第22話 鉄の街の産声と、名もなき弦の記憶
『神耳の落ちこぼれ』
世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
「あー、もうっ! 昨日のリリアの博物館巡り、長すぎて本当に退屈だったぜ!」 719号室のふかふかとした絨毯の上に大の字で寝転がりながら、カヤが天井に向かって盛大なため息を吐き出した。 「古代魔法の遺物だか何だか知らないけどさ、ガラスケースの中のひび割れた石ころを三時間も無言で眺めるなんて、あたしに言わせりゃ正気の沙汰じゃねえって」 「石ころとは失礼ね。あれは初期の術式構築における歴史的……」 机の上で分厚い専門書を開いていたリリアが、不機嫌そうに銀髪を揺らして眉をひそめる。しかし、カヤは全く聞く耳を持たずに寝返りを打った。
「それに、一昨日にメイが案内してくれた地下の隠れ市場! あそこも暗くてカビ臭くて、売ってるの全部ただの石ばっかりだったじゃないか!」 「……ただの石じゃない。良い石、いっぱいあった」 部屋の隅で、昨日市場の路地裏で見つけてきたという真っ黒な黒曜石を木綿の布で丁寧に磨いていたメイが、静かに、けれど絶対に譲らないという強い声で反論する。
セレンは窓辺の定位置に腰掛け、膝を抱えながら、三人の騒がしくも心地よいやり取りをくすくすと笑いながら聴いていた。 学校中が浮き足立つ、待ちに待った長期休暇。 しかし、彼女たちがこうして連日、互いのルーツや好む場所を順番に案内し合っているのには、単なる「遊び」ではない、少しばかり切実な理由があった。
――発端は数日前。休暇に入る直前の、最後の実技授業の日に遡る。
『君たちのように、感覚だけで魔法を弄る者や、力任せにしか出力できない者は、今年の冬に痛い目を見ることになる』 冷徹な眼鏡の奥から放たれた教官の言葉が、今もセレンの耳の奥に冷たくこびりついている。 それは単なる出来損ないへの嫌味ではなかった。授業の後、情報通のカヤが上級生から仕入れてきた噂によれば、一年生の総決算となる「冬季合同演習」は、今年は例年になく過酷なものになるらしいのだ。
『成績下位の班は、魔物の間引きが追いついていない危険な山域に強制配置されるらしいぜ。そこで最低限の連携もできずにリタイアすれば、待っているのは容赦のない退学処分だ』 カヤの持ってきた緊迫した情報に、その夜の719号室は凍りついたような沈黙に包まれた。 セレンは相変わらず実技の術式構築が全くできず、カヤは出力調整が壊滅的で演習場を焦がしてばかり。メイは独自のマイペースを崩さず、頼みの綱のリリアでさえ、セレンの『感覚』という予測不能な変数にペースを乱され、赤点ギリギリの評価を受けていた。 このままバラバラの状態で冬を迎えれば、間違いなく致命的な結果になる。
『……なら、やるべきことは一つよ』 重苦しい沈黙を破ったのは、プライドの高いリリアだった。 『私たちの魔法の属性も、アプローチも、何もかもが違いすぎるのが問題なのよ。この四人で演習を生き残り、あの教官の鼻を明かすためには――お互いの魔法の特性やルーツをもっと深く知って、完璧にパズルを噛み合わせる必要があるわ』
そうして始まったのが、この『相互理解のためのお出かけ特訓』だった。 リリアの理論の根源たる博物館。メイの静かな土台である地下市場。それぞれの世界に触れることで、セレンも「みんながどうやって世界を見つめ、魔法を感じているのか」が、ほんの少しずつだが分かり始めていた。
「まあ、文句を言いながらも、カヤも博物館の魔力駆動炉の大型模型には、だらしなく口を開けて食いついていたじゃない」 リリアが本をパタンと閉じながら、意地悪くからかうように言う。 「うぐっ……あ、あれは、その、歯車の噛み合わせがちょっとばかりロマン溢れてただけで……!」 図星を突かれたカヤが、顔を真っ赤にしてベッドからガバッと跳ね起きた。 「とにかく! リリアの小難しい歴史も、メイの暗い石巡りも終わった! 明日はあたしの番だ!」 カヤは拳を固め、ドンッと自分の胸を叩いた。 「明日、あんたたちを都市の外れにある『ジャンク市』に連れてってやる! 鉄と油と、剥き出しの熱がする、最高の場所だぜ!」 「……全く気が乗らないのだけれど」 「絶対来いよ!」
翌朝、四人が訪れた都市の北外れは、魔法学校のある洗練された中央区とは完全に別世界だった。 見上げるような灰色の空には、いくつもの巨大な煙突から黒い煙が吐き出され、空気はどこか煤けていて、じっとりとした油の匂いが鼻の奥に張り付いてくる。石畳の隙間からは雑草が力強く顔を出し、行き交う人々は一様に、汚れの目立たない分厚い革の作業着を身にまとっていた。
「うわあ……すごい活気……」 セレンは圧倒されながら周囲を見回した。 道の両側に延々と広がる露店には、おびただしい数の「ガラクタ」が並べられている。錆びついた巨大な歯車、歪んだ鉄パイプ、用途の分からないバネ、魔力が枯渇してひび割れた魔光石。 中央区の綺麗に整えられた石畳からは「疲れた声」しか聴こえなかったが、この場所の地面や鉄からは、どこか荒々しく、泥臭い活気のようなものが地鳴りとなって響いてくる。
「へへん、圧倒されたか? ここにあるのは、現代の『数式魔法』からはみ出た、人間の機械の残骸や、昔の職人が作った型落ちの魔道具たちさ。数式通りに動くことだけがすべてじゃない、泥臭い工夫が詰まってるんだぜ!」 カヤは水を得た魚のように目を輝かせ、露店のスクラップを熱っぽく撫で回している。 「数式からはみ出た、ガラクタ……」 リリアは汚れないようにスカートの裾を気にしながらも、その目は珍しい形状の金属パーツを興味深げに追っていた。
カヤに連れられてジャンク市の奥へ進むうち、セレンは道端に立て掛けられていた人間の大きな金属の筒のような部品に、ふと目を奪われた。 そっと指先を触れ、目を閉じて五感を澄ませてみる。 (……すごい。魔力は一滴もないのに、この中に、すごく力強い『記憶』が残ってる) 森の植物が持つ「柔らかな呼吸」や、魔法具の「魔力の脈動」とは全く違う響きだった。 セレンの手にビリビリと伝わってきたのは、ズンッ、ズンッという腹の底に響くような重低音と、規則正しく爆発を繰り返すような、荒々しくも幾何学的な「エンジンの唸り声」の記憶。魔法という便利な力に頼らず、純粋な物理法則と金属の摩擦だけで世界を駆け抜けようとした、人間のすさまじい執念と熱量が、冷たい鉄の奥底に確かに焼き付いていた。
「……なんだか、すごくかっこいいリズムが聴こえる。重くて、力強い音……」 セレンが感心して呟いていると、その部品の裏側から、ガチャン、と重い金属音が響いた。 「おっ、やっぱりここについてたか。よし、このクランクケースはまだ使えそうだな」 油にまみれた手で人間の工具であるスパナを握りしめ、頭に太いゴーグルを押し上げた少年が、ジャンクの山からひょっこりと顔を出した。
「えっ……? カ、カイ!?」 「ん? ……おおっ、セレンじゃないか! あっちで賑やかにやってるのは、もしかしてセレンのルームメイトたちか?」 なんとそこにいたのは、故郷の村の幼馴染であるカイだった。首には相変わらず人間が作った古いカメラを下げ、両手だけでなく頬にまで真っ黒な油汚れをつけたまま、少年らしい無邪気な笑顔を浮かべている。
「カイ、どうしてここに? ずっと図書館にこもって、古い歴史の本を読んでるんじゃなかったの?」 「ああ。でも、本で『人間との共生』の歴史を学ぶだけじゃ足りないだろ? 人間が魔力なしでどうやって世界を開拓したのか、その『機械の理屈』をこの手でバラして、直接学びたくてさ」 カイは手に持った鈍く光る巨大な金属部品をポンポンと叩いた。 「これ、昔の人間たちが乗っていた『二輪車』っていう乗り物の、内燃機関の部品らしいんだ。魔法陣もないのに、この中で燃料を爆発させて、その圧力で車輪を回して風みたいに走ってたんだぜ。信じられるか?」
そのカイの言葉に、誰よりも早く反応したのはカヤだった。ガタッ、と身を乗り出し、目をギラギラと輝かせる。 「おい先輩! それって、あたしの火の魔法で爆発の威力を再現できたら、今の時代でもこの鉄の塊を動かせるってことか!?」 「おっ、鋭いな! 俺もそう思って、魔力と物理機構の連結テストをしてるんだよ。燃料の代わりに、炎属性の魔力素子をこのシリンダーに送り込んで……」 あっという間に、カヤとカイはジャンクの山を前にして「内燃機関と炎魔力の融合」というマニアック極まりない話題で意気投合し、地面に座り込んで熱い議論を交わし始めた。
「はぁ……。炎の馬鹿力女が、もう一人増えたみたいね」 呆れ果てたリリアがやれやれと肩をすくめ、メイはカイが掘り出した鉄くずの中から「……これ、いい鉄鉱石の匂い。もらう」と、綺麗なボルトを拾い集めてご満悦の様子だ。 セレンは、手や顔を真っ黒にしながら、図面を地面に描いて笑い合うカイとカヤの姿を、とても温かい気持ちで見つめていた。 (そっか。カイは、人間の道具を「恐ろしいもの」として遠ざけるんじゃなくて、魔法と同じように「理解できるもの」として、真っ直ぐに向き合ってるんだね)
セレンは、議論に熱中するカヤとカイを見つめながら、その黒い鉄の機関にそっと指先を触れてみた。 ひんやりとした無機質な感触。 けれど、耳を澄ますと――。 (――ドン。ドドン。ドン――) 鉄の奥深くから、人間の意志に応えようとする、低く力強い鼓動のような産鳴りが、確かにセレンの耳へと届いた。 「生きてる……。機械も、ちゃんと声を上げようとしてるんだ……」 セレンが小さく呟いた、その時だった。
――キィィ、と。
すぐ近くの、別の古い露店の片隅から、爪で硝子を引っ掻くような、ひどく悲しい「悲鳴」がセレンの耳に飛び込んできた。 「あ……」 セレンは弾かれたように思考から離れ、引き寄せられるようにその露店へと歩き出した。 「セレン? どこへ行くの?」 不審に思ったリリアが、その後に続く。
セレンが辿り着いたのは、ひび割れた木箱や錆びた鉄くずが雑多に積み上げられた、一段と薄暗い棚の前だった。そのガラクタの山の奥底で、それは埃を被って転がっていた。 細長く、優美な曲線を描く、色褪せた木製の胴体。 しかし、その木肌は大きくひび割れ、張られた四本の弦のうち二本は無残に切れ、残る弦も赤黒く錆びついている。人間の国から流れ着いたという、古びた弦楽器――『バイオリン』だった。
「……これ、さっきから、ずっと泣いてる」 セレンが息を呑み、そっとその楽器を両手で抱え上げた。 「ただの壊れた楽器じゃない。音を出す道具なのに、もう誰も鳴らしてくれないから……苦しいって、叫んでる」 「楽器の、叫び……?」 リリアが怪訝そうな顔でセレンの手元を覗き込む。
セレンは壊れたバイオリンを抱えたまま、錆びついた一本の弦にそっと指をかけ、爪で優しく弾いた。
――ビィィ、ン……。
不揃いな摩擦が放ったのは、決して美しいとは言えない、掠れた不協和音だった。 しかし、その歪な音が空気の振動となって周囲に広がった瞬間、リリアの身体が、まるで強烈な電撃に打たれたかのように硬直した。
「っ……!」 リリアは信じられないものを見る目で、その歪な音の残響を見つめ、それから自分の胸元を手で押さえた。 数式。構築。論理。 完璧な計算の元にしか存在し得ないはずの魔法の世界に、今、その掠れた音色が、全く未知の「波形」となってリリアの精神の奥底を激しく揺さぶったのだ。脳裏に、凍てつく冬の夜空に、数式では決して縛ることのできない星々が不規則に瞬くような、圧倒的な情景が強制的に流れ込んでくる。
「な、に……今の、音……。術式も、魔力回路も、何も存在しないはずなのに……どうして、頭の中に、こんな……」 リリアの呼吸が激しく乱れ、その綺麗な瞳が激しく動揺に揺れる。 セレンは、そんなリリアの顔を真っ直ぐに見つめ、優しく微笑んだ。
「リリア。この子ね、傷ついているけれど……まだ、死んでないよ。もう一度、誰かに正しく名前を呼ばれて、美しく鳴りたがってる」 セレンは抱えていたバイオリンを、そっとリリアの前へと差し出した。 「数式の言葉じゃなくて、この子の声をちゃんと聴いてくれる人を、ずっと待ってたんだと思う。……リリア、君のことだよ」
「私が……このガラクタを……?」 リリアの白い指先が、拒絶するように、しかし抗えない引力に引かれるように、ゆっくりと震えながらバイオリンのひび割れた木肌へと伸びていく。
過酷な冬季合同演習まで、残された時間はあとわずか。 完璧な現代魔法のエリートであるリリアの手に、数式を持たない「名もなき弦」が握られたその瞬間、四人の少女たちの運命が、そして誰も見たことのない新しい魔法の扉が、静かに、しかし決定的に動き出そうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




