第25話「余韻」
選んだあとの回です。
関係は変わりましたが、すぐに整理はできません。
静かだった。
さっきまでの空気が、まだ残っている。
触れていた距離。
離れたはずなのに。
完全には消えていない。
(……近い)
視線を上げる。
アルベルトは、いつもと同じ位置にいる。
触れていない。
それでも。
前とは、明確に違う。
距離の意味が。
変わっている。
「……」
言葉が出ない。
必要がない。
さっきの選択で、十分だった。
それでも。
どこか、落ち着かない。
整っているのに。
揺れている。
「……エリアス」
名を呼ばれる。
低く。
静かに。
それだけで。
意識が引き寄せられる。
「……はい」
短く返す。
わずかに、声が硬い。
自覚している。
「問題はないか」
問いは簡潔だ。
いつも通り。
それなのに。
意味が違う。
「……ありません」
答える。
今は、本当だ。
それでも。
視線が逸らせない。
距離も、保てない。
無意識に。
半歩だけ。
近づく。
「……」
沈黙。
拒まれない。
当然のように。
その距離が許される。
それだけで。
呼吸が、少しだけ楽になる。
(……おかしい)
分かっている。
こんな状態は、今までなかった。
それでも。
離れる理由がない。
むしろ——
「……戻らないのか」
小さく呟く。
無意識に。
「何がだ」
すぐに返される。
視線は、こちらを見たまま。
「……前の状態に」
言葉にしてしまう。
その瞬間。
わずかに、空気が変わる。
「戻る必要があるのか」
静かに問われる。
責めるでもなく。
ただ、確認するように。
「……」
答えられない。
必要があるかと問われれば——
ない。
それでも。
戻るべきだと。
どこかで思っている。
それが、残っている。
「……ない、かもしれません」
ようやく出た言葉。
曖昧なまま。
それでも、本音に近い。
「なら、それでいい」
即答。
迷いがない。
それだけで。
何かが、ほどける。
張っていたものが。
少しだけ。
「……」
視線が下がる。
整理しようとする。
しかし、
まとまらない。
その時。
「お前は」
アルベルトが口を開く。
短く。
それだけで、意識が向く。
「最初から変わっていない」
「……?」
意味が分からない。
思考が止まる。
「何の話ですか」
「そのままの意味だ」
それ以上は言わない。
説明もしない。
ただ、事実として置くだけ。
(……最初から)
引っかかる。
だが、届かない。
「……分かりません」
正直に言う。
今は、それしかできない。
「そうか」
短い返事。
それで終わる。
——はずだった。
その瞬間。
ほんの僅かに。
アルベルトの視線が揺れた。
ほんの一瞬。
だが、確実に。
何かを押し殺すように。
「……」
違和感。
初めて感じる種類の。
今まで、見たことのないもの。
(……今のは)
理解が追いつかない。
見間違いではない。
あの男が。
“揺れた”。
「……どうかしましたか」
気づけば、口にしていた。
自分でも驚く。
踏み込んでいる。
今までなら、しない。
「……何でもない」
即答。
いつも通り。
完璧に戻っている。
さっきの揺れが嘘のように。
それでも。
消えない。
確かに見た。
(……違う)
何かが。
違う。
今までと。
自分だけではない。
この距離も。
この関係も。
全部。
「……」
言葉が出ない。
だが、
理解してしまう。
少しだけ。
ほんの僅かに。
この関係は——
一方的ではない。
⸻
その日。
エリアス・グレイフォードは。
初めて、
“自分だけではない変化”に気づいた。
戻ることはできません。
それでも——それでいいと思えています。




