表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『距離を測るのをやめた日、騎士団長の恋人になりました』 ― 距離と契約の境界線 ―(彼氏×彼氏の事情)  作者: つるぎまる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/30

第22話「名前のない感情」

感情が明確になります。

ただし、まだ名前は与えられていません。


 静かだった。

 部屋の中。


 音はある。

 紙の擦れる音。

 外の足音。


 それでも。

 どこか遠い。


(……集中できている)


 思考は、正常に動いている。

 判断も、問題ない。

 処理も、滞りない。


 それでも。

 意識が、別の場所にある。


 さっきの中庭。

 ルーカスの言葉。


 そして——

 その後。


(……違う)


 否定する。

 考えるべきではない。


 必要がない。


 それでも。

 消えない。


 あの瞬間。

 迷わなかった。


 理由を考える前に。

 拒否した。


 ルーカスを。


 そして——

 選んだ。


 アルベルトを。


(……選んだ)


 その事実だけが残る。

 言い訳はできない。


 必要だから。


 合理的だから。


 そう処理することもできる。


 それでは足りない。

 説明がつかない。


 あの一瞬の速さ。

 あの感覚。

 思考を通していない。


 それなのに。

 確信していた。


「……」


 手が止まる。

 気づけば、書類の上で動きが止まっている。


(……なぜ)


 問いが残る。

 分かっている。


 もう。

 答えは出ている。


 それでも。

 言葉にできない。


 したくない。


 そこまで認めれば——

 戻れない。


「……エリアス」


 声がする。

 振り向く。


 アルベルト。


 いつも通りの距離。

 触れない位置。


 それなのに。


(……近い)


 視線が、自然に向く。

 距離を測るように。


 そして。

 無意識に。

 足が動く。


 ほんの僅か。

 だが、確実に。

 近づく。


「……何だ」


 低く問われる。

 変わらない声。


「……いえ」


 言葉が出る。

 続かない。


 それでも。

 離れない。


 距離を保たない。


 そのまま——

 そこにいる。


 沈黙。


 短い。

 だが、濃い。


(……落ち着く)


 はっきりと分かる。

 この距離。


 この存在。


 それだけで。

 揺れが消える。


 整う。


 それ以上に——


(……安心)


 その言葉が浮かぶ。


 知らない感覚。

 必要とも違う。

 依存とも違う。


 もっと。

 単純で。

 曖昧で。

 それでいて。


 確かに、そこにある。


「……どうした」


 再び問われる。


 低く。

 静かに。


 その声が近い。


 それだけで。

 胸が、わずかに熱を持つ。


「……」


 言葉が出ない。


 分かっている。

 この感覚の正体を。


 完全ではない。


 それでも。

 もう、否定はできない。


(……これは)


 その先を。

 言葉にしようとして——


 止まる。


 その瞬間。

 距離が、動いた。


「——」


 わずかに。

 アルベルトが、一歩引く。


 ほんの僅か。

 だが。

 確実に。


 距離が、開く。


「……っ」


 息が止まる。

 理解が追いつかない。


 さっきまでの距離。

 さっきまでの感覚。


 それが。

 切り離される。


「……業務中だ」


 低く言われる。

 変わらない声。


 わずかに。

 線を引くように。


「必要以上の接触は控える」


 淡々と。

 事実だけを告げるように。


 それだけ。

 それ以上はない。


 それなのに——


(……遠い)


 さっきより。

 明確に。


 遠い。


 空気が変わる。

 音が戻る。

 思考が、乱れる。


 整っていたものが。

 崩れる。


「……問題ありません」


 反射的に言う。


 声が、わずかに揺れる。

 自分でも分かる。


 説得力がない。


「そうか」


 短い返事。

 それ以上は踏み込まない。


 距離は、そのまま。

 戻らない。


(……違う)


 違う。

 これは。

 正しい。


 これが本来の距離だ。


 そうでなければならない。

 それなのに。


 足りない。

 明確に。

 何かが。

 足りない。


(……さっきの距離)


 思考が戻る。


 あの位置。

 あの感覚。

 あの温度。


 それが。

 ない。


「……」


 動けない。

 戻れない。

 進めない。


 ただ。

 その場に立ったまま。


 理解してしまう。


 自分が。

 何を求めていたのかを。



 その日。


 エリアス・グレイフォードは。


 その感情に、名前を与えられなかった。


 そして——


 初めて。


 “失った感覚”として、自覚した。

分かっているのに、言葉にできない。

それでも——もう否定はできません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ