第25話 西からの来訪者と依頼
四神御会の晩餐会における大成功から数日後。
『風花亭』の中庭に佇む居酒屋『やどりぎ』は、連日大盛況の活気に包まれていた。
皇都中から噂を聞きつけたあやかしたちはもちろん、中には御会の翌日にもかかわらず「どうしてもあの土手焼きの味が忘れられない!」とリピートして訪れる要人たちの姿すらあった。
夜の帳が下り、木造店舗の軒先に揺れるあたたかな赤提灯の光が中庭の苔を柔らかく照らす中、カウンターでは常連の迅さんと翔琉さんが「やっぱりここのビールは格別だな!」とグラスを傾けている。
看板娘のミミちゃんはテキパキと笑顔でお客さんを案内し、足元では看板狐のコユキが「キュッ」と鳴いてみんなの癒やしになっていた。
私は厨房のカウンター越しにその平和な光景を見渡し、ふぅと心地よい達成感の息をつきながら、明日からの仕込みの段取りを頭の中で整理していた。
「いらっしゃいませ!」
そんな中、ミミちゃんの元気な声が店内に響き、藍色の暖簾をくぐって入ってきたのは、一人の見慣れた高貴な青年──蒼さんだった。その彼の後ろには、もう一人予想外の巨漢の人物が続いている。
「おお、ここが噂の『やどりぎ』か! いやぁ、外から漂ってくる香ばしい匂いだけで、すでに腹の虫が鳴き出しちまうぜ!」
豪快に笑いながら店内に足を踏み入れたのは、あの四神御会の晩餐会で私の料理を誰よりも美味しそうに平らげてくれた、西の地を治める白虎皇・凱様だった。
「あ……蒼さん! それに、凱様……っ!?」
私は驚きに目を丸くしながら慌ててカウンターから出て、二人の出迎えに向かった。
店内にいた迅さんや他の客たちも、「おいおい、あそこにいるのは西の白虎皇様じゃねえか……!?」とざわつき、一瞬で背筋をピンと伸ばす。
「やあ、千歳。夜分遅くにすまないね」
蒼さんはいつもの穏やかで優しい笑みを浮かべながら、私のほうへ歩み寄ってきた。その傍らで、凱様がフランクに片手を挙げる。
「よお、お嬢ちゃん! 晩餐会のときのあの絶品料理、マジで最高だったぜ! 実はな、どうしてもお前さんの顔を見たくて、蒼琳に無理言ってここまで連れてきてもらったんだ」
「ふふ、凱様、ありがとうございます。どうぞ、ここに座ってくださいね!」
私は二人をカウンターの席に促し、すぐに冷えた飲み物とおしぼりを用意した。蒼さんにはいつもの落ち着いたお茶を、そして凱様には「キンキンに冷えた大衆向け麦酒でいいですか?」と尋ねると、彼は目を輝かせて「おっ、分かってんじゃねえか! それをもらおう!」と満面の笑みを浮かべた。
やがて、ビールとお通しの炙り鶏皮ポン酢が運ばれると、凱様はジョッキを豪快に飲み干し、「くぅ〜っ! たまらん!」と最高の表情を浮かべた。
しばらくの間は、美味しい料理と酒の話題で和やかな雰囲気が流れていたけれど、やがて、蒼さんと凱様の表情が、ふっと真面目なものへと切り替わった。
「千歳、君に大事な話があるんだ」
私は手元のグラス拭きの手を止め、そっと二人のほうに視線を向けた。
「……何か、深刻なご相談ですか?」
私の問いかけに、蒼さんが小さくうなずき、少し申し訳なさそうな顔をしながら口を開いた。
「実はね、千歳。どうにもこの大男が、どうしても君に直接打ち明けたい西の地の深刻な悩みを抱えているらしくてね。少し聞いてやってくれないか?」
「西の地の、悩み……?」
私は首をかしげ、視線を凱様へと向けた。
先ほどまでの豪快な笑みはすっかり影を潜め、凱様は大きな両手をカウンターの上で組み、苦渋に満ちた表情でうつむいている。
「……あぁ。実はな、お嬢ちゃん……。今、俺が治めている西の領地で、とんでもねぇ異常事態が起きちまってんだ」
「異常事態、ですか?」
「あぁ。ここ最近、西の農地や広大な穀倉地帯が、突如として原因不明のすさまじい『冷害』に見舞われちまってな……。季節外れの凍てつく吹雪や冷気が容赦なく吹き荒れ、豊かな畑の作物はことごとく凍りつき、全滅状態だ。このままじゃ、近い内に食糧が完全に底をつきちまう。西の民たちが飢えに苦しむ姿をこれ以上見たくねぇんだ。お前さんのその不思議な力を貸してくれねぇか……! 西の民を救うために、どうか助けてほしい!」
皇帝である凱様が、自らの領地の危機を救うため、一介の居酒屋の店主である私に頭を下げて頼み込んでいる。その言葉の重みと切実さに、胸が締め付けられるような思いがした。
「食糧難……そんなことが起きていたなんて……」
「自然の気候変動なんかじゃねえ。どうやら原因は、領地の北側にそびえ立つ、万年雪に閉ざされた険しい『霊峰永煌山』の山頂付近に原因があるらしい……」
「その、冷害をもたらしている原因って、一体何なんですか?」
私が尋ねると、凱様は歯を食いしばりながら、低く重い声でその正体を語り始めた。
「あそこに棲み着いているのは、古くから眠る『氷室の暴竜』と呼ばれる尋常ならざる魔力を持った強力なあやかしだ。そいつが長い眠りから目覚め、その強大な冷気の魔力を意図的に暴走させているせいで、霊峰全体が生気を失い、凍てつく魔の山と化してやがる。あんなバケモノの巣窟に、兵士や討伐隊を送り込んだところで、一瞬で氷漬けにされて終わりだ……」
霊峰に棲む古のあやかし、『氷室の暴竜』がもたらした異常なまでの冷気と、それによる西の領地の壊滅的な食糧難。
凱様の切実な告白を聞いた瞬間、居酒屋『やどりぎ』の店内に漂っていた和やかな空気は、一瞬にして重苦しい沈黙へと変わった。
カウンターの端でビールジョッキを握っていた迅さんや翔琉さんも、ただならぬ事態を察してグラスをそっと置き、息を潜めてそのやり取りを見守っている。
「霊峰の山頂に巣食う『氷室の暴竜』……そんな強大な魔物が、突如として目を覚ましたというのか……」
蒼さんが眉間に深い皺を寄せ、難しい表情で腕を組んだ。
凱様は、両手をカウンターの木目に叩きつけ、悔しげに奥歯を噛み締めている。その双眸には、自分の領民たちを守りきれない無念さと、どうしようもない焦燥感が渦巻いていた。
「あぁ……。俺が力づくでそいつをぶっ飛ばせれば一番手っ取り早いんだが、あの暴竜の放つ強力な冷気は、近づく者の生命力を根こそぎ奪い取る。まともに正面から突撃したところで、こっちが氷の彫像になっちまうのさ。だが、このまま指をくわえて見ているわけにはいかねぇ。西の民たちが、今日の飢えをどう凌ぐかすら悩んでいるっていうのに、皇都の美味い酒と料理を呑気に味わう資格なんて俺にはねぇよ……っ!」
凱様のその言葉には、一国の皇帝としての誇りと、誰よりも民を愛する深い慈悲が満ちていた。
私はその姿をじっと見つめながら、胸の奥が締め付けられるような思いに駆られていた。
あの日、四神御会の晩餐会で私の料理を誰よりも喜んで食べてくれ、私にも気さくに話しかけてくれた豪快な凱様。その彼が、今まさに目の前で、自分の無力さと領民たちの飢餓に苦しんでいる。
見過ごせるわけがなかった。
私にできることがあるのなら、力になりたい。料理人として、そしてこの世界に生きる者の一人として。
「凱様……」
私がそっと声をかけると、凱様はハッとしたように顔を上げ、私のほうをまっすぐに見据えた。
「私が西の地に赴き、食事を提供すればいいんですか?」
「ああ。金は俺が払うから、できるだけ多くの民に腹一杯食べさせてやってくれ」
凱様がポケットから取り出したのは、大量の霊貨が詰まった革袋だった。彼はそれをドンとカウンターの上に置く。
その差し出された革袋を見つめながら、私はゆっくりと首を横に振った。
「お金なんて、受け取れませんよ、凱様」
「なっ……! お前さん、まさか……」
「凱様は私の大切なお客様ですからね。私でお力になれるのであれば、できる限りのことは、すべてやらせてください」
「本当か……!? 」
「はい。美味しい料理で人を笑顔にしたい、救いたいっていう気持ちは、あの晩餐会の時から少しも変わっていません。西の民の皆さんがお腹を空かせているなら、私が美味しいご飯をいっぱいいっぱい作って届けます」
私のその言葉に、凱様はしばらくの間、言葉を失ったように目を見開いていたが、やがて大粒の涙をぽろりとこぼし、両手で自分の顔を乱暴に覆った。
「お嬢ちゃんは、なんて心優しき人間なんだ……! この恩は、西の白虎の山にかけて、絶対に忘れねぇ……っ!」
「ふふ、お礼は美味しいと言って食べてくれるだけで十分ですよ。さてと、それじゃあ、具体的な作戦を立てましょうか」
私がそう言ってメモ帳とペンを手に取ろうとした瞬間、すぐ隣で静かにグラスを傾けていた蒼さんが、ふっと微笑みながら立ち上がった。
「千歳。その暴竜が冷気を吐き出して冷害をもたらしているなら、その原因を根本から何とかしなければ、何度食糧を提供しても同じことの繰り返しになってしまう。討伐するために、私もともに赴こう」
「えっ……? 蒼さんもですか!?」
私は思わず声を裏返らせた。東の地を統べる最高権力者である蒼さんが、自ら危険な魔物の棲む霊峰に赴くというのだ。
「お嬢ちゃん。竜皇であるこの男が背中を押してくれりゃあ、これほど心強い仲間は他にいねぇぜ!」
凱様が豪快に笑いながら、蒼さんの肩をパーンと力強く叩く。
蒼さんは苦笑いを浮かべながらも、その涼しげな瞳に揺るぎない決意の光を宿していた。
「西の領地が危機に瀕しているというのに、我が東の地が知らんぷりをするわけにはいかない。それに、その氷室の暴竜の暴走を放置すれば、やがては東の農地や気候にも悪影響を及ぼしかねないからね」
「蒼さん……ありがとうございます……!」
東の蒼竜皇と西の白虎皇という、かくりよの頂点に立つ二人の皇帝が、私と一緒に西の霊峰へ向かってくれる。こんなに心強い布陣はない。
けれど、ふと気づいて、私は首をかしげた。
「でも、蒼さん、城を長期間空けてしまって、統治のほうは大丈夫なんですか……?」
私のその心配そうな問いかけに、蒼さんは「その点については抜かりないさ」と笑みを浮かべた。
「城の留守はね、信頼できる人間にすべて任せるから心配いらない。そう、この間まで色々あったけれど、今は心を入れ替えて誰よりも真面目に働いている、あの側近の伊織にね」
「伊織さんなら安心ですね」
「ああ。今の彼は、私の信頼に命懸けで応えようと燃えているからね。私が留守の間、城の政務は完璧に回してくれるはずさ。それに、何かあればすぐに連絡が入る仕組みを整えてある」
「わかりました……! それじゃあ、西の領地を救うための『霊峰遠征チーム』、結成ですね!」
私のその力強い宣言に、凱様は「おう!」と力強く拳を突き上げ、蒼さんも静かにうなずいてみせた。
穏やかな日常から一転、私は西の領地を覆う凍てつく影を払うため、古の暴竜が眠る険しい『霊峰』へと向かう、新たな冒険の旅路へと踏み出すことになったのだった。




