外伝 閑話 錬金の師弟
外伝 閑話 錬金の師弟
サイド なし
彼らにとって、その災厄はあまりにも唐突だった。
「何だよ、アレ……」
避難していた、街の住民達。彼らの足が止まり、その視線が壁へと向けられる。
コールステン王国でも有数の港をもつとして、貿易により栄えていた街を、長年多くの外敵から守っていた城壁。ただの一度も破られた事のないそれが、まるで砂山の城の様に崩れていく。
その光景を、誰も現実のものとして受け入れられなかった。
だが、怪物は彼らの理解など必要としない。現実は、容赦なく、慈悲なく、時を進める。
『ブォォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛───ッッ!!』
15メートルを超える巨体。ずらりと牙の並んだ口から、雄叫びが轟いた。
直前まで魔法や投石機で防衛を行っていた城壁の兵士達が、耳や鼻から血を噴き出して倒れ伏す。近くにいた者は、発生した衝撃波によりすぐさま肉袋へと変化した。
その咆哮で、やっと住民達も我を取り戻す。だが、そこから起きたのは更なる混乱であった。
「う、うわああああああ!?」
「逃げろ!逃げろぉ!」
「どけ、どけぇ!」
人の波が、勢いを増す。それは隣人を押しのけ、前を行く者を突き飛ばし、後ろにいる者に背を殴られるものであった。
当然の様に、子供や老人は地面へ叩きつけられるか、壁に押し付けられる。だが、屈強な成人男性であっても、容易く動ける状況ではない。
あちこちで、ドミノの様に人が倒れる。そうでなくとも、道幅に人の数が合わず詰まってしまう光景が街のあちこちで見られた。
避難は遅々として進まず、それらを背に戦う事を決意した兵士達がいる。
「全員、絶対に引くな!槍を構えろ!突かなくて良い!ただ構えろ!」
「化け物にこれ以上好きにさせるな!」
城壁の崩れた箇所に駆け付けた兵士達が、弓を構え、槍を向けた。
民間人を置いて逃げる兵士もいれば、誇りを胸に故郷の為戦う覚悟を決めた者達もいる。彼らの瞳に、諦めはない。
だが、覚悟で覆る様な戦力差では、なかった。
『ガァァアッ!』
獣の雄叫びと共に、崩れた城壁から雪崩の様に怪物どもが押し寄せる。
山羊の角を生やした、獅子と猿を混ぜた様な怪物。バンダースナッチ。
厚い毛皮は降り注ぐ矢をものともせず、向けられた槍の穂先を獣の機敏さで掻い潜る。
肉薄された兵士達が、その鋭い爪で、あるいは赤熱した牙で鎧ごと肉を抉られた。前衛に立つ者達の雄叫びが悲鳴に変わるのに、1分と経たない。
まだ生きている兵士達の目から、覚悟が崩れ落ちていく。昨日まで同じ釜の飯を食っていた仲間が、無抵抗な子牛の様に食い荒らされる姿を見て、響き渡る悲鳴を耳にして、気づけば槍を取り落としていた。
「う、うぁ」
「死にたくない……死にたくない!」
「引くな!ここを死守すれば、いずれ援軍がくる!だから、ぐわっ!?」
逃げ出した兵士達に声を張り上げていた隊長が、悲鳴と共に地面へ押し倒される。
乗っていた馬は喉を噛み千切られて脇に転がり、彼自身はバンダースナッチに背中を前足で押さえつけられていた。
「は、放せこの化け物!誰か!誰かこいつをどけろぉ!」
必死にもがく隊長だが、体重数百キロの巨体をどかす事は叶わない。
無意味な抵抗をする獲物を見下ろして、バンダースナッチは意地の悪い笑みを浮かべた。
高温を発するその牙が、ゆっくりと隊長の首筋に押し当てられる。
恐怖が、伝染していく。
兵士達の抵抗は、怪物どもにとって何の意味もなしていなかった。
ジャバウォックは、城壁にその長く鋭い爪を引っ掛けて、悠々と移動する。倒れ伏した兵士を拾い上げて、食事を続けた。
鉄の鎧も、丸ごと平らげる怪物。邪竜と呼ぶべきその存在は、この街に住まう者達には抗う術のない災害も同然であった。
いいや、この街どころか、この国を探してもジャバウォックと戦える者など数える程しかいない。勝てる者となれば、更に少なくなる。
絶対強者として、のんびりと食事を続ける邪竜。
その長い首が、餌の捕食以外の理由で動いた。
向けられたのは、港の方角。そのギョロリとした瞳に一瞬だけ警戒の色が滲むも、『なにか恐ろしい気配』が遠ざかっていく事を察して、再び食事に戻った。
ジャバウォックは、強者である。周辺地域に、敵う者など存在しない。
ゆえに。
その索敵能力は、お世辞にも高くはなかった。
不可視であり、その膨大な魔力も抑えて動く『外敵』が街を駆けていく事に、気づかない程に。
* * *
「お祖母ちゃん!急いで!急いで逃げなきゃ!」
こげ茶色の髪をした少女が、祖母に肩を貸して必死に逃げようとする。
重い荷物を抱えて移動する事は出来ないと、持ち出したのはたった1つのお守りと、『師』からの教えを記したノートのみ。
リーシャは、亡き両親との思い出が色濃く残る家を捨て、祖母と共に逃げようとしていた。
多くの物を捨てる覚悟で進むその逃避行は、まるで亀の様に遅い。
「……あたしは、もういい。もう良いんだ、リーシャ」
片足を引きずる老婆が、諦めに満ちた声で孫に告げた。
「このままじゃ、お前も死んでしまう。だから、1人で逃げなさい。港か、教会に逃げ込むんだ」
「バカなこと言わないで!一緒に逃げようよ!足を動かして、歩いて!」
祖母の言葉を大声で否定する姿は、年相応のものだった。
大きな瞳から涙を流し、リーシャは叫ぶ。そして、祖母と共に足を動かした。
「きっと大丈夫……!兵隊さん達が、冒険者さん達が、あの化け物を追い返してくれる!だから、諦めないで……!」
「リーシャ……お願いだ。あたしを置いていっておくれ。孫のあんたまで、死んでほしくないんだ……分かっておくれ」
「お祖母ちゃんこそ分かってよ!私を1人にしないで!」
それは、もはや悲鳴に近い。
幼い少女の声が、無人となった街の一角に響く。
周囲の民家や商店には、もう誰もいない。彼らに他人を気遣う余裕などなく、皆とうに逃げてしまった。
彼女らにさし伸ばされる手は、ない。
「お父さんも、お母さんもいない……!私には、お祖母ちゃんだけだよ……!」
「リーシャ……」
「1人は、やだよぅ……!」
祖母は、それ以上孫にかける言葉が浮かばなかった。
2人で、ノロノロと歩いていく。
それを見下ろす影が、1つ。
『グルルル……!』
聞こえてきた獣の唸り声に、彼女らは顔を上げた。
無人となった民家の屋根に立つ、1体の獣。鋭い牙がずらりと並ぶ口に、リーシャは引きつった声を出した。
「ひっ……!?」
バンダースナッチが、猿に似た四肢を使って民家から降りてくる。
のんびりとした動きは、眼前の獲物が逃げる術を持っていないと確信している様だった。
「リーシャ!お逃げ!」
「でも!」
「いいから!」
言葉より先に、老婆は孫を突き飛ばす。そして、自身を支える為に持っていた杖を怪物に向けた。
明らかに、素人の構え。当然だ。この老婆に、戦いの経験などない。ただの民間人なのだから。
それでもたった1人の孫娘を守る為に、怪物を睨みつける。
「きな、化け物!目玉の1つぐらい、道連れにしてやる!」
『グッグッグ……』
まるで、笑う様な唸り声。
のそのそと歩み寄るバンダースナッチに、老婆の腰は抜けそうになる。
それでも、怪物を睨みつけた。少しでも、孫が逃げる時間を稼ぐ為に。
「ダメ!」
だが、リーシャは逃げなかった。バンダースナッチへと駆け出し、祖母を守ろうとする。
彼女はノートからとあるページを引き千切ると、石畳の地面へと押し付けた。
「リーシャ!?」
「───貫いて!」
錬成陣が眩い光を発し、石畳の地面が変化する。
バンダースナッチへと、地面から石の杭が伸びた。予想外の反撃に、怪物の顎へと先端が直撃する。
「やった!」
急な魔力消費で玉の様な汗を流すリーシャが、歓声を上げる。
自分でも、家族を守れた。戦えるのだと。
しかし。
『ガァァァッ!』
「あっ……」
怒りに満ちた獣の雄叫びで、彼女の高揚感はすぐさま吹き飛んだ。
無傷。兵士の矢すら通さない怪物の皮膚に、未熟とさえ言えない錬金術は何の痛痒も与えられなかった。
殺意に満ちたバンダースナッチの視線に、リーシャの腰がすとんと落ちる。
「リーシャ!」
祖母の自身を呼ぶ声にも、反応出来ない。一瞬でも希望が見えたからこそ、絶望はより大きなものとなって少女を蝕んだ。
「い、いや……」
恐怖で涙を流しながら、リーシャは後ずさろうとする。立ち上がる事も出来ず、手を後ろに伸ばして体を引きずった。
だが、怪物は彼女を逃す気など毛頭ない。
『グルォォ……!』
赤熱する牙を剥き出しに、バンダースナッチは四肢を折り曲げた。跳躍の為に力を溜め、一足にて少女へ襲い掛かる為に。
地面から伸びた石の杭を警戒しての行動。怪物は、リーシャを『多少危険な獲物』と認識したのだ。
結局、獲物である事に変わりはない。この幼き少女に、怪物を退ける力などないのだから。
「リーシャ!この化け物!こっちを向け!」
叫びながら、老婆が杖をついてバンダースナッチに近づこうとした。だが、その途中で足がもつれて転んでしまう。
「やだ……やだよぉ……!」
泣きじゃくり、リーシャは逃げようとした。
だが、その体は彼女の思う様に動いてくれない。逃走を願う本能を、恐怖が押しつぶす。
「助けて……お父さん、お母さん……お祖母ちゃん……!」
『ガアアアアッ!』
怪物が、跳んだ。
その強靭な筋力でもって、数百キロの巨体が宙を駆ける。
「先生……!」
もはや助からない。リーシャは瞳を硬く閉じ、己の最期を待った。
───ガギィッ!
硬質な音が、あたりに響く。ほぼ同時に、少女の頬を一陣の風が撫でた。
やってこない痛みに、リーシャが恐る恐る目を開ける。
「え……?」
彼女の目に映ったのは、白い外套だった。
普通の布で織られたのなら有り得ない、不思議な光沢。それを羽織った人物が、怪物に左腕を差し出している。
鋼の籠手に包まれていようと、人間の腕などバンダースナッチの牙を前にしては飴細工に等しい。噛み砕かれている、はずだった。
『ガッ……ガァァ……!?』
だが、怪物の口からは動揺と、牙が欠けた音だけが発せられる。そこに咀嚼音は存在しない。
『もう、大丈夫』
少女の耳に届く、二重に響く声。聞きなれない言葉と、聞きなれた言葉が同時に発せられたのだ。
その不思議な声を、彼女は知っている。
「せん……せい……!」
『貴女達を、助けに来ました』
瞬間、バンダースナッチの巨体が吹き飛ばされた。空中に放り出された怪物が、一瞬にして紅蓮の炎に包まれる。
悲鳴を上げる暇すらない。恐ろしい化け物は、ただの炭となって風に流されていった。
振り返った人物は、頭を覆っていた兜を手品の様に消し、少女へと顔を見せる。
黒髪に、紺色の瞳。よく見れば夜空に星が瞬く様な輝きを放つその目が、リーシャの視線とぶつかった。
『よく、ここまで頑張りましたね』
困った様な、安心した様な、そんな笑みと共に。
矢川京太は、初めての弟子の前に立っていた。
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『雑種と未来人の現代ダンジョン』も投稿しておりますので、そちらも見て頂ければ幸いです。




