第29話 白銀の頂上の激闘
霊峰の麓から狸の少女・日鞠ちゃんの案内を受け、私たちは過酷な雪山登頂を順調に乗り越えてきた。
そして、ついに私たちは、西の地に凍てつく冷害をもたらしている元凶が棲むという、霊峰の頂上付近へと到達したのだった。
頭上を覆うのは、不気味に渦巻く黒鉛色の暗雲。周囲を囲むのは、永遠の時が凍てつかせたような幾重もの巨大な氷柱と、足がすくむような切り立った断崖絶壁。
「ここが、『氷室の暴竜』が棲む霊峰の頂上……」
先頭を歩く蒼さんが、その涼しげな青い瞳を細め、前方の空間を鋭く見据える。
その隣で、凱様が頷きながら、分厚い拳を握りしめた。
「あぁ……間違いねぇ。この肌を刺すような冷気、そして尋常ならざる魔力の澱み……。奴はすでに、この奥で俺たちの接近に気づきやがっているぞ!」
凱様のその緊迫した声を聞き、私は背中に冷たい汗が伝うのを感じた。
案内人としてここまで同行してくれた日鞠ちゃんは、これ以上先の危険な領域に巻き込まれないよう、少し手前の安全な岩陰でしっかりと待機させてある。
私たちは呼吸を整え、お互いにアイコンタクトを交わしながら、巨大な氷の壁に囲まれた開けた山頂の広場へと慎重に足を踏み入れた。
ドォォォン……ッ!!!
突如として、大地そのものが悲鳴を上げるかのような、重苦しい地鳴りが響き渡った。
「きやがった……!」
凱様が即座に身構え、一歩前に飛び出す。
私たちの目の前にそびえ立っていた巨大な氷の塊が、まるで爆発でもしたかのように派手に砕け散り、無数の氷の破片が吹雪のように辺りに舞い上がった。
その向こう側から、ゆっくりと姿を現した存在、それこそが、西の地の民たちを長きにわたって苦しめてきた元凶、『氷室の暴竜』だった。
「……っ……なんて、巨大な……!」
私は思わず息を呑み、その圧倒的な威圧感に気圧されそうになった。
そこに君臨していたのは、全身が透き通るような純白の氷の鱗で覆われた、巨大な竜だった。その紅く不気味に光る両目は、絶対的な冷酷さを湛えている。
翼を大きく広げただけで、周囲の空間の温度がさらに数度急降下し、私たちの吐息が一瞬で凍りつく。
「グォォォオオオ――ッ!!!」
氷室の暴竜が天を仰ぎ、周囲の空気を震わせるほどの凄まじい咆哮を叩きつけた。
その口元から吐き出された冷気は、それだけで目の前の地面をガチガチの厚い氷の床へと変えていく。
「ふん、派手に挨拶をしてくれるじゃねぇか! だが、我が西の領地をこれ以上好き勝手に凍らせられるわけにはいかねぇんだよ!」
凱様が野性味あふれる獰猛な笑みを浮かべ、地面を蹴り飛ばした。
次の瞬間、凱様の姿が人間の目では追い切れないほどの超高速の残像へと変わった。
白虎皇としての本領発揮だ。彼はガッシリとした肉体に闘気を纏い、暴竜の巨躯の懐へと一瞬で潜り込むと、オーラを纏った拳で、暴竜の強靭な前足の関節へと強烈な一撃を叩き込んだ。
ガキィィィン……ッ!!!
打撃音が響き渡るほどの衝撃。さすがの暴竜も、不意を突かれたのか、その巨体がぐらりと大きく揺らいだ。
「グオッ!?」
「どうした、動きが鈍いぜ! こっちだ、ほら、こっちを向けよ!」
凱様はさらに縦横無尽に跳ね回り、暴竜の視界を撹乱するようにその周囲を素早く駆け抜けながら、次々と鋭い牽制攻撃を浴びせていく。
暴竜は怒り狂い、巨大なしっぽを荒々しく振り回して凱様を叩き潰そうとするが、凱様は抜群の身軽さと反射神経でそのすべてをひらりと紙一重でかわし続ける。
「す……すごい……! 凱様、あんな巨体を完全に翻弄している……!」
私は安全な距離からその凄まじい攻防を見つめながら、思わず手に汗を握った。
「ふむ、いい具合に奴の注意が引きつけられたね。それじゃあ、そろそろ私からも一発、挨拶代わりの攻撃をさせてもらおうか」
すぐ傍らで、蒼さんが静かに呟いた。
彼の纏う蒼き正装の裾が、冷たい風を受けて翻る。蒼さんはゆっくりと右手を掲げ、その美しく整った指先を、目の前で暴れ狂う氷室の暴竜へと真っ直ぐに向けた。
「──『蒼龍閃光』」
次の瞬間、眩い青色の光の奔流が、まるでレーザーのように超高速で放たれた。
すさまじいスピードで飛翔した光の槍は、凱様が翻弄していた暴竜の巨体の太い首へと一瞬で到達した。
ズチュゥゥン……ッ!!!
「グルァァァァッ……!?!?」
氷室の暴竜が、これまでにないほど痛みに満ちた、耳をつんざくような悲鳴を上げた。
蒼さんの放った『蒼龍閃光』は、暴竜の強固な氷の鱗を易々と貫いていた。精密かつ驚異的な超高威力スナイプ攻撃。
暴竜はバランスを崩し、巨体をドシンと雪面に大きく揺らした。
「やった……!?」
私が思わず声を漏らした、その時。
「いや、まだだ……!」
蒼さんが鋭い視線を暴竜に向けながら、表情を引き締めた。
果たして、その言葉の通り、首を撃たれて血を流した氷室の暴竜は、地団駄を踏むように狂い狂い、その紅い目をさらに血走らせて頭をもたげた。
「なら、今のうちに追撃だ。逃がすかよ!」
「待て、凱。ここは私に任せなさい」
蒼さんが静かに手を伸ばし、再び突撃しようとした凱様を制する。
彼は一歩前へ歩み出ると、今度は左手の指先を軽やかに「パチン」と鳴らした。
「──『虚空龍哮」
その瞬間、氷室の暴竜の頭上を覆っていた空間そのものが、突如として激しく歪み、爆発した。
ドォォォン……ッ!!!
そこに出現したのは、おそらく高密度に圧縮された圧倒的な衝撃波。その重圧が暴竜の頭部へと容赦なく叩きつけられた。
「ガァッ……!?」
直撃を受け、暴竜の巨大な頭部が地面へとドスンと強制的に押し潰された。周囲の雪煙が爆発的に舞い上がり、あまりの圧倒的な格の違いを見せつけるその一撃に、暴竜は完全に動きを封じられ、その場で激しくのたうち回る。
遠くにいながらにして相手に回避不能の甚大なダメージを与える、蒼さんの圧倒的な実力。
普段の穏やかな物腰からは想像もつかないその戦闘時の神々しさに、私はただただ圧倒され、言葉を失って見つめるしかなかった。
「すげえ……。あんなバケモノを相手に、まったく隙を見せないなんて……蒼竜皇様ってのは、やっぱり伊達じゃないぜ!」
凱様も感心したように腕を組み、ニヤリと笑ってみせた。
しかし、『氷室の暴竜』も、古の時代からその霊峰に君臨してきた誇り高き魔物。
蒼さんの放った『虚空龍哮』によって頭上から叩き潰され、一時は地面に這いつくばったものの、その紅い目に凄まじい憎悪の光を再び宿しながら、ゆっくりとその巨体をもたげ始めた。
「グルルルルル……ッ……!」
暴竜の喉の奥から、底知れぬ禍々しい低音が響き渡る。
そして、暴竜の巨大な顎が、ガバッと大きく開かれた。
「……っ……! みんな、危ない……ッ!!!」
私の直感が、激しい警報を鳴らす。
暴竜の口内の奥深くで、周囲のすべての光や熱を完全に吸い込むかのような、禍々しくも眩い青白い極寒の光の球が、みるみるうちに異常なまでのサイズへと膨れ上がっていった。




