第19話「余熱」
ここは“感情が残る回”です。
言葉にできないものが、はっきりと存在し始めます。
静かだった。
先ほどまでの空気が、まだ残っている。
触れていた感覚。
離れたはずなのに。
消えない。
手のひらに、残っている。
(……違う)
否定する。
これは。
ただの反応だ。
環境の変化に対する。
一時的なもの。
そう、処理する。
それでも。
消えない。
呼吸が、わずかに乱れている。
歩幅も、いつもより揃わない。
廊下を進む。
人の流れに紛れる。
「グレイフォード様」
声をかけられる。
振り向く。
先ほどの若い文官だ。
「先ほどの件、確認が——」
「後で」
短く返す。
自分でも、僅かに遅れて理解する。
いつもなら、止まる。
処理する。
だが——
今は、できない。
「……承知しました」
文官は一瞬だけ戸惑い、下がる。
その視線が残る。
気にならない。
それよりも。
(……残っている)
感覚が。
思考の奥で、じわりと広がる。
整う感覚とは違う。
安定とも違う。
もっと——
曖昧で。
掴めない。
それでも。
消えない。
部屋に入る。
扉を閉める。
音が、やけに大きく響く。
静寂が落ちる。
ようやく。
一人になる。
「……」
手を見る。
わずかに震えている。
恐怖ではない。
拒絶でもない。
あの時とは違う。
明確に。
違う。
(……何だ、これは)
理解できない。
理解したくない。
それでも。
否定しきれない。
嫌ではなかった。
むしろ——
「……」
言葉が止まる。
そこから先が、出てこない。
認めたくない。
だが、
消せない。
あの距離。
あの接触。
あの一瞬。
思考が揃う感覚。
それ以上に。
残っているものがある。
名前のない。
説明できない。
それでも。
確かにあるもの。
(……違う)
強く否定する。
これは。
必要だからだ。
そうでなければならない。
理由がなければ——
成立しない。
それなのに。
理由が、足りない。
必要だけでは説明できない。
それが。
一番、厄介だった。
「……は」
小さく息が漏れる。
笑いに近い。
完全ではない。
曖昧な形。
それでも。
確かに、そこにある。
(……おかしい)
自分の反応が。
明らかに。
今までと違う。
嫌ではない。
避けたいとも思わない。
むしろ——
もう一度。
「……っ」
思考を止める。
それ以上は、危険だ。
理解している。
踏み込めば。
戻れない。
それでも。
完全には止まらない。
残る。
その先を知ろうとする自分が。
確かに、いる。
「……」
視線を落とす。
呼吸を整える。
戻す。
いつも通りに。
そうするべきだ。
それでも。
胸の奥に。
微かな熱が残る。
消えない。
完全には。
(……これは)
言葉にしようとして。
止まる。
まだ。
そこまでではない。
だが。
確実に。
近づいている。
引き返せない何かに。
⸻
その日。
エリアス・グレイフォードは。
初めて、その感情を——
否定しきれなかった。
否定しきれない感覚が、一つ残りました。
それは——もう消えません。




