歯車
大学から帰って自分の部屋へ入り机の上にパパからの白封筒を取り出した。パパも和香さんも丁寧に自分の名前を書いていたそれは、紛れもなく大切な、大切な婚姻届。そして保証人の1人目には大輝先生のサイン。学校で黒板に聞いていた文字と同じ筆跡。お世辞にも綺麗と言えないその字体を見て高校時代を思い出しクスッと笑ってしまう。私もちゃんと看護師になっていつか婚姻届を書ける日が来ますように。願いを込めて保証人の欄に自分の名前を大輝先生の下の欄に書いて返信用の封筒に入れた。パパと和香さん、幸せになってねと願いを込めて。パパは和香さんの流産を順番を間違えてしまって悪かった、申し訳なかったと私にも謝ったけど私に謝るのは違うと思った。謝るのは生まれることが出来なかった、この世界を見ることが出来なかったその命にと、痛く辛い思いをした和香さんに。父親として恥ずかしいことをしたっていうのも単なる世間体だよ。私はそんなことでパパを嫌いになったりしない。それより和香さんを気にかけてあげてね。私が結婚する時はパパと和香さんに保証人になってもらうんだから。そしてパパと和香さんみたいにお互いを思いやれる夫婦になりたい。
⋯さぁ、明日は小テストあるから復習しておかなきゃ。補欠合格ではやはり每日授業についていくのがやっとで、追試や居残りもしばしば⋯これじゃあ恥ずかしくて大輝先生を迎えに行けないから。
受粉や摘花のこの時期に祐司は高橋りんご園を手伝ってくれることもあった。自分の所も忙しいだろうに。お礼をいうと
「うちは信司がいるし、近所の三浦さんが手伝いに来てくれるから。」
と言ってくれた。三浦さんは近所の主婦でもう70才は過ぎているが繁忙期には手伝ってくれるベテランさんだ。説明しなくとも動いてくれて助かるそうで、今度時給上げなきゃなと話してくれた。
今日の作業が終わり、祐司にお茶を出し休憩した。
「美佐子のこと、本当はずっと好きだったんだよ。」
祐司はちょっと遠くを見て寂しそうな、目をした。
「どうしたの。いきなり。」
私はお茶を一口飲む。
「高校に入って別の男と付き合ってると聞いたから身を引いた。東京の女子大に進学したと聞いて俺も一浪して東京の大学行ったんだ。でも会える訳ないし、会おうと行動も起こせなかった。
東京で就職して結婚して信司と眞奈美が生まれてから親父が亡くなって、りんご継ぐことになって家族で戻ったけど、東京育ちの嫁がどうしても長野に馴染めなくて、うちの婆さんとも合わなくて離婚したんだ。嫁は眞奈美を連れて東京に戻った。信司は長野がいいというから今は信司と婆さんと3人でやってる。」
「私は自然消滅したと思っていたけど、吉田くんはちゃんと私のことを好きでいてくれていたのに。私はその気持ちに気づかず、寧ろ踏みにじってしまったのね。ごめん。今更謝ってもだけど。」
「俺たち若かったよな。何十年も経ってるなんて信じられない。お互い子供もいるなんてな。」
「そうね。信じられない。信司くんだけに?」
アハハ、と笑い合った。高校の時に歯車が噛み合わなくなったのだろうか。でもまた廻り始めているのかも知れない。ちゃんと噛み合って。




