第10話 岸辺
足元の水が生き物のようにぬるりと足の合間を通り抜けていく。水で構成された山椒魚のような姿の存在達が、空知要たちがいる一体を埋めつくしているようだった。短い足をむちむちと動かしている姿は可愛らしい。
「こいつら踏みそうで怖いよ。」
「ただの動く水だよ。生きちゃいねえから踏んでも大丈夫だ。」
「いや…ただの水は自由気ままに歩き回らないんだよ。」
歩く水に埋め尽くされた土地の名は『漂流の岸辺』というらしい。レンジは、動く水を意に介さずに岸にあがらずに湖の浅瀬を歩いている。空知要は何となく動く水たちに悪い気がしたため、岸を歩いている。
「あいつも悪趣味だよな。こんな場所に飛ばすなんて。」
浴室のあの日に冥の奉神に飛ばされた『道』が『漂流の岸辺』らしい。余談だが、冥の奉神の道の定義を知りたくなった空知要であった。レンジが辟易した様を見せる理由としては、かれこれ数週間は冥の奉神によあって不死国の中での移動は『漂流の岸辺』にのみ限定されているとのことだ。空知要は頬を膨らませた。なんだ、冥の奉神ははじめからレンジの居所を知っていたわけだ。
どうりで迷いなく移動させられたわけである。にしても当初聞いていたよりも落ち着いて綺麗な場所だ。時折岸辺に流れ着くものたちを尻目に歩みを進める中で、同じような景色に退屈してしまう程度である。レンジが冥の奉神に強制移動させられる直前に叫んでいた内容と目で見た印象に乖離がある。
「そんなに嫌がるような場所か?」
その言葉にレンジは顔を顰めた。排水溝にたまる髪の毛を見たかのような表情である。
「経験してないから出る言葉だよな。俺が知る限り、この岸辺は不死国で一二を争うおぞましい場所だよ。」
おぞましいとは無縁なように感じる。空知の瞳の使い方さえ分かれば、自分たちがいる岸辺の異常さを知ることが出来るのだろうか。空知の瞳の力の発動方法について、空知要は何も知らない。全てを知ると称される瞳を持つ者が、その瞳の使い方を知らないなんてお笑い草である。
膝下までの高さの道祖神をみて、空知要はそっと手を伸ばした。小首を傾げて仄かに笑みを浮かべている姿は等身も相まって愛らしい。空知要の男性にしては血の巡りが悪い指先が道祖神の頭を撫でた。愛らしい像を撫でれば、どこか心が晴れるような気がした。
隣でレンジが驚愕の表情を浮かべていた。
「そんなに目を開いたらドライアイになる…え?」
指先が凍ったように動かなくなる。
指先を伝って冷気が身体を支配する。視線だけを道祖神に向ける。
道祖神は、笑っていた。
頬を切り裂くように大きく口の端を引き上げた姿は、愛らしい造形と相反する不気味さを醸し出していた。
空知の目で見ずともわかる。
喰われる。
空知要は、息を零した。
口はまだ動く。
かじかむ指は震えている。唇はまだ動く。何度か経験した、慣れたように勝手に体が動く感覚はない。危機的状況にもかかわらず、不思議な感覚が空知要を訪うことはなかった。
選択肢は一つのみ。自ら動くのみ、である。
「おまえは今すぐ地に沈む。」
道祖神の顔がゆがむ、口が開き何かが飛び出してくる瞬間に、空知要は次の言葉を紡いでいた。
「これは、確定だ」
道祖神は地面に沈み込む。底なし沼に石が沈むようにではない。道祖神にのみ重力が掛かったかのように地面に押し付けられていた。石でできた道祖神に罅を生じさせ、周囲には少量だが破片が散っている。
どうやら、謎の力は自分の意志で使うことができるようである。
動くようになった右手の指先を動かしつつ、後ずさりする。
左腕は折れている状態だ、右腕まで使えなくなったら失笑ものである。否、失笑で済めば良い状況であると訂正しよう。今、謎の力は使えると判明したが、両腕が使えない状態では状況的に苦しいままである。プラスにはならない。
「んん…」
唸りながら空知要は両目を瞬かせた。
何やら視界がおかしい。以前、路地裏にいるレンジを俯瞰してみた時のようなセピアの視界だ。右手で目をこする。
「あんた、空知の瞳が光ってるぜ」
「俺の目って光るのか、16年目にして初めて知った。」
「お友達にわかりづらいボケをするってよく言われないか。」
「ボケたつもりはないが」
幸福の奉神は、眉を上げ、目を大仰に見開くという、形容しがたい表情を浮かべた。
「まったく愉快な人間様だよ。まあいいさ、なんだかんだ空知の力を使えるようになっているじゃないか。いい傾向だ。」
まあ、たしかに。
「わからないことがわかるようになる予感がするから、力とやらを使えるのは良いことだよ。」
「そのとおりさ。少なくとも稚児趣味の道路整備野郎にとってはいいことだろう。」
稚児趣味かはさておき、道路整備野郎といえば道を繋ぎ戸を開く力を持つ…冥の奉神のことだろう。整備までしているかは知らないが。
「レンジ、お前にとってはどうなんだ」
空知要は目を閉じた。
本来眼に映るべきレンジの顔が見えず、知らぬ田園を映し出す視界が不快だったのである。今の目では開いていようがいまいが、自身の周辺を確認できないという意味では危険な状況には変わりはない。空知要は目を閉ざしたまま、先ほどレンジが立っていた方向に手を伸ばした。
多少手伝う気持ちはあるらしく、空知要の手はレンジに掴まれた。
レンジは空知要の手を握り、先の問に答えるべく言葉を紡いだ。
「俺というか、あんまり気持ちいい力じゃないだろうそれは。過去を捨てた奴にとっては、不快でしかねえよ。」
「ろくに説明も受けずに謎の力があるとか言われた奴の目の前で、そういうことは面と向かって言うな。気遣いを持て気遣いを…あ」
「あ?」
空知要は咄嗟に謝罪した。
灰の瞳が煌めいた。
至近で見た瞳に、レンジの胸に嫌な予感がよぎる。空知要は薄い唇を挨拶するかのように、さらりと動かした。紡いだ言葉は挨拶どころか、レンジにとっては余命宣告並みの重みを孕んでいた。
「この状態でお前の手を握るべきじゃなかったらしい。」
閉ざした視界、互いの手を取り合ったまま、太極図の如く、二人は倒れこんだ。
二人は瞳を閉ざし寝息を立てている。
潰されたはずの道祖神は静かに石の口を開いた。
あけましておめでとうございます!
今年もゆっくりと投稿します。
亀の歩み並ではありますが、よろしくお願いします。




