第8話 始動
路地裏に差し込む一筋の光は、傘をさす冥の奉神を照らしていた。
一筋ゆえに、その光が他を照らすことはない。
王原は薄暗い黴のにおいが立ち込める路地に立ちすくんでいる。
彼女に与えられる光はない。
空知要は、彼女の様子にかすかに胸を痛めた。
「なんとなく、貴方が酷いことを言ったということはわかったよ。」
「ひどいな。君が興味津々だったから張り切ったのに。」
「興味があったのは認めますけど、貴方が人を傷付けていい理由にはならないでしょう。」
「あれは人じゃない。」
「神なら傷つけていいと?」
「...」
「それは道理じゃないでしょ。」
諭す口調になってしまった。他者を窘める口調は好まれない。幼少の頃、「空知君の話し方きらい!」と言われた思い出が蘇る。流石に幼児と同じような反応を冥の奉神がするとは思わないが、恐る恐る彼の陰影の濃い首元を見つめた。表情を見る勇気は無かった。
「...新鮮だ。」
「あ?」
惚れ惚れとしたような声音が頭上に降ってくる。先程の恐れも何処へやら、空知要は勢いよく頭を上げた。
湖畔の岩肌の陰影の如く逞しいが、月夜を映し出す湖面のように凪いで静寂に満ちた美が眼前に拡がっていた。
「君の本質がちらりと見えた。君の口調は人の世では先生と呼ばれる者に近い。教え諭し導く者。導師になくてはならない資質だ。」
「何言ってるんだ貴方は...」
「いい発見だ。礼を言うよ。導師に道理を説いてくれてありがとう。」
「嫌味にしか聞こえないよ。」
「嫌味を言うのは臆病の特権だ。私は怠惰ではあるが、臆病者ではない。安心してくれ。」
「どや顔で言うことじゃないよ。」
数週間も付き合えば、程度はあれど相手の全容を理解出来る。なのに、目の前の神様のことは何一つとして理解できない。神と人だから相手を理解したと思えないのか、冥の奉神と空知要だから理解したと断言できないのか。わからなかった。
「例え君の性であっても、難しいことは考えなくていい。導師は君の考え方と口調が気に入った。それ以上はあるかもしれないが、それ以下はないよ。」
「以下はあるのか…。何にせよ貴方の言うことはわかりづらい。」
「わかりづらいほうが、君の記憶には残りそうだ。」
空知要は視線を自身の背後に移した。
心ここに在らずと言わんばかりに、控えめに寄せられた細い眉、漣のように刻まれた眉間の皺、弦の如く張り詰めた唇...全ての部位が彼女の精神が揺らいでいると示していた。
憐れだと思う。
なにか言葉をかけてやるべきか。
だがしかし、空知要の唇は梃子として動かない。
(俺には彼女にかける言葉は無いし、かけていい立場じゃない...)
漠然としているが、彼女と空知要は交わらない道に立っていることを空知要は感じ取っていた。
「何が何だか僕にはさっぱりだけど、君を待っている人がいるなら迎えに行ってあげよう
よ。君が思うより、相手は怒っていないかもよ。」
冴里の柔らかな声が耳朶を打つ。低くて腹に響くような良い声、鳥の囀りのように軽やかで胸がすくような声、どちらとも異なる声質だ。美声と称される声ではない。日々をのらりくらりと生きるだけの少年のすれていない素朴な声は、王原の耳にもするりと入り込んだようだった。
「お前…私のことが苦手だろう。何故話しかけてくる。」
「苦手だよ。でも苦手なだけで、悲しそうにしてる人を見て見ぬふりはできないよ。」
「ありがとう。お前はいいやつだ。だけど、今の私にはお前の優しさは要らない。」
「今じゃなきゃ受け取ってくれるの?」
きょとんと思ったままに疑問を口にした冴里に、王原は目を泳がせている。
金の少女は切り返しには弱いらしい。
「今は要らないっていうなら、次も君に優しくするよ。その時は受け取ってね。」
空知要は、優しさの押し売りを展開する冴里の様子に笑みを殺しきれなかった。
冴里がいなければ、この場の空気に耐えきれず任務を放り出して逃げ帰っていたところだった。呼吸を整え、後方ですったもんだを繰り広げる少年少女に声を掛けた。
「ファミレスでも行こう!4人で話をしよう!」
…
ところ変わり、二人と二柱はファミレスにいた。
空知要はエビのサラダ、冥の奉神はオムライス・ドリア・たらこパスタ、冴里はチョコバナナサンデーを各々頬張りながら、王原の話に耳を傾けていた。一人(柱)の少女が真剣に話す中、男三人は食に集中している不思議な光景に、通路を歩く客たちの視線を感じた。王原も話しづらそうにしていたが、気まずい理由の冥の奉神が食しか眼中にないため、途中からは開き直って話を進めていた。
曰はく、王原は約百年前に人として死んだ。死ぬ前に大事な存在を置き去りにしたあげく、大事な存在を探すこともなく、奉神になって現在まで存在している。百年経った今、菩提を弔うことはできなかったため、せめて魂だけでも弔いたいと願望を持ち始めた。しかし最近になり関りが一切なかった幸福の奉神に付き纏われ始めて困っている。以上が王原の過去の概要と、現在までの流れらしい。
空知要は、王原に脈絡なく発生していた「弔いたい」という想いに疑問を感じていた。
「急に弔いたいと思ったのは何故なんだ?言い方は悪いが、王原は逃げ続けていたんだろう?その感情が急に湧いた背景はあるのか?」
「急にぶっこむよね。空知はそういうとこある。 」
冴里は苦笑した。自分の興味で突っ込んでいって平手打ちされてたこともあったよねと笑う。冥の奉神は冴里の語りを聞き、楽し気に笑い声を上げていた。聞くな笑うな、貴方は食に集中していてくれ。
「そういえば、なぜ弔いたいと思ったんだ?百年経っても、相手が死んでも、合わせる顔がないと思っていたのに…。」
冥は笑いをおさめて、居住まいを正した。彼が居住まいを正しても、卓上に広がる品々は消えない。年上のお兄さんが真面目な顔で大量の料理に囲まれている様は聊か面白い。余談だが、本日の支払いは冥の奉神持ちである。現国の紙幣を如何な方法で調達したのか、気になるところである。
「共鳴だ。めったにないことだが、奉神は深い関りがある存在の思考や行動に同調することがある。」
「深い関り…」
王原は眉をひそめる。
「それと…」と冥の奉神は話を進める。相変わらずマイペースだ。
「幸福の奉神は2週間と少し前に導師の管理から外れた。故に君の存在に気付き追いかけ始めたという訳だ。」
「最近の私へのつきまといの原因が判明したじゃないか。貴方のせいだ。」
「元を辿れば君のせいだ。でも罪のなすりつけ合いは醜いし、幸福の奉神を管理下に置いたままにできなかったのは導師の責に違いない。すまなかった。」
「先に誤ればいいと思ってるな…ずるい奴だ。」
最早、敬語を投げ捨てている王原である。
「それはさておき、気付いていることがあるはずだ。また目を背けるのかい?」
「背けてない。考えを整理していただけだ」
薄桃の唇から微かに空気が漏れた。
金の髪が御簾のように王原の顔を隠す。
既に底に至りつつあるサンデーを振りながら、冴里は王原をのぞきこんだ。
「今、僕の優しさが必要だったりする?」
「要らない」
王原は冴里をすげなく振り、冥の奉神を見据えた。
金の髪は背へと流されている。
「人間時代に大切にしていた存在が幸福の奉神である可能性は私も考えていた。」
「可能性どころか、真実だよ。」
冥は断言する。カトラリーが置かれ、硬質だが軽い音が響いた。
「君の目的がはっきりしたんじゃないか?
君が死んだ後に幸福の奉神が生まれた訳を知るために、君は彼を探すんだ。」
やっと、誘惑の奉神が宣った任務の内容に繋がった。再度カトラリーを手に取り、興味を食に向けている冥の奉神の旋毛、サンデーを食べ切って次の注文を考える冴里、決意を瞳にうかべた少女を見遣る。少女の金の瞳と空知要の灰の瞳が交わった。
「金色の少女の王子様を見つけろ、本格的に指導だ。」




