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第26話 雲上の蒼穹を駆けて、凍てつく西の都『白景』へ


 西の霊峰に巣食う古のあやかし、『氷室の暴竜』がもたらした異常な冷害と食糧難。その脅威から西の領地と飢えに苦しむ民たちを救い出すため、私は、ひんやりとした澄み切った秋晴れの朝、出発のために『やどりぎ』の前で準備していた。


 大きく深呼吸をし、これから始まる長い旅路に向け、しっかりと気合を入れ直す。


「それじゃあ、ミミちゃん、コユキ。留守の間は頼んだからね」


 私がしゃがみ込み、不安そうな顔をしている看板娘のミミちゃんと、私の足元にすり寄る看板狐のコユキを交互に見つめながら、その頭を優しく撫でた。


 今回の遠征は、西の霊峰という極寒の魔境へと足を踏み入れる過酷な旅になる。当然ながら、幼いミミちゃんや、小さな体のコユキを危険な戦いの場に連れていくわけにはいかない。


 そういうわけで、私が不在の間、ミミちゃんとコユキの身柄をどうするかという問題についてだけど──。


「心配いらないわよ、千歳。この子たちのことは、この私が責任を持ってしっかりと預かってあげるから」


 そう言って優しく微笑みながら歩み寄ってきたのは、艶やかな着物を纏い、優雅な九尾の尾を揺らす『宵月』の女将・玉藻さんだった。


「玉藻お姉さん、お騒がせしちゃってすみません。よろしくお願いします」


 ミミちゃんはしっかりとした声音でそう告げ、玉藻さんの着物の裾をキュッと掴んだ。コユキも「キュッ……」と切なげに鳴きながら、私の足元から離れて玉藻さんの足元へとちょこちょこと歩み寄る。


「ふふ、水くさいこと言わないの。それに、可愛いミミとモフモフのコユキがうちの店にしばらく居候してくれるなんて、むしろ私にとっても大歓迎のご褒美だわ。あなたたちは安心して、西の暴竜をやっつけていらっしゃい。美味しいお土産話を期待しているからね」


 玉藻さんが、心強く頼もしい言葉を口にしてくれる。大好きな玉藻さんの店なら、ミミちゃんもコユキも寂しくないはずだ。美味しいご飯もたくさん食べさせてもらえるだろう。


「ありがとうございます、玉藻さん。それじゃあ、行ってきます!」



   §



 風花亭の敷地から少し離れた開けた空き地。


 そこに待機していたのは、西の白虎皇である凱様が手配してくれた、『妖空艇』だった。


 全長三十メートルはあろうかというその艇は、巨大な鯨のような優美なシルエットを持ち、船体の両脇には霊力機関で駆動する巨大なプロペラが取り付けられている。飛行中は、甲板の上に透明な霊気シールドがドーム状に展開され、これならどれほど高い上空を飛ぼうとも、凍てつくような寒さに凍える心配はない。


「おう、お嬢ちゃん!  準備はいいか?  ぐずぐずしてっと、西の畑が完全に氷漬けになっちまうからな。さっそく乗り込みな!」


 甲板のタラップに立ち、豪快に手招きをする凱様。


 その隣では、東の蒼竜皇である蒼さんが、絢爛な装いを風になびかせながら微笑んで私を手招きしてくれていた。


「はい、準備はバッチリです!  皆さん、お待たせしました!」


 私は大きく手を振りながら、タラップを駆け上がり、その豪華な妖空艇の甲板へと足を踏み入れた。



   §



 ずっしりと重い霊力機関の起動音が船体の底から腹の底へと響き渡り、妖空艇はふわりと重力を振り切るようにして、大空へとその巨体を浮かび上がらせた。


 ゴォーーッ……という心地よい風切音を立てながら、艇はみるみるうちに皇都の重厚な城壁を眼下に小さくし、どこまでも広がる真っ青な大空の彼方へとぐんぐん上昇していく。


「わぁ……っ……!」


 私は甲板の横にあるガラス窓にピタリと顔を寄せ、思わず感嘆の声を漏らした。


 目の前に広がっていたのは、これまでの人生で一度も見たことのないような、息を呑むほどの絶景だった。


 足元を覆うのは、まるで幾重にも折り重なった真綿の布団のような、どこまでも続く真っ白な雲海。その遥か上空を、私たちを乗せた妖空艇がまるで一羽の鳥のように優雅に力強く滑空している。


 頭上には遮るもののない太陽が燦々と輝き、その光が雲の海に反射して、世界全体がまるでダイヤモンドの粉を散りばめたようにキラキラとまばゆく光り輝いていた。


「どうだ、お嬢ちゃん。地上から見る景色とは、また一味も二味も違うだろう?」


 背後から、凱様の豪快で温かい声が飛んできた。


 振り返ると、彼は大柄な腕を組んで満足そうに笑い、私と同じように窓の外の雲海を見下ろしている。


 そのすぐ傍らでは、蒼さんが穏やかに微笑んでいた。


「本当に、言葉が出ないくらい、美しい景色ですね……。こんな高い空を飛んでいるなんて……。私、今すごく、自分がファンタジーの物語のなかにいるんだなって実感しちゃいました」


 私が夢見心地でそう呟くと、蒼さんはふっと目を細めた。


「気に入ってくれて何よりだよ、千歳。地上では味わえない、空の旅ならではの特等席さ。ほら、この温かいお茶でも飲んで、リラックスするといい」


「ありがとうございます、蒼さん!」


 蒼さんから受け取ったカップから漂うのは、ほんのりと甘く爽やかな香りのする特製のハーブティーだった。喉を通る温かさが、空の上の少し冷たい空気に触れて緊張していた私の身体を、じわじわと内側から優しく解きほぐしていく。


「それにしても、この妖空艇のスピードは本当に凄まじいですね。皇都を出発してから、まだほんの小一時間ほどしか経っていないのに……」


「ああ。霊力機関の出力は最高に達しているからな。この調子で進めば、今日のうちには西の地の玄関口である街『白景』の空域に到着するはずだ」


 凱様が腕を組みながら、前方の空をじっと見据えてうなずいた。


 西の領地。そこは、あの『氷室の暴竜』がもたらした冷気によって、今まさに飢えと寒さに苦しんでいる人たちが待っている場所だ。


 景色に感動して浮かれている場合ではない。私には、現地に到着したらすぐにやるべき大切な仕事が待っている。


 そう考えながら、料理人としての熱い闘志をふつふつと湧き上がらせた。



   §



 果たして、凱様の言葉通り、陽が西の空へと傾きかけ、空全体が深い藍色に染まり始める頃、前方に、巨大な街の姿がゆっくりと浮かび上がってきた。


「見えてきたぞ。あれが、我が西の地の街……『白景』だ」


 凱様が少し険しい表情を浮かべながら、窓ガラスの縁に手を置き、眼下に広がる街並みを指し示した。


 白景。


 本来ならば、西の地で最も活気に満ちあふれ、豊かな穀物や農作物が盛んに取引されるはずの美しい商都であるはずだった。


 けれど、上空から見下ろすその街の様子は、どこか異様で、そして痛々しいほどに寂れていた。


 街全体をすっぽりと包み込むような、底冷えするような不気味な青白い冷気。


 建物の屋根や石畳の路地には、季節外れの凍てつく霜や薄っすらとした雪がこびりついており、歩いている住民たちの姿も肩を落とし、寒さと飢えに耐えながら重い足取りで歩いているのが上空からでもハッキリと分かった。


「ひどい……。街全体が、こんなにも冷気で凍りついているなんて……」


 私の胸がキュッと締め付けられた。


 実際にその悲惨な現状を目の当たりにすると、胸の奥から込み上げてくるのはただ一つ──「一刻も早く、この人たちにお腹いっぱい美味しいご飯を食べさせて、心から温まってほしい」という想いだけだった。


 そんな風に私が想いを固める中、妖空艇は、街の中心部にある広めの広場へと、慎重に、かつ滑らかに降下していった。


 シューッ……と霊力機関の冷却音が響き、甲板のタラップがガチャンと音を立てて地上へと下ろされる。


 私と蒼さん、そして凱様の一行がタラップを降りて白景の石畳に足を着いた瞬間、その場の空気がいかに冷え切っているかを、肌身で痛いほど思い知らされた。


 はぁっと息を吐くと、白い湯気が大気中を漂う。


「うぅ、寒い……!  空の上より、地上のほうが底冷えがすごいですね……!」


 私は思わず自分の両腕をさすりながら、ブルッと身震いした。


 その私の様子を見て、凱様は申し訳なさそうに眉を下げた。


「すまねぇな、お嬢ちゃん。霊峰の暴竜が暴れているせいで、この街の周辺までその冷気の余波が流れ込んできちまっていて、暖房の霊具もすぐに凍りついちまうんだ。民たちの暮らしも、今じゃ限界ギリギリのところで踏み留まっている状態さ……」


「いえ、大丈夫です!  むしろ、そんな時だからこそ、私がここに来た意味があるんですから!」


 私はしっかりと顔を上げ、きゅっと拳を握りしめた。


 そして、今やるべきことを頭の中で整理し、すぐに行動に移す。


「それじゃあ、さっそくこの街の広場で、『やどりぎ』を開店させましょう!」


 私のその宣言に、凱様と蒼さんは力強くうなずいた。


 私たちは周囲に人が集まり始めているのを確認すると、広場の中央の開けたスペースへと歩み出た。


 私は深く息を吸い込み、脳裏にあの使い慣れた居酒屋の姿を鮮明に思い浮かべる。


「店舗顕現!」


 はっきりと口に出して命じた瞬間、その場の空気がふっと微睡んだ。


 凍てつくような冷たい風の中に、一瞬にして香ばしい醤油の匂いと、出汁の優しい香りが混ざり合う。空間がパチパチとまるで炭火が爆ぜるような音を立てながら激しく歪み、青白い霜に覆われた白景の広場の真ん中に、ぽっかりと、古風で温かな木造建築の居酒屋『やどりぎ』が実体を持って堂々と姿を現した。


 店の軒先には、あたたかなオレンジ色の光を放つ赤提灯が、この凍てつく寒さを拒絶するかのようにふわりと揺れ始めている。藍色の暖簾が、西の冷たい風にパタパタと小気味よくはためいた。


「おぉ……っ!  こ、これは一体……!?」


 そのあまりにも突然の出来事に、周囲を通りかかっていた白景の住民たちが、驚きの声を上げながら次々と足を止めた。


 寒さと飢えにうつむきながら歩いていた人々が、一斉にその方向へと振り返る。


 店から漂ってきたのは、これまでの冷え切った日常には存在しなかった、あまりにも芳醇で、あまりにも食欲を刺激する最高のご飯の匂い。


 一人の老いた住民の男性が、おそるおそる店へと近づき、軒先の赤提灯と藍色の暖簾をじっと見つめた。


「こ、これは……?  いったい、どこからこんな美味そうな匂いが……?」


 その男性の呟きを合図にしたかのように、広場に集まっていた住民たちの間に、ざわめきが広がった。


 私は店の入口の引き戸をガラリと開き、温かな店内の明かりを外へとこぼしながら、皆に向けて明るく元気な声を張り上げた。


「皆様、こんにちは!  寒かったでしょう!  どうぞ、温かいお料理と美味しいお酒をご用意しておりますので、中へ入ってくださいね!」


 その私の声を聞いた瞬間──。


「え……?  料理……?  この店で、飯が食えるのか……!?」


「おい、嘘だろ……?  この冷え切った街に、こんな温かそうな店がいつの間に……っ!」


 飢えと寒さに耐えかねていた住民たちの瞳に、一気に希望の光が灯った。


 彼らは互いに顔を見合わせ、そして次の瞬間、まるで堰を切ったかのように、一斉に『やどりぎ』の暖められた入口へと殺到し始めたのだ。


「お、おい! 押すなよ、俺が先だ!」


「席はあるのか!?  早く、何か温かいものをくれ……子供が家で寒がっているんだ!」


 あっという間に、店内のカウンター席やテーブル席は、飢えた住民たちによって満席になってしまった。


「わぁ……!  すごい勢い……!」


 あまりの盛況ぶりに、私は一瞬だけ面食らってしまったけれど、すぐに料理人としての血が熱くたぎり始めた。


 そうだ、この人たちはみんな、お腹を空かせているんだ。温かいものを求めているんだ!


「皆さん、落ち着いてくださいね!  お席はまだまだ作りますから、安心してください!」


 これだけの大人数が押し寄せては、店の中だけでは収まりきらない。


 私はすかさず、店の外の広場スペースに向けてシステムを拡張し、手際よく頑丈な木製のテーブルと、座り心地の良い椅子を次々と並べて外の客席スペースを即席で作り上げた。


 さらに、夜の冷え込む屋外でも快適に過ごせるよう、神恵堂のシステムから『特殊な蓄熱の霊力ヒーター付きベンチ』をいくつか交換し、外のテーブルの周囲に配置する。


「すごーい……!  外なのに、なんだかほんのりポカポカして温かいぞ、この椅子……!」


 外のテーブル席に腰掛けた住民たちが、驚きと感動の声を上げる。


 店内に入りきれず、外に設えられた特設のテーブル席やテラス席にも、次々と住民たちが笑顔で腰を下ろしていった。


 そうして、あっという間に、『やどりぎ』の店内と店外の特設スペースは、空席が一つもないほどの超満員となり、かつてないほどの熱気と大賑わいに包まれたのだった。


「おい、お嬢ちゃん……!  外までこんなに席がいっぱいになっちまったぞ!  一体、どうやってこの大人数分の料理を一人で回す気だ……!?」


 厨房のカウンターの端にやってきた凱様が、冷や汗を拭いつつ心配そうに尋ねてきた。


 私はそんな彼の不安を吹き飛ばすように、自信満々の笑顔を浮かべ、きゅっとエプロンの紐を結び直した。


「心配いりませんよ、凱様!  私は『やどりぎ』の店主で、そしてプロの料理人ですから!」


 私は厨房のコンロの火をつけ、ずらりと並んだフライパンと鍋に向き合い、西の領地の民たちを救うための、最高のおもてなしの宴の準備を始めた。



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