第26話「既知」
ここからは“外側の世界”との関係が動きます。
選んだものが、周囲の中でどう扱われるのか——その確認です。
視線が、増えていた。
廊下。
執務室。
どこにいても。
感じる。
明確に。
以前よりも。
(……当然か)
理解している。
距離が変わった。
振る舞いも、変わった。
隠せるものではない。
「グレイフォード」
呼ばれる。
振り向く。
上級文官。
年配の男だ。
視線が、鋭い。
「少し時間をもらえるか」
「……はい」
断る理由はない。
部屋へと移動する。
扉が閉まる。
音が、やけに重い。
「最近の噂は知っているな」
「……ある程度は」
「騎士団長と、過度に近しい」
否定できない。
「業務上の関係です」
「そうか」
納得していない。
「立場を理解しろ」
「……承知しています」
「ならば——」
「距離を誤るな」
その言葉。
一瞬だけ。
思考が止まる。
(……誤るな)
胸の奥が、軋む。
「……はい」
答える。
それしかできない。
——そのはずだった。
「——必要なら、距離は取る」
低い声。
振り向く。
アルベルト。
「関係ない」
短く遮る。
「必要な距離は、こちらで判断する」
空気が変わる。
押し切る。
それだけの力がある。
「……分かった」
上級文官は引く。
完全ではないが。
それ以上は踏み込まない。
扉が閉まる。
静寂。
⸻
「問題はない」
アルベルトが言う。
「……そうでしょうか」
思わず出る。
「立場的には——」
「関係ない」
即答。
「必要なものは選ぶ」
迷いがない。
「……」
理解できない。
いや——
理解したくない。
「なぜ」
気づけば口にしている。
「なぜ、俺なんですか」
沈黙。
短い。
だが、重い。
「……最初からだ」
「……?」
「報告書を読んだ」
空気が変わる。
「訓練中の事故」
呼吸が止まる。
「お前は正しかった」
断定。
迷いがない。
「止めなければ、あいつは死んでいた」
事実だけを置く。
「選択としては最適だ」
その一言で——
何かが崩れる。
「……」
理解が追いつかない。
そんな言葉は。
今まで、誰も言わなかった。
「……では」
声が震える。
「なぜ、あの時——」
「見えていないからだ」
即答。
「結果しか見ていない」
「だから誤る」
淡々と。
「お前は違う」
近くで。
低く。
「最初から」
⸻
その瞬間。
何かが、切れる。
(……正しかった)
その言葉が。
遅れて。
深く。
刺さる。
(……じゃあ)
思考が、崩れる。
(……なんで)
呼吸が乱れる。
(……なんで俺は)
ずっと。
間違えたと思っていた。
だから距離を取った。
避けた。
切り離した。
(……必要なかった)
その全部が。
意味を失う。
「……っ」
息が詰まる。
視界が揺れる。
足元が、ずれる。
立っている感覚が、曖昧になる。
「……エリアス」
声。
近い。
だが——
届かない。
(……遅い)
理解が。
全部。
(……遅すぎる)
もう。
戻らない。
戻せない。
その状態で。
ここまで来ている。
「……っ」
初めて。
抑えきれない。
手が震える。
止まらない。
「……俺は」
言葉が零れる。
勝手に。
「何のために」
止まらない。
「……何のために、距離を取ってたんだ」
声が落ちる。
静かに。
だが。
完全に、崩れている。
「……」
沈黙。
アルベルトは何も言わない。
ただ。
見ている。
逃がさないように。
そのまま。
「……エリアス」
低く。
はっきりと。
「それでも、お前は選んだ」
その一言。
それだけで。
思考が止まる。
過去ではない。
今。
ここ。
「……」
呼吸が揺れる。
だが。
さっきとは違う。
崩れたままではない。
戻り始める。
ゆっくりと。
(……今)
理解する。
過去は変わらない。
今は。
自分で選んでいる。
「……」
何も言えない。
それでも。
立っている。
崩れたままではない。
その状態で。
ここにいる。
⸻
その日。
エリアス・グレイフォードは。
“過去が間違いではなかったこと”と、
“それでも無駄にした時間があること”を、
同時に理解した。
否定はされました。
それでも——選択は変わりません。
外側ではなく、自分で決めたものだからです。




