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『距離を測るのをやめた日、騎士団長の恋人になりました』 ― 距離と契約の境界線 ―(彼氏×彼氏の事情)  作者: つるぎまる


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第8話「再会」

ここから“自覚の手前”に入ります。

まだ言葉にはならないものが、確かに存在し始めています。


 扉の前で、足が止まった。

 理由は、分かっている。


 分かっているからこそ——

 動けない。


 進めない。


(……問題ありません)


 思考を固定する。

 これは業務だ。


 騎士団再編。

 補助職の再配置。

 その一環。


 個人的感情を挟む余地はない。

 そう、判断する。


 それでも。

 手が、動かない。


 扉に触れる直前で、止まる。


「……」


 呼吸を整える。


 乱れはない。


 問題はない。

 そう、繰り返す。


 そして。


 一拍。


 ノックする。


 短く。

 必要最低限に。


「入れ」


 中から声が返る。

 変わらない声。

 記憶のままの声。


 それだけで。

 わずかに、思考が揺れる。


 扉を開ける。

 視線を上げる。


 そして——


「……久しぶりだな」


 先に、声がした。


 柔らかく。

 何も変わらないように。


 責められる気配が、一切ない。

 それが、一番異常だった。


 想定していた反応と、違いすぎる。


 そこにいたのは。


 ルーカス・フェルナー。


 記憶と、ほとんど同じ顔。


 少しだけ。

 落ち着いた表情。


 それだけだ。


「……ルーカス」


 名前が、出た。

 自分の意思で。


 初めて。

 呼吸が、僅かに浅くなる。


「呼び方、変わってないな」


 軽く笑う。

 責める気配はない。

 問い詰める様子もない。


 ただ。

 昔と同じ距離で。


「……業務です」


 言葉を選ぶ。

 それしかできない。


「そっか」


 あっさりと返される。

 踏み込まない。


 それ以上、聞かない。


 それが——

 余計に、逃げ場をなくす。


「仕事で関わるって聞いた時、驚いた」


 続けられる言葉。


 穏やかに。

 自然に。


「……そうですか」


 短く返す。


 視線は、逸らしたまま。

 合わせられない。


「でも、よかった」


 その一言で。

 思考が止まる。


「——」


 理由を、問う前に。


「こうして話せるなら、十分だ」


 続けられる。

 何でもないことのように。


 当たり前のように。


「……」


 言葉が、出ない。

 出せない。


 その言葉は。

 想定していなかった。


「……あの時は」


 言いかけて。

 止まる。


 続けるべきではない。

 そう判断する。


 だが。


「助けてくれて、ありがとう」


 迷いなく。


 先に、言われた。


「——」


 完全に、思考が止まる。

 理解が、追いつかない。


 何を、言われたのか。

 一瞬、分からなかった。


「お前が止めてくれなかったら、俺は多分——」


「違います」


 即答だった。


 反射的に。


 強く。


「……違います」


 繰り返す。

 自分に言い聞かせるように。


「そうか?」


 ルーカスは、少しだけ首を傾げた。


 否定しない。

 押し付けない。


 確認するように。


「……業務です」


 それしか言えない。


 それ以外は、許されない。


「そっか」


 また、同じ返事。


 それで終わらせる。


 それ以上、踏み込まない。


 それが——

 一番、残る。


「無理に話さなくていい」


 昔と同じ声音で。


 優しく。

 逃げ道を残すように。


(……違う)


 それは、違う。


 逃げ道ではない。


 何も変わっていないことを、突きつけられているだけだ。


「……エリアス」


 名を呼ばれる。

 昔と同じように。

 自然に。


「また、会えるだろ」


 軽く言われる。

 当たり前のように。


 未来を含めて。


「——」


 答えられない。


 答える資格がない。


 そう、理解している。


 それでも。

 否定できない。


 業務として、

 関わることは、決まっているから。


「……失礼します」


 それ以上は無理だった。


 言葉を切る。


 視線を上げないまま。

 その場を離れる。


 背を向ける。

 歩く。


 止まらずに。

 振り返らずに。


 ただ——

 距離を取る。


 それしか、できない。


 廊下に出た瞬間。

 空気が変わる。


 閉じていたものが。

 一気に、壊れる。


「……っ」


 呼吸が乱れる。


 抑えきれない。


 思考が、揺れる。


 整っていたはずのものが。

 崩れる。


(……違う)


 違う。


 あれは違う。


 あれは——


「……エリアス」


 背後から、声。


 止まる。

 振り向かない。


 分かっている。


 誰か。

 ではない。


「……問題ありません」


 先に言う。

 振り向かずに。


 それしかできない。


「そうか」


 短い返事。


 すぐ近くで。


 気配が寄る。

 距離が詰まる。


 そして。


 手首を、掴まれる。


「——っ」


 息が止まる。


 同時に。

 思考が、整う。


 崩れていたものが。

 戻る。


(……また、これですか)


 理解してしまう。

 したくないのに。


「顔に出ている」


 低く言われる。


「……問題ありません」


 繰り返す。

 それしかできない。


「嘘だな」


 即断。


 否定できない。


 それ以上は、言われない。


 ただ——


 手は、離れない。


 距離も。

 変わらない。


 近いまま。

 触れたまま。


 固定される。


(……なぜ)


 理解できない。

 理解したくない。


 それでも。


 身体が、知っている。


 この距離が。

 この接触が。


 必要だと、

 認めてしまっている。


 それが——

 一番、問題だった。



 その日。

 エリアス・グレイフォードは。

 変わっていないはずの過去に、今の自分ごと揺さぶられた。

理由では説明できない行動が、一つ増えました。

それが何を意味するのか——まだ誰も触れていません。

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