第12話「拒絶」
少しだけ、“逃げ”が入ります。
それでも完全には離れられません。
限界は、既に越えている。
分かっている。
理解している。
それでも——
止まらない。
業務は続く。
処理は進む。
思考も、まだ機能している。
だが。
維持できていない。
どこかが。
確実に、崩れている。
(……問題ありません)
繰り返す。
それしかできない。
それでも。
言葉が、薄くなる。
意味が、残らない。
「グレイフォード」
名を呼ばれる。
近い。
いつも通りの距離。
いつも通りの声。
それなのに。
今日は——
遠すぎる。
「手を出せ」
短く言われる。
いつもの言葉。
いつもの行動。
拒否するべきだ。
そう、理解している。
それなのに。
手が、動かない。
初めて。
完全に、止まる。
「……」
動かない。
差し出せない。
理由は分かっている。
これ以上、触れれば。
保てなくなる。
境界が。
壊れる。
「グレイフォード」
もう一度、呼ばれる。
低く。
静かに。
逃げ場を残さない声で。
「……問題ありません」
ようやく出た言葉。
身体は、動かない。
「手を出せ」
繰り返される。
短く。
確実に。
命令ではない。
拒否できない形で。
「……やめてください」
初めてだった。
言葉が、零れた。
小さく。
だが、はっきりと。
拒否の形を取る。
空気が、止まる。
「……嫌か」
静かに問われる。
いつもと同じ言葉。
意味が違う。
「……」
答えられない。
言葉が出ない。
理由が、絡まる。
分からない。
分かっているのに。
言えない。
「……エリアス」
名を呼ばれる。
近くで。
低く。
それだけで。
思考が揺れる。
限界が、軋む。
「……無理です」
ようやく出た言葉。
小さく。
確実に。
それでも。
次の瞬間。
手首を、掴まれた。
「——っ!」
反射的に、強く振り払う。
今までにないほどの力で。
「触らないで!」
反射だった。
声が出た。
止まらない。
抑えきれない。
「触れないで!」
もう一度。
強く。
拒絶する。
空気が、凍る。
音が消える。
完全に。
動きが止まる。
「……」
静寂。
何も、動かない。
誰も、何も言わない。
呼吸だけが残る。
乱れているのは——
自分だけだ。
「……っ」
息が、整わない。
視界が揺れる。
思考が、崩れる。
抑えられない。
止められない。
「……もう、無理なんだ」
言葉が、零れる。
勝手に。
止まらずに。
「これ以上……」
続かない。
言葉にならない。
それでも。
「壊れる……」
かすれている。
それでも。
はっきりと。
そこにある。
自分が。
沈黙。
重い。
何も動かない。
そして——
「……そうか」
アルベルトの声。
低く。
静かに。
初めて。
わずかに。
揺れていた。
それだけで。
分かる。
今までとは、違う。
それ以上は、何も言わない。
近づかない。
触れない。
ただ、
そこにいる。
距離を保ったまま。
見ている。
(……あ)
思考が、遅れて追いつく。
理解してしまう。
今の言葉を。
自分の言葉を。
拒絶したのは。
誰かではない。
自分の限界だ。
それを。
全部。
理解してしまう。
「……」
言葉が出ない。
何も言えない。
取り返せない。
戻せない。
ただ、
そこに残る。
拒絶だけが。
⸻
その日。
エリアス・グレイフォードは。
初めて、触れることを拒絶した。
自分の意思で。
離れることはできる。
それでも——離れない。
その選択が、すでに答えになっています。




