第31話 温かな凱旋、麓の村に響く笑顔の乾杯
西の地に凍てつく冷害と飢えの悪夢をもたらしていた古の魔物──『氷室の暴竜』。
その脅威は、蒼さんの圧倒的な神技と、凱様の勇猛果敢な牽制、そして私が『やどりぎ』に展開した絶対的な結界の守護によって、完全に打ち砕かれた。
暴竜の巨体が白銀の雪面に崩れ落ち、周囲を覆っていた禍々しい冷気のオーラが霧散した瞬間、霊峰の山頂にはそれまでの殺伐とした冷気が嘘のように引いていき、雲の切れ間から眩いばかりの温かな太陽の光が一斉に降り注いだ。
万年雪に閉ざされていた険しい山肌に、まるで春の訪れを告げるかのように、ふんわりと優しい光が満ちていく。
「やったな、お嬢ちゃん! 俺たちの完全勝利だぜ!」
凱様は豪快に笑いながら私の肩をパーンと力強く叩き、満面の笑みを浮かべた。
その傍らで、蒼さんも優しく微笑みながら、「本当によく頑張ったね、千歳。君の店が展開してくれた結界がなければ、この勝利はあり得なかったよ」と私の頭をそっと撫でてくれた。
日鞠ちゃんも、「すごい、すごーい! これで皆助かるんだあ」と嬉しげに跳び跳ねている。
そうして、私たちがその偉大な勝利の余韻に浸りながら霊峰の山頂をあとにし、麓の村へと下山すると、そこには信じられないような光景が広がっていた。
あれほどまでに霊峰から吹き下ろす猛烈な暴風雪に晒され、村全体が凍てつく青白い冷気に包まれていたはずだったのが、今や、まるで魔法にかかったかのように、嘘のようにポカポカとした温かな陽気に包まれていたのだ。
「空気が……空気がすっごく温かい……!」
その様子を感じ取った日鞠ちゃんが、嬉しそうに声を弾ませた。彼女の頭の上のフサフサとしたタヌキの耳も、お尻の太い尻尾も、喜びのあまりピコピコと揺れている。
「暴竜の放っていた冷気が消滅したことで、霊峰全体が本来の神聖な気候を取り戻し始めたのさ。これなら、西の農地を覆っていた厚い氷も、すぐに綺麗に溶け出すはずだ」
蒼さんが穏やかな瞳で周囲の景色を見渡し、深くうなずいた。
やがて麓の村の広場に戻ると、私たちの帰還を待ち侘びていた村人たちが、続々と家から姿を現して来て、感動に満ちた歓声と拍手が巻き起こった。
「あの若者たちが、本当にあの恐ろしい暴竜をやっつけてくれたんだ……!」
「すごい……! これで今年の冬を越せるし、また美味しい作物を畑で育てられるぞ……! 本当に、本当にありがとう……っ!」
村人たちは次々と私たちのまわりに駆け寄り、涙を流しながら手を握り締め、心からの感謝の言葉をぶつけてくれた。
私はその一人ひとりの手に自分の手を重ね合わせ、「もう大丈夫ですよ、これからは安心して美味しいご飯が食べられますからね」と、心からの笑顔で応え続けた。
§
「さあ、皆さん! 暴竜の討伐大成功と、西の地の新しい未来を祝して……今夜は盛大に『勝利の打ち上げ宴会』を開催しますよーっ!!!」
私のその元気いっぱいの宣言が、麓の村の広場にこだました。
私は麓の村の開けた広場の一角を選び、そこに『やどりぎ』の店舗を顕現させていた。
店の軒先では、あたたかなオレンジ色の光を放つ赤提灯が灯り、藍色の暖簾が風に揺れている。その店内からは、香ばしく、芳醇な料理の匂いが立ち込めていた。
さらに、今回は店の中だけでは収まりきらないと予測していたため、店の周囲の広場スペース全体に拡張システムを発動させ、頑丈な木製のテーブルと椅子、そして蓄熱魔導ヒーター付きベンチを何台も並べて、巨大な「野外特設お祭り会場」を作り上げていた。
「いやぁ、この最高の匂いを嗅いだら、戦いのあとの腹ペコの胃袋が限界突破しちまうぜ!」
凱様が、一番乗りで野外の特設テーブル席にドカッと腰を下ろし、豪快に笑い声を上げた。
その隣には、案内人として大活躍してくれた日鞠ちゃんが「わぁい! 宴会だぁ、お祭りだぁ!」と目を星のように輝かせながら、ちょこんと可愛らしく席に座っている。
蒼さんも席につき、「いや、実に素晴らしい眺めだね。村の人々の笑顔が、何よりもこの勝利を物語っている」と穏やかな笑みを浮かべている。
そして、村の住民たちも、「こいつはありがてぇ!」「ご馳走になります!」漂ってくる美味しそうな匂いに誘われ、次々と笑顔でテーブル席へと座っていった。
「お待たせしました! それでは、凍てつく寒さを完全に打ち破り、西の地に温かな笑顔が戻ってきたことを祝して……皆さん、ご一緒に! 乾杯っ!!!」
「「「かんぱーーいっっ!!!!!」」」
広場全体に響き渡る、数百人の声が一つになった盛大な乾杯の音。
琥珀色のビール、澄んだ冷酒、そして子供たちのための特製果実ソーダが一斉に高く掲げられ、勝利の宴が華やかに幕を開けた。
§
厨房のカウンターに立ちながら、私は今日この日のために用意した最高のメニューを、次々と手際よく仕上げていった。
霊位三階(上階)に上がったことで『八百万神恵堂』から自由に呼び出せるようになった極上の食材をふんだんに使った料理の数々。
一品目は、霊峰の冷え切った身体の芯から温め直すための『具だくさん特製豚汁(大鍋仕込み)』。
二品目は、香ばしい炭火の香りが広がる『特製地鶏の炭火焼き・柚子胡椒仕立て』。
三品目は、西の地の小麦と出汁の旨味がギュッと詰まった『もちもち極上うどん』。
そしてデザートは、子供たちや日鞠ちゃんが待ち望んでいた『季節の果実をふんだんに使った特製フルーツタルト』と、甘い蜜がたっぷりかかった『焼き団子』だ。
料理が次々とテーブルに運ばれるたびに、広場からは「美味しい……っ!」「なんだこの味は、身体がとろけるように温まるぞ……!」という大歓声と絶賛の声が次々に巻き起こった。
「千歳おねえちゃーーん! このお肉、すっごくジューシーで柔らかくて、びっくりするくらい美味しいよ……!」
外の特設テーブル席の真ん中に座っていた日鞠ちゃんが、地鶏の炭火焼きを大きなお口で頬張りながら、タヌキの耳をぴこぴこと嬉しそうに上下させて私に向かって手を振った。
その両頬にはタレがちょこっとついていて、見ているだけでこちらまで頬が緩んでしまうほどの可愛らしさだ。
「ふふ、日鞠ちゃん、もっともっといっぱい食べて大きくなってね!」
私が笑顔で返事をすると、日鞠ちゃんは「うんっ!」と元気いっぱいに力強くうなずいた。
その時、ふっと背後から、大柄な影が近づいてくる気配がした。
「お嬢ちゃん……ちょっと、今いいか?」
振り返ると、そこには凱様が立っていた。
彼はいつもの豪快な笑みを引っ込め、どこか真摯で温かい眼差しを私に向けている。
「凱様……? どうかしましたか? お料理の味がもの足りなかったりしました……?」
私のその心配そうな問いかけに、凱様は慌てて首を大きく横に振った。
「いや、とんでもねぇ! 料理の味は、世界中のどこを探してもこれ以上のものは絶対にねぇよ。……そうじゃなくてな、お嬢ちゃんに、どうしてもちゃんと言っておきたくてよ」
凱様は一度大きく息をつき、それから私に向かって、一国の皇帝であるはずの彼が、これ以上ないほど深く、丁寧に頭を下げた。
「凱様……っ! そんな、頭を上げてください……!」
私が慌てて制止しようとすると、凱様はゆっくりと顔を上げ、その双眸に真っ直ぐな光を宿しながら、私をじっと見つめた。
「お前さんが現れなければ、あのまま西の領地は凍りつき、今年の冬を越せずに数え切れないほどの民たちが飢えと寒さで命を落としていた……。俺は白虎皇として西の地を治めている誇りを持っていたつもりだったが、自分の領地が危機に瀕したとき、手をこまねいているだけだった。それを、お前さんの優しさと、命がけの覚悟が救ってくれたんだ。……本当に、ありがとう、お嬢ちゃん。お前さんは、西の地の俺たちの、最高の救世主だ」
凱様のその言葉には、偽りのない敬意と心からの感謝が、あふれんばかりに詰まっていた。
胸の奥が、熱いものでグッと締め付けられる。
「……救世主、なんかじゃないですよ」
私は、恥ずかしそうに頬をポリポリとかきながら微笑んだ。
「私はただの料理人ですから。お腹を空かせている人がいたら美味しいご飯を作って食べてもらいたい、みんなに笑顔になってほしい──それだけを考えて、これまでも、これからもずっと料理を作り続けるだけです。だから、凱様が頭を下げる必要なんてありませんよ」
私のその言葉を聞いた瞬間、凱様はしばしポカンと目を見開いたあと、ガハハッと今日一番の豪快な笑い声を響かせた。
「ははっ……! 本当に、どこまでいってもぶれねぇおなごだぜ! よし、それじゃあ、この西の地のすべてを救ってくれた最高のお嬢ちゃん、もう一度、乾杯をさせてもらうぞ!」
凱様が自分のビールジョッキを高々と掲げ、私に向けて突き出す。
「はいっ! 皆さんのために、明日からももっともっと美味しい料理を作りますね!」
私は自分のグラスを掲げ、彼のジョッキへと元気にコツンとぶつけた。
カキーン、と澄んだ美しい乾杯の音が、麓の村の夜空に高く響き渡る。
頭上には、満天の星々が、まるで私たちのこれからの未来を祝福するかのように、どこまでも明るく優しくきらめいていた。




