私が、少年王の力量を計ってきましょう」
クロトの申し入れに、シュタインボルトはフッ、と表情を崩した。
「無理をしないでいいのだぞ。昔のことは忘れて、余の側にいるが良い」
「ありがたきお言葉。なれど、ボクは閣下のお役に立ちたいのです。それに……」
クロトは立ち上がると、シュタインボルトと並んで海を見た。そして被っていた黒い頭巾を頭から脱ぎ去る。肩のあたりで短く切り揃えられていた銀色の髪が、風に揺れた。
「ボクも、少年王には興味があります。その名前は、幼い頃より聞かされていましたから……」
「ならば行け!だがくれぐれも無理はするなよ」
「はい、閣下。お任せを」
クロトは現れた時と同じように、音もなく消えた。
「さあ、少年王よ。お前の戦いを見せてくれ。余の運が好転するか否か……アステル、お前に賭けよう」
シュタインボルトは海に背を向け歩き出した。
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